被爆52周年原水爆禁止世界大会広島大会開会総会


 みなさん、 こんにちは!

 全国各地から、 世界の各国からようこそ広島においでくださいました。

 たいへんお待たせいたしましたが、 ただいまから、 被爆五二周年原水爆禁止世界大会開会総会を開会いたします。

 私は本日の司会・進行を務めます、 地元日放労の岸慎治です。 どうぞよろしくお願いします。

 さて、 今開会総会のオープニングを飾っていただきますのは、 長崎在住のシンガーソングライター・寺井一通さんです。  一九四八年、 長崎生まれの寺井さんは、 大学時代にシャンソンに魅せられ、 その後もシャンソンを歌い続けながらオリジナル曲の創作をはじめられました。 様々に生きる人たちの声にならない叫びや悲しみを受け止めながら創作活動を続け、 「人間讃歌」 を歌い続けていらっしゃいます。

 本日は、 寺井さんの約三五〇曲のオリジナル曲のなかから、 「もう二度と」、 「浦上」、 「私自身のために」、 「We never forget」 の四曲をご披露いただきます。

 それでは、 寺井さんよろしくお願いいたします。

 寺井一通ギター弾き語り

  「もう二度と」 「浦上」 「私自身のために」 「We never forget」

 ありがとうございました。 まさに、 心にしみ入る四曲を歌っていただきました。 寺井さんは現在も、 雲仙・普賢岳の被災者のためのチャリティ演奏活動を続けられる一方で、 一九九六年の一月からは 「毎月九日、 長崎の街に平和の歌声を響かせよう」 と 「ながさき・うたの日」 の運動にも取り組んでいらっしゃいます。

 寺井さんにもう一度盛大な拍手をお願いいたします。 (拍手)

 五二年前の八月六日に広島に、 そして八月九日に長崎に原子爆弾が投下され、 被爆直後に二〇万人、 その後も数多くのみなさんがお亡くなりになりました。 さらに生存被爆者の方々も放射能障害で苦しみ続けています。

 ここで、 原爆や核の被害で亡くなられた方々、 そして戦争で亡くなられた方々に黙とうを捧げます。 会場のみなさん、 ご起立お願いします。

 それでは、 黙とうをはじめます。

 黙とう

 黙とうを終わります。 みなさんありがとうございました。 ご着席ください。

 続きまして、 原水禁世界大会実行委員会を代表して実行委員長の岩松繁俊さんに、 主催者あいさつをお願いします。    


主催者あいさつ

大会実行委員会実行委員長 岩松 繁俊   

 被爆五二周年原水爆禁止世界大会のために、 きびしい暑さのなかを、 今年もここ広島へ、 はるばる海を渡っておいでくださった海外代表のみなさん、 日本国内津々浦々から汗を垂らしながらおでかけくださった日本代表のみなさん、 そしてさらに、 たいへんお忙しいなかを時間を割いておいでくださった来賓の方々、 たいへんありがとうございました。 厚くお礼申しあげます。

 ルーズヴェルト大統領はその在世中にすでに日本への原爆投下を決定していましたが、 そのあとを引き継いだトルーマン大統領は、 旧ソ連の対日参戦以前に、 原爆だけによって日本を降伏させようと、 八月上旬に二発の原爆の投下を命令しました。 こうして、 ここ広島は、 アメリカによる最初の原爆被爆都市となり、 強制連行された韓国・朝鮮の方々を含む都市住民数十万の人が犠牲となりました。

 ところで、 当時、 アメリカ政府上層部とマンハッタン計画指導部がなぜ原爆投下を決定したのかという理由を調べてゆくと、 いくつかの重大な点が浮き彫りにされます。 もちろん、 日本軍によるパールハーバー奇襲攻撃と捕虜に対する反人道的な虐待、 残虐行為もその理由のひとつです。

 しかし、 トルーマン大統領がポツダムから帰国して行なったラジオ放送を調べてみると、 重要なことが明らかとなります。 広島へ原爆を投下したのは、 広島は軍事基地であって、 軍人だけがいて、 ここには非武装の民間人はほとんど住んでいないと思っていたということがわかります。 広島市民の存在ははじめから大統領の頭にはなかったということです。

 このように、 核兵器は人間の存在と人間その他生物・無生物の価値を無視して開発され、 投下されました。

 二〇世紀が終ろうとする今日、 一日も早く核兵器、 ならびにそれと深くかかわる核燃料サイクルを廃棄し、 「核のない二一世紀」 を実現するために一層の努力を傾けようではありませんか。 ありがとうございました。

 ありがとうございました。

 それでは、 大会基調提案を原水禁世界大会事務局長の榎本庸夫さんにお願いします。


基調提案 (広島)

大会実行委員会事務局長 榎本 庸夫   

 昨年の被爆五一周年原水禁世界大会で、 私たちは、 ポスト被爆五〇年の新しい原水禁運動への第一歩を踏み出しました。 それは、 被爆後、 半世紀をしてなお完全には癒えない、ヒロシマ、ナガサキの悲惨な体験をあらためて思い起こし、 また、 一方でアジアの人々への加害責任をも強く自覚して、 世界の人々とあらためて結びあいながら、 ともに非核の社会を目指していくための出発点でありました。

 昨年から今年の大会にかけての、 一年ほどの間の動きをみれば、 世界が核廃絶へ向けて大きく動きはじめていることが分かります。

 核兵器が一般的には国際法に違反するとした、 国際司法裁判所の 「勧告的意見」、 核廃絶へ向けての道筋を描くために世界の知恵を集めた、 オーストラリア政府主宰の 「キャンベラ委員会」 の取り組み、 そして、 原水禁運動にとって長年の目標であったCTBT=包括的核実験禁止条約の成立。 さらに、 核兵器廃絶を求める世界の一七カ国の元将官六〇人による声明、 マレーシアなどが提案した核兵器禁止条約の早期締結を求める国連決議の採択、 と大きな出来事が続きました。

 今年のビキニ・デーに来日した、 カナダの元軍縮大使、 ダグラス・ロウチ氏はこうした状況を 「核兵器廃絶へ向けた歴史的な勢いのなか」 と表現しました。 そのロウチ氏らの取り組みの成果もあって、 NATO加盟のカナダでも、 核政策の見直しがはじまっています。

 私たちが注目しなくてはならないのは、 こうした動きが旧来の反核勢力の中だけではなく、 むしろ逆の立場であった人たちや、 国々の中からも、 生まれてきているということです。 核軍備のただ中にいた軍人たちの声明、 アメリカの核の傘のもとにあるオーストラリアやカナダの動き……これまでの核廃絶へ向けた動きとは、 大きく質の異なる流れが存在するのではないでしょうか。

 こうした世界のダイナミックな動きに対応し、 この歴史的な勢いを後戻りさせることなく、 核のない二一世紀へつなげていかなくてはならない。 そのために私たちはなにをすればよいのか、 この世界大会を通して、 ぜひ、 議論を深めていただきたいと思います。

 この四月には、 二〇〇〇年に予定されているNPT=核不拡散条約再検討会議の準備会議が、 ニューヨークで開催されました。 原水禁からも派遣団を組織し、 世界の平和運動、 NGOとともに、 準備会議の議論に働きかけ、 検証していくための道筋をつくることができました。 国連での政府間の協議のプログラムのなかに、 こうしたNGOの意見を聴取する日程が正式に組み込まれるなど、 すでにNGOの果たす役割は無視できないものになっています。

 冷戦の終結という新しい条件のもとで起こっている、 核廃絶へ向けた歴史的な勢いのなかにあって、 世界の平和運動が共同した取り組みをすすめることで、 具体的な核軍縮をすすめることができる展望が、 いま生まれてきています。 これまで私たちがどんなに核廃絶を訴えても、 なかなかスローガン以上にはならなかった、 現実の厚い壁が崩れ、 私たちの取り組みいかんでは具体的な成果がえられるという、 新しい時代となっているのです。 当然、 私たちの取り組みにも、 より実践的で具体的な内容が求められるようになっています。

 さて、 一昨年の 「もんじゅ」 の事故、 この三月の東海再処理工場の爆発事故、 続いて新型転換炉 「ふげん」 のトリチウム漏れ事故、 と、 動燃=動力炉・核燃料開発事業団の施設で相次いで重大事故が発生しました。 いずれの場合にも地元への事故の通報の遅れや、 動燃の組織的な事故隠しが明らかになるなど、 動燃や科技庁を中心とした、 これまでの原子力行政に対する不信感が、 かつてなく高まっています。

 その、 一方で核燃料サイクル計画の破綻のつじつまを合わせるために、 プルトニウムをふつうの原発で燃やすという、 「プルサーマル計画」 が強行されようとしています。 私たちの脱原発運動にとっても、 プルトニウム利用計画の凍結を勝ち取り、 脱原発の二一世紀への道筋を描くうえで、 極めて重要な時期を迎えていると考えます。

 世界には今日、 広島、 長崎をはじめ、 核実験や原発事故などによるヒバクシャが二五〇〇万人にもおよぶと推定されています。 ヒバクシャのほとんどは、 十分な治療や補償もなされないまま、 放射能障害に苦しむ毎日を送っています。 私たちは被爆者援護法の抜本改正や、 被爆者への国際的な補償の原則を確立させるとともに、 私たち自身の支援の努力を一段と強化していかなければなりません。

 いま、 冷戦後の平和と軍縮の流れが、 核廃絶への歴史的な勢いとなって噴出しつつあり、 核のない二一世紀を展望する具体的な可能性が見えてきたのと同時に、 新たな核拡散の危険にもさらされてもいるという、 複雑で、 極めて重要な転換点にさしかかっています。

 私たちは、 内外の反核、 非核で一致するすべての人々との共同を、 さらに強めながら、 核のない社会への流れを確実につかみ取りたい。 いま、 初めてそれが可能な状況に立ちいたっている。 そうした現実を強く自覚しながら、 この大会が立派に役割を果たすよう、 お願いを申しあげ、 基調の提起に代えさせていただきます。


 ありがとうございました。

 さて、 この世界大会には、 全国各地からたくさんの子どもたちが参加してくれました。 ここで、 子どもたちからのアピールと歌の披露をしていただきます。

 それでは子どもたちに登場してもらいましょう。 拍手でお迎えください。 長野からは、 「長野県原水禁子ども代表団」 の三七人です。 今年で八回目の参加となります。

 埼玉からは、 「ヒロシマに学ぶ埼玉子ども代表団」 の二一人です。 今年で四回目の参加となります。

 群馬からは、 「ヒロシマに学ぶ群馬子ども代表団」 の一三人です。 今年で一三回目の参加となります。

 山形からは、 「山形県平和センター・ヒロシマ子ども平和使節団」 の一九人です。 今年で一五回目の参加となります。

 東京三多摩地区からは、 「原水禁三多摩子ども派遣団」 の二九人です。 今年で一六回目の参加となります。

 神奈川からは、 「被爆五二周年原水爆禁止世界大会神奈川県子ども代表団」 の一一人です。 今年で五回目の参加です。

 そして香川の 「香川県子ども派遣団」 の八人です。 今年で三回目の参加です。

 それではさっそく、 核のない平和な未来へむけて、 子どもたちからのアピールをお願いします。

 最初に群馬、 よろしくお願いいたします。

 群馬は子どもたちが堅苦しくならないよう、 のびのびした活動を呼びかけているということです。 よろしくお願いします。  一九九七年八月四日から七日まで四日間、 群馬子ども代表団の小学生八名、 中学生五名の一三名と、 引率の先生方四名の、 あわせて一七名が群馬県の代表として広島に集まり、 この世界大会に参加しています。

 広島や長崎に原子爆弾が落ちて、 多くの人たちに被害が出ました。 こんな危険なものを考えたのは人間なのだから、 人間の力でこの危険な兵器もなくすことができると思います。 広島や長崎の被爆者のみなさんは、 これからもずっと爆撃にあったときの苦しみを忘れることはできないのではないかと思います。

 今日から四日間この広島で勉強することをこれからもずっと心にとめて、 忘れないようにしたいと思います。 そしてここで学んだことを群馬に帰って多くの人に伝え、 原爆というものの恐ろしさをもっと理解してもらい、 この世の中から恐ろしい兵器をなくすように努力していきたいと思います。 (ヒロシマに学ぶ群馬子ども代表団)

 続いては埼玉、 お願いします。 埼玉は参加者が感じたことを忘れないよう、 直ちに記録をとって毎年報告書を出しているということです。

 ぼくたちは埼玉子ども代表団として二一名で参加しました。 ぼくたちは五二年前のことを知りません。 その分多くのことを学び、 これから世界平和のために前向きに考えなくてはいけないと思っています。

 いまもまだ戦争で苦しんでいる人々がいます。 その中にもぼくたちと同じ子どもたちも大勢いると思います。 その子どもたちにも平等に生きていく権利があるはずです。 そして次の世代の子どもたちにも。

 戦争のない世界をつくるためにはひとりひとりが自覚をし、 まじめに考え、 自分だけという勝手な気持ちをなくし、 周りの人のことを考え行動することが大切です。 みんなが幸せになれる世界をつくるために、 ぼくたちは頑張っていかなければいけないと思います。 私たちは世界の人々と助けあっていけるように努力をしていきます。 (広島に学ぶ埼玉子ども代表団)

 かわっては東京三多摩です。 お願いします。 東京三多摩は小学校五年生から中学校三年生が対象で、 今年は小学校五、 六年生が七割も参加しているということです。

 私たちは東京から来た三多摩子ども派遣団二九名です。 五二年前広島で何が起きたのかを知るために来ました。

 私たちはここに来る前に丸木美術館へ行き、 いろいろ勉強してきました。 絵を見たり話を聞いたりしたけれど、 あまり身近に感じませんでした。 でも原爆資料館を見て本当に原爆の怖さが分かりました。 原爆一つで数え切れないほどの人が死んでしまうのは、 すごく怖いなあと思いました。 原爆は無差別に人を殺してしまいます。 だから絶対にダメだと思います。 だから広島でたくさん勉強し、 原爆の怖さを知らない人に原爆の怖さを教えたいです。    (三多摩子ども派遣団)

 続いては神奈川です。 神奈川は横浜水道労組のマンガ集団のデザインのTシャツと派遣団旗を作成して参加しているとのことです。 それではお願いします。

 みなさまこんばんは。 私たちは神奈川県の子ども代表団です。 これから神奈川県子ども代表団のアピールを朗読します。

 私たちは、 神奈川県の子ども代表団です。 小学校一年生から中学一年生まで一一人で参加しました。 子ども代表団は今回で五回目だそうです。 私たちの住む神奈川県は基地がたくさんあり、 基地県神奈川といわれます。 一番多いのは沖縄県で、 神奈川県は二番目だそうです。 アメリカ軍横須賀基地に大型の空母が入ると、 戦闘機が厚木基地に来て昼も夜も訓練を行ないます。 そのとき厚木基地の回りの学校では、 勉強も爆音で聞こえない、 電話もテレビも聞こえなくなってしまうそうです。 また厚木基地の回りに住む約一〇〇万人の人々がこうした爆音の被害を受けており、 地元の人々が厚木基地での訓練をすべて止め、 硫黄島で行なうこと、 基地をなくすことなどを求めていることもはじめて知りました。

 私たちはこの会場に来る前、 みんなで原爆資料館を見てきました。 原子爆弾で多くのお父さんやお母さんそして、 子どもたちが死んだことを知りました。 戦争はいやだ! と思いました。 私たちは明日も慰霊碑巡りや被爆電車に乗り、 原爆と戦争のことなどを勉強して、 神奈川県に帰り、 何を見てきたのか家の人や友だち、 学校の先生たちに話します。 また、 神奈川県のことももっと勉強します。 これで神奈川県子ども代表団からのアピールを終わります。    (神奈川子ども代表団)

 続いては長野です。 長野では子どもが見たまま聞いたまま肌で感じられるようにしているとのことです。

 原爆はすべてをなくします。 生活していた家も、 そして家族も、 友だちも。 そして五〇年以上過ぎたいまでも、 苦しんでいる人が大勢います。 たった一つの爆弾でいったい何人の人が死んだのでしょう。 その人数はいまだ正確に分かっていないのです。

 戦争はすべての人を不幸に陥れるものです。 どのような理由を見つけても行動を起こせばそれは人類の過ちです。 ぼくは核兵器を使った戦争は許せません。 そして戦争そのものを許せません。 ぼくと同じ世代の人たちが世界各国で苦しんでいます。 ぼくは二度とこの世界で核兵器を使ったり、 戦争が起きないよう、 世界の人たちの毎日の暮らしがあたり前のように楽しく暮らしていけるよう、 二度と広島とそして長崎のような悲劇が繰り返されないよう、 全世界に訴えていきたいと思います。    (長野県原水禁子ども代表団)

 続きましては香川です。 香川も昨年に引き続いて開会総会への参加です。

 ぼくはお父さんと、 お母さんと妹と来ました。 広島のことを写真におさめ、 広島で勉強して帰りたいと思います。

 私は千羽鶴を持ってきました。    (香川県子ども派遣団)

 最後に山形です。 山形は例年、 小、 中、 高生、 それに傷害をもつ生徒が参加をしているとのことです。 では山形お願いします。

 私たち山形県平和使節団は小学校から高校生まで一九人が参加しています。 その中には聾学校の人も二人います。

 私たちが住んでいる山形県は東北地方の日本海側にあり、 地図で見ると顔の形をしているのですぐ分かります。 出羽富士ともいわれる鳥海山をはじめとした山々、 広々とした庄内平野、 広大な日本海など自然がたくさんあってとてもいいところです。 こんな平和なところで生まれ育った私は戦争とか原爆というものを教科書やテレビでしか見たことがありませんし、 父母、 祖父母からも聞いたことがありません。 ですから実際に広島に来ていろいろなことを見物し、 平和ということについてもう一度考えてみたいと思います。    (山形平和センター ヒロシマ子ども平和使節団)

 ありがとうございました。 それぞれにストレートに響いてくるアピールでした。

 続きまして全員合唱です。 歌は 「いのち」。 それではお願いします。

  「いのち」

 ありがとうございました。 ここで子どもたちは退場します。 もう一度子どもたちに大きな拍手をお願いします。 (拍手)  本当に子どもたちの言葉というのは私たち大人が使うような大義名分ですとかそういった言葉はないんですけど、 ストレートに心に迫ってくるものがあります。 次の世代を担う子どもたちの言葉、 胸に響きました。 そして、 この子どもたちに対して、 私たち大人が何をできるのか、 何をすべきなのかということも考えさせられました。 みなさんはいかがだったでしょうか。  続いて、 各界代表の方々からごあいさつをいただきます。

 最初に、 実行委員会参加の政党代表からごあいさつをお願いします。

 まず、 社会民主党を代表して、 土井たか子党首より、 ごあいさつをお願いします。


あいさつ

社会民主党 土井 たか子   

 みなさん、 こんにちは。 土井たか子でございます。 社会民主党を代表して、 一言連帯のごあいさつを申し上げます。 私にとっては、 八年ぶりにこの原水禁大会に出席させていただきましたが、 本日、 みなさまにお会いできましたことを大変うれしく思っております。

 最初に、 私はヒロシマ、 ナガサキそしてビキニで、 被爆によって尊い生命を奪われた多くの御霊みたまに心から追悼の祈りを捧げたいと思います。

 そしてまた、 心と身体にいまなお癒えない傷跡を残しつつ、 想像を絶する人生の苦痛と闘ってこられた被爆者のみなさんに、 限りない尊敬の気持ちを表しつつ、 お見舞を申しあげます。

 冷戦時代は、 米ソの核兵器体系が厳しく対決し、 その対決自体が緊張を生み、 核戦争を引き起こす危険を常にはらんでいました。 それはよく、 二人の人間が互いにピストルの銃口を向けあっている状況にたとえられたりいたしました。 核兵器の対峙から生じる一触即発の四五年が、 冷戦時代だったといえると思います。

 その冷戦時代が終焉し、 核廃絶が理想主義者の単なる幻想に過ぎないとして、 冷笑された時代は去り、 核廃絶の可能性が確実に私たちの手の届く距離まできた時代を迎えようとしております。

 このことは、 人類にとって極めて重大な意味をもっていることを、 認識しておかなければならないと思います。 とくに昨年、 一九九六年は、 七月の国際司法裁判所の勧告的意見、 八月のキャンベラ委員会の報告、 九月のCTBTの採択、 一二月には各国の元軍人たちの反核声明と、 たてつづけに重要な動きがあり、 まさに一九九六年は、 核兵器廃絶の歴史にとって画期的な年であったことを、 しっかりと肝に銘じておかなければなりません。

 これらは、 決して偶然に起こったのではありません。 原水爆禁止世界大会に代表される日本の平和運動が、 「核兵器の恐ろしさ」 を警告し、 世界の仲間たちとともに広げてきた 「核兵器の禁止」 を求める国際世論が、 大きな役割を果たしたといっても、 言い過ぎではないと思います。

 私たちは、 いまこそ希望と確信をもって、 核廃絶への本格的な取り組みに着手しなければならない時期を迎えているのであります。

 いま、 日本の非核宣言自治数は二一府県、 二二〇〇市区町村以上となっており、 人口比は八〇%をこえています。 これは私どもの長年にわたる運動の努力と、 核廃絶を希求する広範な人々の切実な思いが結実した大きな成果だといえるでしょう。

 私たちは、 引き続いて全国の自治体に非核宣言を広げるとともに、 新たな段階の取り組みとして、 今世紀中の 「核兵器禁止条約の締結」 を核保有国や日本政府に求める 「第二の非核宣言」 の波を、 起こすことを提唱したいと思います。 この運動は、 すでに報道でも伝えられているように千葉県・浦安市議会が六月末に 「第二の非核宣言」 をし、 わが国での第一号となりましたが、 みなさんとご一緒に、 ぜひ全国へ広げていきたいと考えております。

 その運動の広がりの上にたって、 非核三原則の法制化を、 ぜひとも実現しなければなりません。

 また今日、 南半球はほぼ全域、 非核地帯となりましたので、 北東アジア非核化条約実現のため、 全力をあげる決意であります。

 CTBTの一刻も早い発効に全力をあげるとともに、 臨界前核実験の中止を求め、 カットオフ条約、 STARTの交渉開始、 核兵器禁止条約など、 多角的な核兵器廃絶のための方策を実現していかねばなりません。

 長年の懸案であった 「被爆者援護法」 が制定され、 その施行から二年を経ましたが、 改善すべき点は大いに改善して、 今後さらにいっそうの被爆者援護施策の推進に、 全力をあげていきたいと決意しております。

 世界的に盛り上がってきた核廃絶への可能性が、 再び私たちの手の届かない地点まで遠ざかるのか、 それとも、 しっかりと私たちの手中に収めることができるのか、 まさに私たちは二一世紀へ向けて、 人類の英知を問われようとしております。 頑張らねばならないのは、 まさにいまだと思います。 みなさん、 お互い頑張ろうじゃありませんか。

 もっと、 いろいろごあいさつしなければならないことが、 たくさんありますが、 主催者から、 「三分以内で必ず終わって欲しい」 と強く言われておりますので、 このへんで終わらせていただきます。

 世界大会のご成功を祈り、 一言、 ごあいさつとさせていただきました。 ありがとうございました。

 ありがとうございました。

 続いて、 公明を代表して、 柳井伝八副代表より、 ごあいさつをお願いします。


あいさつ

公明 柳井 伝八   

 ご紹介を賜りました、 公明・副代表の柳井伝八でございます。 本日、 「被爆五二周年原水爆禁止世界大会」 に集った全国の、 さらに全世界の有志のみなさまに、 公明を代表し一言連帯のごあいさつを申し上げます。

 まず最初に私は、 ここ広島の 『原爆ドーム』 が昨年の暮れ世界遺産に登録され、 核兵器全廃、 世界不戦のシンボルとして一段とその重みを増したことをみなさまとともに心から喜びあいたいと思います。 わが国は広島、 長崎と核兵器の脅威を体験した 「地球上で唯一の被爆国」 であります。 そして、 原爆ドームは、 この悲惨な体験を二度と繰り返さないために警鐘を打ち鳴らす、 〈被爆の生き証人〉であり、 この 「世界遺産」 への登録を機に、 われわれはどこの国よりも世界に 「平和のメッセージ」 を発信する使命と責務が課せられていることをあらためて確認しあいたいと思うのであります。

 昨年、 国際司法裁判所は核兵器使用・威嚇を、 「一般的に違法」 とする判断を下し、 また国連総会では、 あらゆる核兵器の爆発実験とその他の核爆発を禁止する 「包括的核実験禁止条約 (CTBT)」 が採択されるなど、 核軍縮の進展にとって画期的な年となりました。 その発効にはいまだ多くの時間が必要かも知れませんが、 大事なことは核保有国など条約の指定する諸国が、 一日も早く批准にいたる環境づくり、 世論作りを忘れてはならないということです。 また、 「第二次戦略核兵器削減条約 (START)」 は、 ロシアがその批准を躊躇しており、 われわれは人類の名において大国の良識ある決断を期待したいのであります。

 冷戦終結後、 世界各地で民族対立、 地域紛争が一気に爆発しました。 一口に地域紛争といっても様々で、 北アイルランドでは宗教対立を軸に帰属する国家をめぐる紛争にエスカレートし、 パレスチナでは民族、 宗教、 領土が絡みあって対立し、 アフリカのソマリア、 ルワンダでは、 部族間で対立しているというように対立抗争の要因が複雑多岐をきわめ、 ここでは国連のPKOや多国籍軍の介入の余地すらも許さぬ状態であります。

 さらにこれらの紛争を継続・激化させている要因の一つに、 紛争地域への 「武器輸出」 があります。 先進資本主義国は武器輸出の主要供給国であり、 途上国への武器輸出上位五カ国が国連安保理事会の常任理事国であることは周知の事実であります。

 このような状況を心から憂うる一人として私は、 全世界に向かって声を大にして訴えたい。 それは、 「このまま武器の製造、 輸出を野放しに継続することは、 いずれ人類の破滅に通ずることを認識し、 直ちに中止すべきである」 と。

 口に世界平和を唱え、 裏で 「武器輸出」 を増大させて自国の経済的豊かさを誇るこのような矛盾に満ちた政策を先進諸国は決してとるべきではありません。 冷戦時代、 夢物語と思われた 「核拡散防止」 や 「兵器の削減」 が、 いまや多方面から提案が相次ぎ、 にわかに現実味を帯びてきているではありませんか。 そのような世界の動向に断じて逆行すべきではないと思うのであります。

 ここに集った平和を愛する世界の有志のみなさん、 国際の平和と人類の幸福のために一緒に汗を流そうではありませんか。 私たち公明も、 草の根平和運動をさらに幅広く展開し、 世界平和の実現にともに行動することを表明しごあいさつといたします。

 本日は大変にありがとうございました。

 ありがとうございました。

 続いて、 新社会党を代表して、 山口哲夫書記長より、 ごあいさつをお願いします。


あいさつ

 新社会党 山口 哲夫    

 広島、 長崎をはじめ全国の仲間のみなさんの声が世界に届き、 この一年間が、 核軍縮に向けて前進した年であることを、 みなさんとともに喜びあいたいと思います。 国連総会では昨年の九月に包括的核実験禁止条約 (CTBT) が採択され、 一二月には核兵器禁止条約の早期締結を求める決議が採択されました。 しかしこの国連決議に日本の代表が棄権したのは見過ごすことのできないことです。 CTBTを形骸化させるアメリカの未臨界核実験に、 日本政府が中止を求めなかったことも重大です。

 フランス政府は、 プルトニウムを増殖するための 「スーパーフェニックス」 を廃炉することに決定しました。 しかし日本では、 「もんじゅ」 や再処理施設で決定的な事故を起こし、 核燃料サイクルは完全に破産したにもかかわらず、 政府はその開発路線を相変わらず追い求めています。 このことはアジアをはじめ世界の人々に、 大きな疑念を生み出しています。 被爆国日本の態度はここでも問われているのです。

 非核地帯の創設も世界的には進展をみせています。 すでに南半球はラテンアメリカのトラテロルコ条約、 南太平洋のラロトンガ条約に加えて、 昨年は東南アジア非核地帯条約、 アフリカのペリンダバ条約が調印されるなど、 非核地帯によっておおわれています。 非核地帯を、 北半球にも広めて、 一日も早く地球全体をおおわなくてはなりません。 新社会党の矢田部委員長は、 四月に北京で開かれた 「第三回アジア太平洋の平和・軍縮・共生の国際会議」 で東北アジア非核地帯の設置を提唱し、 多くの共鳴を得ているところです。 しかしここでも、 被爆国日本に課せられた役割を果たすためには、 いつまでも日米安保条約の核の傘のもとにいることは許されません。 核を含む安保条約は、 いまや解消され、 平和友好条約にとってかわるべきときです。 「日本周辺の有事」 などに対処することを名目に、 核付きの安保条約をアジア太平洋地域にまで拡大して自衛隊が出動することなど、 断じて許されることではありません。

 日本の平和憲法は、 アジア諸国民二〇〇〇万人、 国民三〇〇万人の血であがなわれた不戦・非武装の誓いです。 憲法第九条の誓いは、 広島の心であり、 長崎の心であり、 沖縄の心です。 日米防衛協力のガイドラインの見直しや、 有事法制の整備や、 憲法制度調査委員会の国会設置などの形で、 この広島や長崎の心が踏みにじられることを、 私たちは断じて許すわけにはいきません。 新社会党はみなさんとともに、 全力でこれに対する闘いに立ち向かう覚悟です。 これからの一年をともに頑張りましょう。

 ありがとうございました。  続いて、 ご来賓の政党・団体のみなさんからごあいさつをいただきます。 はじめに、 自由民主党を代表して、 山崎拓政調会長より、 ごあいさつお願いします。


あいさつ

自由民主党 山崎  拓   

 本日、 被爆五二周年原水爆禁止世界大会・広島大会が開催されるにあたり、 本大会にお招きいただきましたことに感謝申し上げ、 自由民主党を代表してごあいさつ申し上げます。

 原水爆禁止日本国民会議が、 さまざまな立場や意見の違いをお互いに尊重しつつ、 この運動を盛り上げてきましたご努力に心より敬意を表します。

 わが国は世界で唯一の被爆国として非核三原則を堅持し、 従来より一貫して核兵器のない世界の実現を訴えてきました。  昨年の国連総会では、 九四年、 九五年に続き、 「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議」 を提出し、 圧倒的多数の賛成により採択されました。 これはわが国の核軍縮に対する努力と姿勢に対する理解が国際社会において広く得られたためであると考えられております。

 さらに昨年には核兵器のない世界に向けた歴史的な一歩である包括的核実験禁止条約が合意されました。

 わが国は地下核実験を含むあらゆる核実験を禁止する同条約を永年希求してきたところであり、 先の通常国会において同条約に批准のための国会承認を行ないました。 これは条約発効のために批准が必要とされている四四ヵ国中第一番目のものであります。

 わが党は今後とも積極的な議員外交を通じて包括的核実験禁止条約の早期発効、 カットオフ条約交渉の早期開始を目指すほかすべての核兵器国に対し、 いっそうの核軍縮努力を促していく所存であります。

 また、 被爆後半世紀を経たいまなお、 広島、 長崎において被爆された方々がさまざまな、 後遺症に苦しんでおられます。 こうした方々の言葉では言い尽くせないご苦労を忘れてはなりません。

 被爆された方々が安心して暮らしていただけるようにしていくことは、 政治に携わるものの責任です。

 こうした被爆された方々に対する施策につきましては、 平成六年一二月に、 被爆者の方々の高齢化が進んでおり、 被爆者援護対策の充実強化が緊急の課題であること、 被爆後五〇年という節目の年を迎えることなどから、 わが党をはじめ与党間で精力的な調整を行ない、 国会で十分に審議した上で被爆者援護法を成立させました。

 この法律は、 国の責任において被爆者の方々に対する保健、 医療、 福祉、 平和祈念事業の実施等にわたる総合的な援護対策を講じるものです。

 このうち、 平和祈念事業の実施につきましては、 本年六月には厚生省に設置された 「原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会」 の中間報告等が公表され、 祈念館の開設に向けた検討が進められているところです。

 自由民主党は、 今後ともこの法律に基づき、 高齢化の進展など被爆者の方々を取り巻く環境の変化を踏まえながら、 被爆者に対する介護手当等諸手当の額の改善など被爆者援護施策のよりいっそうの推進に努めてまいる所存です。

 最後に、 原水爆禁止日本国民会議の今後の益々のご発展とご活躍を祈念いたしまして、 私のごあいさつといたします。  ありがとうございました。

 続いて、 民主党を代表して、 竹村泰子政策調査会副会長より、 ごあいさつお願いします。


あいさつ

民主党 竹村 泰子   

 みなさま、 こんにちは。

 私の住んでおります北海道から沖縄にいたるまで全国津々裏々から、 八月の暑い広島に、 また長崎に、 こうして集まることが出来ましたことは、 誠に感動を呼ぶものです。 また、 決して被爆者の方々を忘れない、 原爆を忘れない、 そう思います。 原爆が落ちたのは日本だけでございますけれども、 ヒバクシャは本当に世界中に二五〇〇万と先程ご報告がありましたが、 多くのヒバクシャの方々、 原発の中で働く被爆労働者の方々、 そういった方々の上に思いをいたしながら、 心に刻みながら、 長崎の九日にいたるまで、 ともにみなさまとご一緒にこの大会をもつことが出来ましたこと、 私も非常に心に覚えるものでございます。

 広島にまいりますと本当に多くのことを思います。 一瞬のうちに何が起きたかわからずに、 皮膚をボロのように下げ、 そして黒コゲになりながら市内を流れる多くの川を埋め尽くしたあの屍の数々。 私たちはそういった本当に言い知れぬ怒りと悲しみを覚えるわけでございます。 私も核の問題に二十数年前から関わっておりまして、 アジアの人々にある日言われたことに本当に驚愕をいたしました。 「もし日本に原爆が落ちなかったら、 日本の日帝と呼ばれる帝国は、 もっともっとアジアへの暴力の限りを尽くしていったんじゃないか」 と。 「あなたたちは原爆原爆と言うけれども、 私たちにとっては正に解放の日だったのだ」 と。 また、 広島でもそうだったかも知れませんが、 長崎ではとくに、 朝鮮韓国の方々の死体が死んでまで差別を受け、 うず高く積まれた。 それが先程から度々出てまいります丸木位里・俊さんの原爆の絵の中に 『カラス』 という絵となって存在している。 こういったことを私どもは三〇年、 四〇年前までは気がつかず、 ただ被害の実態を訴えるものと思っていたことを深く恥じ入るものでございます。

 今日、 私どもは、 こうしてご一緒に相まみえる中で、 短い三分という限られた時間の中でごあいさつを申し上げなければなりません。 先程から数々お話が出ております通り、 九六年、 昨年はICJが核兵器は国際法に違反するという勧告的な意見を出し、 またオーストラリア政府が主催するキャンベラ委員会では核保有国に対して全ての核兵器を廃絶することを直ちに無条件に約束するということを出し、 九月にCTBTが採択されました。 私どもはこういった記念すべき非常に大きなうねりの時を迎えていると思うわけでございます。

 私は、 今回の基調の報告をじっくりと読ませていただきました。 どうぞみなさま、 私もいろいろな大会に出て、 基調の報告を読ませていただきますけれども、 この大会の基調には思いがいっぱいに満ち溢れております。 私どもの行動がいまやまさにこのうねりの時を迎えていて、 やらなければならないことの具体的な方向が示されていて、 例えば非核三原則の法制化とか、 北東アジアの非核化に向けて、 あるいはプルトニウム利用計画の転換、 そして核のない二一世紀を目指してと、 多くの方向性がきちんと書かれておりますことに心からそのご準備に敬意を表するものでございます。

 私どもも、 まだ出来て一〇ヵ月に満たない党でございますけれども、 この基調にまさに賛成をし、 そしてご一緒に歩むことを心からここに誓いを申し上げまして、 一言ごあいさつとさせていただきます。 ありがとうございました。

 ありがとうございました。

 続いて、 市民団体を代表して、 日本青年団協議会副会長の青山英治さんに、 ごあいさつをお願いします。


あいさつ

日本青年団協議会 青山 英治   

 被爆五二周年原水爆禁止世界大会の開催にあたり、 全国各地で活動する地域青年団を代表して連帯のごあいさつをさせていただきます。

 広島・長崎の原爆投下から五二回目の夏を迎えました。 わが子を探して狂ったように叫ぶ母親、 「水をください」 と手をさしのべる黒こげの人。 広島の地にたつと、 私たちは当時のあまりにも悲惨な様子を思い起こさずにはいられません。

 あれから五二年。 被爆者を中心として多くの平和を願う人々の強い期待にも関わらず、 世界にはいまだに、 人類を何度も全滅させうる核兵器が存在し、 核実験による被害の実体も依然明らかにはなっていません。 さらに、 七月二日、 アメリカが臨界前核実験を行ないました。 これはCTBTの下においてもアメリカの核の優位性を永久化しようとするねらいがあることは明らかです。 被爆国日本の青年として、 依然として核抑止政策を変えようとしない核保有国に対し、 あらためて強い憤りを感じるものです。

 しかし、 こうした動きとは逆に、 世界では核廃絶の力強い声があげられたことに、 私たちは大いに励まされました。 国際司法裁判所の 「勧告的意見」、 CTBTの採択、 世界一七カ国の元軍幹部による核兵器廃絶を求める声明、 核兵器廃絶条約実現のために国連総会で四つの決議が採択されるなど、 世界の各界各層の声と行動が核兵器廃絶への大きな流れを生み出しつつあります。

 非核地帯条約もトラテロルコ条約、 ラロトンガ条約、 東南アジア非核地帯条約、 ペリンダバ条約と、 ほぼ南半球を全体に拡大されたことも大きな成果といえます。

 国内においても、 非核自治体宣言を行なっている自治体は、 二二〇〇にのぼり、 全国の津々浦々で広島・長崎の被爆の実相を普及する取り組みや、 平和を考える多様な取り組みが行なわれています。

 私たちは、 被爆体験の風化も危惧される中で、 若者や子どもたちが広島・長崎の被爆の実相をしっかり引き継ぎ、 語り継いでいく草の根の平和運動の広がりと発展が、 緊急かつ大変重要なことであると思います。 また、 あの戦争で日本がアジア諸国に何をしてきたのか、 日本国内でどのようなことがあったのかなど、 歴史の事実を自分たちの手で掘り起こす動きが全国各地で起きています。 私たち地域に生きる青年は、 全国津々浦々で取り組まれているこうした平和運動の輪をさらに広げ、 積み重ねながら、 地域から世界に向けて核兵器廃絶の声を上げていく決意を新たにしています。

 二一世紀には、 必ず核兵器のない世界を、 私たちの手で作り上げようではありませんか。

 その道筋をつくるために、 今大会が有意義な討論と実践の集約の場となられますことを心からご期待し、 連帯のごあいさつといたします。 ともに頑張りましょう。

 ありがとうございました。

 続いて、 日本労働組合総連合会鷲尾悦也事務局長からのメッセージを連合組織行動局長の松井光広さんにご紹介いただきます。

 ただいまご紹介いただきました連合の松井でございます。 冒頭、 個人的な想いを申し述べて恐縮ですが、 本原水爆禁止世界大会、 私にとって二四年ぶりの参加で、 大変にうれしく思います。 当時は一単組の役員でしたが、 愛労評の代表団の一人として、 はじめて、 この地広島に入り、 世界大会に参加し、 そして原爆資料館を見学し、 その悲惨さに涙を流すとともに原水禁運動こそ、 人間として最も重要な運動のひとつと強く認識しました。 あの日から二四年、 本世界大会が、 原水禁の運動が、 生き生きと続いていますことを、 まずもって心から敬意を表したいと思います。

 さて、 被爆五二周年原水爆禁止世界大会広島大会の開催にあたり、 代読で大変に恐縮ですが、 連合からの連帯のメッセージを読みあげさせていただきます。


メッセージ

日本労働組合総連合会 鷲尾 悦也   

 「被爆五二周年原水爆禁止世界大会・広島大会」 にご参集いただきました、 世国の仲間のみなさん、 大変ご苦労さまでございます。

 五二年前の一九四五年八月六日、 人類史上はじめて、 広島に一発の原子爆弾が投下され、 この地、 広島は廃墟と化しました。 本集会の開催にあたり、 あの忌まわしい原子爆弾により、 尊い生命を亡くされた多くの犠牲者の御霊に、 連合八〇〇万組合員を代表して、 謹んで哀悼の誠を捧げます。

 戦後はいつしか五二年が過ぎ去り、 戦後生まれが国民の七〇パーセントを占めるようになり、 戦争の愚かさと悲惨さ・ヒロシマの原爆体験が風化してきたといわれています。 しかし、 「ノーモア・ヒロシマ、 ノーモア・ナガサキ」 の国民の叫び、 脈々と続いてきた平和運動こそ、 今日のわが国の発展の原点であり、 永久に失ってはならない国民運動といえましょう。   「あらゆる核実験の禁止」 と 「核兵器の廃絶」 は被爆国日本の悲願です。 連合は核兵器の廃絶が実現するまで、 本集会を主催されている原水爆禁止日本国民会議および核兵器禁止平和建設国民会議の三団体がともに力をあわせて、 そして、 国際的にはICFTUの仲間と連帯し、 核兵器のない世界の実現のため努力していく決意です。

 ご参集のみなさん。 もう一度申し上げます。

  「世界平和を願う国々や人々」、 「ヒロシマ、 ナガサキの被爆者や市民」、 「本日お集まりの全国の仲間」 とかたく連帯し、 「ノーモア・ヒロシマ」 「ノーモア・ナガサキ」 の叫びを、 私たちの平和への願いを、 声高らかに全世界にとどろかせましょう。  最後になりましたが、 本集会開催のための地元関係者のみなさんのご努力に、 心から感謝申しあげて 「連合からの連帯のメッセージ」 といたします。  さて、 ここで本大会によせられているメッセージをご紹介させていただきます。  


メッセージ

新党さきがけ 堂本 暁子   

 今年もまた広島の夏がめぐってきました。

 五二年前の夏この広島の地において、 一瞬のうちに命を奪われた方々、 そしていまなお原子爆弾の傷跡の苦しみに絶えておられる方々、 あるいは五二年苦しまれた後お亡くなりになられた方々、 この多くの方々のことを考える時、 深い悲しみと原爆投下に対する憎しみを感じざるをえません。

 被爆者の方々、 そしてご遺族、 ご家族の方々のこの痛みを後の世代に正しく伝え、 あらためて平和を目指すことをお誓いいたします。

 そして同時に、 アジアをはじめ世界各国に対して日本が多大な苦痛を与えたことも忘れてはなりません。

 過去への真摯な反省と率直なお詫びによる真の和解を実行し、 核兵器の廃絶に向けて不断の努力を続けてまいります。  最後に実行委員会の多年にわたるご尽力に敬意を表しますとともに、 大会のご盛会とご参集のみなさまのご多幸をお祈り申し上げます。

 続きまして、 この大会に出席されています海外代表のみなさんを、 世界大会実行委員会国際作業委員長の和田長久さんから紹介していただきます。 ご紹介しました海外代表の方はその場でお立ちください。 海外代表紹介  続いて、 海外代表のみなさんよりごあいさつをいただきます。

 まず最初にごあいさついただくのは、 アメリカから参加のアラン・クランストンさんです。 アラン・クランストンさんはカルフォルニア州選出の元上院議員で、 昨年一二月に出された 「軍人による核兵器廃絶のための声明」 では、 そのとりまとめに中心的な役割をはたされました。 また、 現在はゴルバチョフ元ソビエト大統領などとともに、 「文民による核兵器廃絶のための声明」 の発表に向けて努力されているところです。 通訳をしていただくのは結城八重子さんです。

 それではお願いします。


海外代表のあいさつ

アラン・クランストン    

 みなさまと一緒にいることを大変嬉しく思います。 また、 広島からお招きをいただいた事を誇りに思います。

 この地に原爆が落とされて間もなくのことですが、 アルバート・アインシュタイン博士に私は会いました。 そのときに博士は、 全面的な核戦争というのは地球上の命を全て滅ぼしてしまうものであると警鐘を鳴らしていました。

 以来私は、 みなさまがこうしてここに集まっている、 あの兵器を廃絶するという目的で活動を続けてきました。 今日は広島のために大勢の子供たちがステージに上がってアピールを発表していました。 素晴らしいことです。 そしてそれと同時に、 私が今日見たあの可愛い子たち、 若い人たち、 無邪気な子たちと同じ子どもたちが、 爆弾によって希望も夢も将来も家族も、 そしてその命も破滅へ導くにいたったということは、 私の胸をかきむしるような悲しい事であります。

 私は昔アメリカ上院議員をつとめておりましたが、 その時ワシントンからモスクワに飛びまして、 当時ソビエト連邦の指導者であったゴルバチョフ大統領と会談し、 いかにこのような核戦争の危険に終止符を打つべきかを話しました。 モスクワに訪問したとき、 学校にも行きました。 そこでやはり、 今晩広島に集まってきた子どもたちと同じような幼い子、 罪のない無邪気な子をたくさん見ました。 そしてそのとき思ったのです。 アメリカの核兵器の標的になっているのがこの子たちであると。 同時に、 ソ連を訪問している私もアメリカの兵器の標的となっていると。 それから私はワシントンに戻りましたが、 ワシントンDCにもたくさんの学校があります。 この子どもたちは、 ソ連の核兵器の標的になっているのだとあらためて感じました。  まるで世界全体が、 狂気の沙汰になってしまったような感じだと思いました。

 ゴルバチョフ大統領とブッシュ大統領は、 同様な経験をもっていたのでしょう。 最初の首脳会談で様々な話し合いをした後、 週末には山荘へとヘリコプターで向かいました。 そのひっそりとした環境の中で、 いかにソ連とアメリカの間の平和を構築することができるかという話しあいをしたのです。

 ところでこの山荘に向かったヘリコプター、 いわゆる平和のミッションであったわけなのですが、 両大統領の他に乗っていた人は誰でしょうか。 まず操縦士、 副操縦士、 ブッシュ大統領夫人、 ゴルバチョフ大統領夫人、 実はその他に二人の人物が乗っていました。 一人はロシアの人で、 ゴルバチョフ大統領がそのボタンを押せば核攻撃をすることが出来る装置を携えて、 大統領にしたがっていました。 そしてブッシュ大統領の方にも、 同様のボタンを持った人がいたのです。 恐らくその状況下で、 ブッシュ大統領もゴルバチョフ大統領も、 人々の活動としてこのようなやり方はあるまじきものではないかと思ったでしょう。

 今夜は多くの方が、 この一年間、 核廃絶に向けて大いなる進展があったと語られました。 これからもこのような危険を削減していくことは、 この国の人たち、 そして私の国の人たちにとっても課せられた役割であると思います。 しかし、 このように様々な状況で事態は進展している、 冷戦も終わりを告げた、 そしてまたエリツィン大統領とクリントン大統領の間では核兵器削減交渉が進んでいる、 いまさら心配する事はあまりないのではないか、 という声もあります。

 しかし事実は、 冷戦時代よりも核戦争の危険は大きくなっています。 ロシアはいま混乱状態にありますし、 このような事態を考えてみても、 いわゆるミスによって誤った核兵器の発射がどちら側からもされかねない、 その可能性は消えておりません。

 残念なことに、 米ロ両国ならびにその他三ヵ国の核保有国も、 核兵器は臨戦状態として配備されています。 すなわちボタンを押せば発射できる状態にあるわけです。 またロシア国内の混乱状況は、 テロリスト達が核兵器を手にする確率を高めているともいえます。 もし彼らが核兵器を手にすれば、 使用に躊躇することはないでしょう。

 幸運なことに、 大きな軍事力を持ち、 外交関係をも築いている政府を率いる主要国の首脳たちは、 日本、 アメリカ、 ロシアを含めての話ですけれども、 共通の認識をもっています。 冷戦が終わりを告げた、 そして核兵器廃絶のための願ってもない、 しかしながら永続はしないチャンスがやってきたと。 かつ、 こうした指導者の人たちは、 これほど多くの兵器をこれかもずっと継続して抱えていくということは文明の名に値しない行為であると認識しています。 また、 こうした兵器とこの地球上の人類との共存は出来ないものだという認識ももっています。 つまり兵器がこのまま存在を続ければ、 いつかは使われる日がやってくるかも知れません。 抑止という効果もあることはあるのかも知れませんが、 抑止に失敗したとき、 その結果にくるものはとんでもない破滅です。

 最後に、 人はこうも言っています。 全てを破壊するようなものを土台にしてその存在を考えているということは、 人類の尊厳にとって甚だ不適切であると。 そして最後に申し上げたいと思います。 みなさんの活動に心から感謝します。 そしていろいろなことをその懸念として受け止めてくださることに感謝します。 また人類の歴史上かつてなかった重要な使命をもって、 これからもみなで歩んでいくことを願っております。 そして核のない平和な世界をともにつくっていきたいと思います。

 ありがとうございました。

 ありがとうございました。

 続いて、 ごあいさついただくのは、 マーシャル諸島からの参加のトニー・ドゥブルムさんです。 トニー・ドゥブルムさんはマーシャル諸島共和国の外務大臣も務められた現職の国会議員で、 ビキニ環礁での核実験におけるヒバクシャのお一人です。 それではお願いします。


海外代表のあいさつ

トニー・ドゥブルム    

 ご紹介ありがとうございました。 こんばんは。  まず、 最初に原水禁のみなさまに今回お招きいただきましたことを、 厚く御礼申し上げます。 またかくも多くの人たちを集わせていただきましたことを御礼申し上げます。 また、 私の前にいろいろお話しくださった発言者の方に対しても、 様々な核兵器に関する考え方を教えて下さった、 そのご助言に御礼申し上げたいと思います。 とくに土井たか子さんには御礼申し上げたいと思います。 お話の中でマーシャル、 ビキニの人々も同じ犠牲者であると言及してくださいました。

 一九四七年から五八年にかけて六八発の原子爆弾等が、 マーシャル諸島で実験されました。 五四年のブラボー実験というのは、 事故によって起こったものであったということも特筆したいところですが、 それぞれの爆弾がわれわれのマーシャル諸島、 太平洋のみならず世界にわれわれに害になるような毒をもたらしたのです。 これらの爆発実験を私は当時まだ幼かったのですが見てきました。 覚えています。 しかし、 今日はマーシャルの人たちを代表して、 みなさまに連帯のごあいさつをしにまいりましたし、 被爆五二周年の原水禁大会が盛会に催されていることに心からお祝いを申し上げたいと思います。

 マーシャルの人々は全員が特別な絆を広島、 長崎の人たちに感じています。 なぜならわれわれも原子爆弾の惨禍を、 いままで生き延びてこなければならなかったからです。 核兵器の放射能汚染には差別がありません。 高齢者も、 親も、 子も、 われわれの子どもの子どもも例外なくその毒にさらされるわけです。 そして母親の子宮にいる子どもにも核の毒が降り注ぎます。

 われわれがこういった話をして過去の記憶を呼び起こそうとしているのは、 何も過去に浸って生きていくつもりだからではありません。 こうした記憶をもって、 将来同じことを二度と繰り返さないように、 その予防を含めて語っているのです。 そしてここで申し上げたいのは、 完全に核兵器がない世の中にならない限り、 私の将来も、 みさんの将来も、 世界の人々の将来も、 明るくないのだということです。

 ありがとうございました。 ごあいさついただきましたアランさん、 トニーさんそして海外代表のみなさんに、 もう一度盛大な拍手をお願いします。 (拍手)

 続きましては、 被爆者からのアピールを、 広島県朝鮮人被爆者協議会会長の李リ実根シルグンさんにお願いしたいと思います。

 五二年前の八月七日、 神戸市三宮から帰宅途中広島市に入って被爆された李さんは、 七五年に在日朝鮮人被爆者としてはじめての被爆者団体である広島県朝鮮人被爆者協議会を結成され、 以降、 国連軍縮総会をはじめとした国際会議への参加やアメリカ・ヨーロッパへの講演活動を通して、 積極的に核兵器廃絶運動に取り組んでこられました。  李さん、 それではよろしくお願いします。


被爆者からの訴え

広島県朝鮮人被爆者協議会会長 李 実根   

 私は、 在日朝鮮人被爆者を代表し、 被爆五二周年原水爆禁止世界大会開会総会に結集されたみなさんに熱い友情と、 固い連帯のあいさつを送ります。 一九四五年八月六日あの日、 あの時の閃光を浴びたのは日本人だけではありません。

 自分の国でもない遠い異国に連れてこられ、 牛馬のように酷使されたあげく、 途方もない大きなきのこ雲に包まれて、 そのまま異国の土の上にくずおれてしまった多勢の朝鮮人がいることを知って下さい。

 みなさん、 あの忌まわしい原爆被害や、 一般戦争被害も、 またアジア諸国に与えた数々の戦争被害もそのすべては、 日本国が起した戦争が原因であり、 原爆被害は正にその戦争の延長から発生したもっとも惨酷かつ非人道的犯罪によるものであります。

 もしも日本が、 あの不法な侵略戦争さえ引き起こさなかったなら、 もしも日本があのとき大陸侵略を夢みて朝鮮半島を植民地支配しなかったら、 さらにまた日本へ強制連行しなかったなら、 あれだけ多勢の朝鮮人が被爆したでしょうか!

 戦争とは直接関係のない老人や女子どもたち、 それに他国の民族まで無差別に焼き殺され傷つき、 生涯いえぬ後遺症のために悩み、 苦しみ悲しみ続けている被爆者をつくったのは、 正に戦争をおこした日本国当局にあたると思います。

 したがって日本政府当局は国の戦争責任をすなおに認め 「国家補償にもとづく援護法」 を制定して、 国の内外を問わずすべての被爆者を救済しなけばならない重大な責務があると思います。

 私はあらためて訴えます!

 広島・長崎で被爆した人々が戦後何処の国で居住していようとも、 それらすべての被爆者には日本国家の責任においてきちっと救済しなければならないということを!

 同時にまた 「戦争の早期終結」、 「アジアの解放」 などの美名の下に人類史上初めて国際法に違反する怖るべき核兵器を使用したアメリカの犯罪行為も全人類の名において強くきびしく糾弾されなければならないと思います。

 周知のように、 今日北東アジア地域を非核平和地帯に変えることは、 全アジア地域のみならず世界人類の切実な念願であります。 幸い数日前より朝鮮半島和平のために 「四者会談」 の見通しが明るくなったいま、 私たち朝・日被爆者代表が、 一九九六年五月北朝鮮の首都ピョンヤンで調印した 「東北アジア非核化」 のための共同コミュニケを、 その実現に向けて年内にも大きく一歩踏み出さなければならないと思います。

 そのためにも、 われわれ朝・日被爆者や両国の人民がよりいっそう連帯を強化し、 交流を深めていかなければならないと思います。

 最後に私はその実現のためにみなさんとともに固く力をあわせ、 命の続く限り闘い続ける強い決意を表明し、 私の訴えを終ります。

 ありがとうございました。

 ありがとうございました。

 ここで、 この開会総会の参加者総数についてご報告します。 参加者総数は、 主催者発表で、 五〇〇〇人となりました。  さて、 原水禁世界大会は、 このあと明日五日には、 広島市内の会場を中心として、 「CTBTから核兵器禁止条約へ」 や 「北東アジアの非核化にむけて」 をはじめとした分科会や 「エネルギー問題を考える」 公開討論会が開催される他、 女性の広場や親子のつどい、 子どもの広場、 「ヒロシマと戦争」 バスツアーなどが行なわれ、 六日には 「まとめ集会」 が開催され、 七日からの 「長崎大会」 へと続いていきます。

 ここで、 平和への願いと決意をこめて参加者全員で 「原爆ゆるすまじ」 を合唱いたします。 恐れ入りますが、 ご起立をお願いします。 歌詞はプログラムの裏に載っています。

 アコーディオンの伴奏とコーラスは、 広島県音楽サークル協議会のみなさんです。 それではどうぞ。

 「原爆を許すまじ」

 ありがとうございました。 ご着席下さい。

 最後に閉会のあいさつを、 原水禁世界大会広島実行委員会代表委員の中垣八朗さんにお願いします。


閉会あいさつ

広島実行委員会代表委員 中垣 八郎   

   予定よりも二〇分ばかり遅れましたが、 最後まで本当に整然と静聴いただきまして、 ありがとうございました。 地元を代表して一言お礼を申し上げたいと思います。

 今回の開会総会は昨年、 世界が本当に核兵器廃絶に向いて動いたということをお互いが確認し、 今年はさらにその核兵器廃絶へ向けて確かな一歩を踏み出していこういうことが一つであったと思います。 二つ目はいま、 日本を含む北東地域の中で二〇〇〇発という原爆が構えられておるわけでありますが、 世界の注目をしておる北東地域ここになんとしても非核地帯を確かなものにしていこうということが二つ目であったと思います。 そして、 非核三原則を中心にいたしました非核法を今年こそは制定していこうということでありました。 そして、 また大変危険なプルトニウムの政策を転換をしていこう。 そしてあくまでも国家補償ということを明記をした援護法の制定をめざしていこうなどの基調提案がございましたが、 多くの政党のみなさん、 海外の代表のみなさん、 そして市民代表のみなさんが力強い支持をするという意見表明もございました。 ここに参加するみなさんとともに、 この基調についてしっかり確認をいたしますとともに、 明日からなんとしてもこの一年間やりぬくぞということをお互いに誓い合いたいと思います。

 そして明日から、 分科会、 そして長崎大会へこの基調をしっかり引き継いでいただきたいことをお願いをいたしまして被爆五二周年原水禁世界大会の開会総会を終わらせていただきます。 最後まで大変ありがとうございました。

 ありがとうございました。

 被爆五二周年原水禁世界大会開会総会も、 みなさんのご協力で成功裡に終了することができました。

 本当にありがとうございました。

 これで世界大会開会を閉会いたします。

 暑い日が続いています。 体に気をつけて、 お互いに頑張りましょう。 大変おつかれさまでした。


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