![]()
〜 被爆53周年原水爆禁止世界大会開催のよびかけ 〜
私たちが、核のない21世紀に向けて、ポスト被爆50年の具体的な取り組みをスタートさせて3年目を迎えます。この数年間、世界は核廃絶へ向けてかつてなく大きく前進しました。とくに一昨年から昨年にかけては、核兵器の廃絶に向けた動きが「歴史的な勢い」をもって、私たちの前にハッキリと姿を現わしました。
96年9月には私たちの長年の願いであった包括的核実験禁止条約(CTBT)が成立しました。これに先立って、7月には国際司法裁判所(ICJ)が核兵器の使用が一般的には国際法に違反するとの「勧告的意見」を示し、核兵器国は核軍備撤廃に向けた交渉を進める義務があると述べました。8月にはオーストラリア政府が主催する「核廃絶に関するキャンベラ委員会」が核保有国に対して、すべての核兵器を廃絶することを直ちにかつ無条件に約束することを求めました。さらに、12月には世界の17ヵ国の元将官60人が核兵器廃絶を求める声明を出し、マレーシアなど45ヵ国が共同提案した核兵器禁止条約の早期締結を求める決議も採択されました。
こうした動きは、これまでも核兵器に否定的だった人々だけでなく、むしろ核兵器政策を推進してきた人々のなかからも核軍縮を求める大きな声が生まれ、核廃絶へ向けた動きに合流してきたことによって実現したものです。私たちはこうした事実に注目して、勇気づけられながら、この勢いをさらに強めていくことで、核のない21世紀を展望できると考えました。昨年の被爆52周年原水禁世界大会で、いまこそ全力をあげてこの流れを加速させようと誓いあったのです。
しかし、その後この勢いは足踏みを続け、十分に加速するには至りませんでした。むしろ、核保有国による未臨界(臨界前)核実験の強行など、核兵器を維持・伸張させようという動きが活発に表れてきたのです。5月に相次いで強行された、インドとパキスタンの核実験によって、核軍縮へ向けたこの流れは計り知れないダメージを受け、とんざしたと言わざるをえないでしょう。 しかし、20世紀の核軍拡競争の背景であった「冷戦」が終結するという、新しい条件が続いていることは変わりありません。むしろ、こうしたなかで期待されたほど核軍縮がすすまなかったことが、インドやパキスタンの核実験競争を正当化する口実ともされてきたのです。 20世紀もあと2年余を残すのみとなりました。核廃絶へ向けた流れを見失うことなく、再び勢いをとりもどし、核兵器のない21世紀につなげていくのか、このまま振り子が戻っていくのを見過ごしてしまうのか、いま私たちは重大な分岐点にあるのではないでしょうか。愚かな核実験競争を止めさせるためにも、早急に核軍縮を進めることこそが必要なのです。
また、95年12月の「もんじゅ」事故以降、東海再処理工場の爆発事故、「ふげん」のトリチウム漏れ事故など、相次いで発生した核燃料サイクル関係施設での事故は、事業主体の動燃に対する批判にとどまらず、国の原子力政策全般に対する広範な不信を巻き起こしました。現在も、事故直後ほどの勢いではないものの、脱原発を求める市民の意志はさらに強固に着実なものとなっています。
すでに、これらの事故によってこれまでのプルトニウム利用政策は破綻しつつあり、政府は余ったプルトニウムを使うために軽水炉(普通の原発)でプルトニウムを燃やす「プルサーマル計画」を強行しようとしています。私たちは核兵器への転用が容易で核拡散の観点からも問題の多い、プルトニウムの大量利用政策をなんとしても変えさせなければならないと考えます。
プルトニウム利用政策を中止させることが、エネルギー政策の転換を実現する巨大な一歩となることは間違いありませんし、核兵器の拡散を防ぐことにもつながります。。プルサーマル計画や六ヶ所村の核燃基地化に反対し、「もんじゅ」の運転再開を許さず、プルトニウム利用政策に反対する闘いもまた、いままさに正念場を迎えつつあるといえます。
私たちは世界のヒバクシャと連帯し救援の輪を広げながら、新たなヒバクシャを生み出すことのない、核のない社会をめざします。世界の仲間と連帯し、この1年間の反核・平和運動の取り組みを検証しながら、さらに力強く運動をすすめていくために「被爆53周年原水爆禁止世界大会」を開催したいと考えます。お互いの立場や意見の違いを尊重しながら、また、多くのみなさんの参加と協力をいただきながら、この大会をぜひとも成功させ、非核の21世紀への道筋を見つけだしていきましょう。
1998年6月3日
原水爆禁止日本国民会議 議 長 岩松 繁俊 副 議 長 市川 定夫 菊田 昭 西沢 清 宮崎 安男 事務局長 佐藤 康英
(印パの核実験強行という事態を受け、53周年大会の構想/呼びかけ文書は一部内容を改変しました。)