原水禁大会
2003.7.23 

ジョージ・ギャロウェイさん紹介

ジョージ・ギャロウェイはスコットランドのグラスゴー市選出の労働党下院議員で、1987年初当選、下院に4回選任され、現在は、より上級の議員(議会で前列に座る)のうちの1人です。過去15年のうちの14年間、国会の労働党の外務委員会の上級副議長に選ばれました。例外は1991年湾岸戦争中に僅差で破れた時でした。
彼はスコットランドのダンディー市で生まれ、16才で学校を出ると、ミシュラン・タイヤの工場労働者になりました。そこで彼は、運輸・一般労組に加わり、現在まで組合員を続けています。
彼は常勤の党のオーガナイザーになったその3年後、26歳のときにスコットランド労働党で選ばれた今までで最も若い議長になりました。

 1983年には、ロンドンへ移り、War on Want{グローバルな貧困根絶を目指して活動しているNGO、英国下院で超党派の「CTT(為替取引税─いわいるトビン税)推進議員連盟」の結成を推進するなどの反グローバリズムの運動で有名}の事務局長となり、1987年議員に選ばれて去るまで、その仕事を続けました。({ }内は訳者注)

 彼は、1970年代初期、たびたびレバノンを訪れ、はじめてパレスチナ問題に関わり、PLOを支持する活動家になりました。
1980年には、パレスチナの町ナブルスとダンディーの姉妹都市を実現。これにより、ダンディーの市庁舎はパレスチナの国旗を翻した西側で最初の公共建築になりました。
さらに、1980年には、彼は、パレスチナ支持の英国の労働組合の組織を作り、最初の事務局長になりました。1982年には、レバノン侵攻に反対する緊急委員会を設立しました。

 1990年には、パキスタンで市民に与えられるものとしては最も栄誉ある賞Hilal-i-Quaid-i- Azamをパキスタンの民主主義の回復に対する貢献に対して授与されました。また96年にはカシミールの人々への貢献のために、パキスタンの2番めに高い市民の賞を与えられています。

 1990年には、彼は湾岸戦争に対する有数の反対者のうちの一人でしたが、イラクは彼の訪れたことがない唯一のアラブの国でした。少なくともイラン―イラク戦争に関しては、イラクの政府に知られた反対論者だったので、(たとえ訪問しても)歓迎されえなかったでしょうけれど。
1991年には、イラクに関する緊急委員会を組織し、その議長に留まっています。委員会は2000年にイラクおよびパレスチナに関する緊急委員会[ECIP]と改名しました。

1998年には、彼が、癌治療用の大きな論争の中、英国へ連れて来られたイラクの子供マリアム・ハムザにちなんで命名されたマリアム・アピールを設立しました。

同アピールは、湾岸で連合軍の使用した劣化ウラン兵器によって引き起こされた癌の問題などをキャンペーンしました。2000年には、彼は、イギリス-イラク協会を設立し、今はその議長です。

 イランに関する国会の全会派議員グループの元幹事。英国の2番めに大きな日曜新聞「メイル・オン・サンデー」に毎週のコラムを執筆。また、ガーディアン、スペクテイターやモーニング・スターなどにも書いています。キャスター、著述家、演説者としても活躍。彼は国会の記者団によって今年の「国会での討論家」の称号を与えられている。
ストップ戦争連合の理事の一人