原水禁大会
2003.7.14〜

被爆58周年原水爆禁止世界大会 海外ゲストの顔ぶれ

アメリカ

ブルース・カミングズ
 朝鮮戦争、朝鮮現代史の研究で著名なシカゴ大学歴史学部教授。著書に「朝鮮戦争の起源」など。 参考記事(ルモンド・ディプロマティーク)、(朝日アジア・ネットワーク)

写真:シカゴ大学のサイトより

スティーブン・シュウォーツ
 ブリティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ誌 発行人・事務局長。1994年から98年にはブルッキングズ研究所で、外交政策研究プログラムの客員研究員として米国の核兵器コスト研究をとりまとめた。核兵器の専門家で、有名紙・雑誌に数多くの論説記事や投稿、TV番組のインタビューなどに多く出演。2001年ビキニ・デーで講演 関連記事

ブロックさんの詳しい紹介

ヴェラ・ブロック
 ネバダ核実験場の風下、ユタ州シダー市に生まれ、育つ。1953年家族で放牧していた羊数千頭が変死。核実験による放射性降下物によるものだった。ブロック家が政府に対して損害賠償の訴訟を起こすが、政府側の証拠隠しが明るみに出たにもかかわらず、1986年の最高裁決定では、原告の主張は認められなかった。ユタ州政府の歴史記事背景説明


イギリス詳しい紹介

ジョージ・ギャロウェイ
 イギリス国会議員・労働党、テレビ・インタビューで、ブッシュとブレアを「狼」と呼び、英国兵士にむけ、違法な戦争での違法な命令に従わないようよびかけて、労働党から停職処分をうける。
また、デイリー・テレグラフ紙の、ギャロウェイ氏がイラク政府から大金を受けとったという報道に関して、国会内での調査も行われている。デイリー・テレグラフと米国のクリスチャン・サイエンス・モニター紙によるこの報道は、イラク政府の建物が略奪され燃えた翌日に、発見されたと言われる文書に基づいている。(後に専門家による調査で、この文書はねつ造であることが明らかになり、クリスチャン・サイエンス・モニターは文書で謝罪) 関連WEBページ(ストップ戦争連合・英文)

写真:ストップ戦争連合のサイトより


韓国平和を作る女性たちの会紹介

李賢淑(イ・ヒョンスク)
 平和を作る女性たちの会(Women Making Peace)の3人の共同代表の1人。平和を作る女性たちの会は南北の女性交流のなかから1997年に結成。 南北の女性の交流と相互理解を図りながら平和の定着に努めている団体。


台湾

鍾淑姫(しょう・しゅくき、Chung, Shu-chi、北京語読み)
1960年台灣の新竹(Hsinchu)に生まれる。子ども二人の母。
1987年新竹地方の環境保護団体、新竹市公害防治協會に参加、草の根の環境保護運動に尽力。
1988年台灣で最初の大規模反原発行動に積極的に参加、また、林義雄(Lin Yi-hsiung)先生の指導する『核四公投』(第4原発の国民投票活動)に中心的なオーガナイザーとして関わる。新竹地方の反核活動組織の責任者。
1996年第三次の國民大會代表(廃止された国会議員の一種)に当選。国会内で環境保護の原則を台湾の憲法に入れることに努力。
2000年より行政院顧問及び、新竹市公害防治協會理事長で、現在に至る。
民族は客家人。民進党員


ドイツ

マンフレッド・フィッシェディック
 エネルギー・システム分析、エネルギー・モデリング/シナリオ、再生可能エネルギー、コジェネレーション、集中化/分散化発電システム、国内および国際的なエネルギー/気候保護政策の手法(共同実施や排出権取引など)を専門に研究。ヴッパタール気候・環境・エネルギー研究所のエネルギー部門副部長


フランス領ポリネシア(タヒチ)ジョン・ドゥームさん紹介

ジョン・ドゥーム
 1966年モルロア環礁で行われた最初の大気圏内核実験に通訳として立ち会う。1981年アムステルダムで世界教会協議会によって聞かれた核問題に関する公聴会に参加。95年−96年フランスの核実験再開に反対するプログラムを組織。仏領ポリネシアのフランス核実験被害者団体「モルロア・エ・タトゥ協会」(2001年7月設立)コーディネイター。2000年11月来日、21日の原水禁の講演会で、はがきキャンペーンを立ち上げた。関連記事


在外被爆者

笹森恵子(ささもりしげこ)
米国カリフォルニア州ロスアンゼルス近郊の町、マリナデルレイ在住。女子商1年生学徒動員で建物疎開作業中に、鶴見町付近で被爆。大やけどを負い、生死をさまよった。
 1955年、ノーマン・カズンズ氏の提唱で実現した「原爆乙女」の渡米治療に参加した25人の1人。その後、再渡米してカズンズ家の一員となる。米国でも証言活動などを続けて、核兵器廃絶を訴える。米国では看護士として務めていた。昨年まで米国の2つの被爆者協会とはいずれも関わっていなかった。著書に『恵子ゴー・オン』

李廣善(イ・カンスン)
 韓国原爆被害者協会会長。ソウル市在住。広島で被爆。父の李桂雲さんも被爆し足のケガの治療を長崎で行なう。在外被爆者問題の解決のため、昨年5月16日に坂口厚生労働大臣と直接交渉を行なうなど、在韓被爆者運動をリードする。

車貞述(チャー・ジョンスル)
 韓国原爆被害者協会釜山支部長。広島で被爆、戦後帰国して韓国の被爆者を組織する。金順吉(キム・スンギル)裁判を支えてきた大黒柱。2000年5月には長崎県被爆者手帳友の会の「平和賞」を受賞。韓国被爆者運動のリーダーの一人。

李康寧(イ・カンニョン)
 北九州市戸畑生まれ。1945年、長崎の三菱兵器大橋工場に徴用され、爆心地から2.5キロの宿舎・本蓮寺で被爆。94年に来日し、3ヶ月間治療を受けた際、被爆者健康手帳を受け取り、健康管理手当を受給。しかし、10月に帰国すると同時に手当の支給は打ち切られた。被爆者援護法の平等な適用を求めて1999年に長崎地裁に提訴。2001年12月、長崎地裁は帰国による援護法適用の打ち切りは不法との判決を出す。今年2月7日には福岡高裁が一審(長崎地裁判決)を支持し国の控訴を棄却。しかし国は不当にも上告している。

郭貴勲(カク・キフン)
 1924年、朝鮮半島全羅道生まれ。44年9月、師範学校在学中に朝鮮人徴兵令施行の第1期生として日本軍に召集。広島の西部第二部隊に配属。45年8月6日、兵営の庭で被爆。その後、朝鮮半島に帰り、教職の傍ら被爆者協会の設立に尽力。副会長や会長を歴任しつつ、日本政府に在韓被爆者の援護を求めてきた。
 98年5月に来日し、大阪府の病院に入院して被爆後障害の治療を受けた際、被爆者手帳を交付され健康管理手当の支給を受けるが、7月に帰国後、支給を一方的に打ち切られた。
 98年10月に国と大阪府を相手取って提訴。大阪地裁判決(01年6月)に続き大阪高裁(02年12月)でも勝訴し、国は上告を断念した。関連記事

キム・イルチョさんの詳しい紹介

金日祚(キム・イルチョ)
 韓国在住。広島が故郷。1941年に尋常高等小学校を卒業して、広島電鉄のバスの車掌に。1943年退社して女子挺身隊に入り広島市内の火薬製造工場で働く。1945年8月江南町で被爆、10月に帰国し陜川(ハプチョン)の夫の実家で暮らす。1946年6月に日本に密入国しようとして対馬で逮捕され強制送還される。日本の医師団が来て被爆者の検診をしてくれたときには、「韓国原爆被害者協会」に入らなかった。被爆を知られることと、タダでお金をもらうのが嫌だったのが理由。1996年にやっと証人が見つかり「原爆手帳」をとり協会にも入会。同年初めて広島の民間団体「在韓被爆者渡日治療広島委員会」に招かれて3カ月の入院治療の後、帰国すると健康管理手当の支給は打ち切られた。