原水禁大会
2003.7.30 

金日祚(キム・イルチョさん)のプロフィール

 2003年7月27日

1928年京都で生まれる。ものごころがついたころには広島の江波町でくらしていた。広島を故郷と考えている。
1941年に尋常高等小学校を卒業して、広島電鉄のバスの車掌に就職。
1943年退社して女子挺身隊に入り広島市内の火薬製造工場で働く。
1944年父が病気で死亡し急いで結婚、江波の母の実家に同居して暮らす。
1945年8月江南町で被爆、10月に帰国し陜川(ハプチョン)の夫の実家で暮らす。その間韓国語ができないため、夫の家族と心が通じず母の元へ逃げ帰ったり、帰国直後に出産した子供を栄養失調で死なせたり不幸が続く。
1946年6月に日本に密入国しようとして対馬で逮捕され強制送還される。若いとき日本の医師団が来て被爆者の検診をしてくれたとき、被爆を知られることとタダでお金をもらうのが嫌で、「韓国原爆被害者協会」に入らなかった。50歳を過ぎて体調が悪くなり入会を希望したが、1985年には自らの被爆の証明ができず、1993年には日本の「原爆手帳」を取得していないため、また1994年には「原爆手帳」をとるための証人が見つからないため、韓国人原爆被害者として認めてもらえなかった。1996年にやっと証人が見つかり「手帳」をとり協会にも入会できた。しかし韓国で「原爆手帳」を持っていても何の役にもたたないが、韓国原爆被害者協会に入れたことで、同年初めて広島の民間団体「在韓被爆者渡日治療広島委員会」に招かれて入院・治療した。しかし3カ月の入院治療の後、帰国すると健康管理手当の支給は打ち切られた。
 このように被爆後半世紀間も精神的肉体的後遺症を放置されてきた韓国人被爆者の典型である。1997年から陜川の原爆被害者福祉センターに入り原爆孤老の世話をしている。
 長年の在外被爆者への差別が、2002年12月の郭貴勲裁判の勝利によって漸く部分的に改善(国外在住の被爆者に対する各種の手当支給を認めた)されるなかで、2003年春から手当申請や手帳取得を希望する陜川の被爆者を引率して度々広島を訪れている。
 現在は心臓病の治療のため、「在韓被爆者渡日治療広島委員会」の招きで市内の病院に入院中。