原水禁大会
2004.7〜 

被爆59周年原水禁世界大会・東京国際会議
 ─ 朝鮮半島の核問題と世界の核状況 ─

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ポスターのデザインはU.G.サトーさんです

「核も戦争もない平和な21世紀に!」をスローガンにした原水禁大会のはじめに、8月1日東京で、朝鮮半島の核問題・アメリカの核戦略などの核兵器の情況をめぐる国際会議を開催します。

被爆59周年原水禁世界大会実行委員会

東京国際会議プログラム ─ 付:海外ゲストのの顔ぶれ

■申込み・お問い合わせ:原水爆禁止日本国民会議

TEL:03-5289-8224 FAX:03-5289-8223 

●日 時 :8月1日 9時開場、10:00〜17:00
     参加費1000円(日・英同時通訳付き)
●会 場 :YMCAアジア青少年センター(韓国YMCA) 千代田区猿楽町2-5-5 水道橋下車徒歩5分


プログラム
10:00
司会  小笠原公子市川定夫
 
開会あいさつ 
 
パネリスト紹介
 
キーノート提案 大会事務局長 ─ 福山真劫
10:30-11:10
李鍾元 朝鮮半島の核・平和問題の現状と展望
11:10-11:40
ハンス・クリステンセン 米国による韓国の核配備の歴史と現在の核攻撃計画の意味
11:40-12:00
石坂浩一 日朝国交正常化に向けた運動
12:00-13:00
質疑・討論
13:00-14:00
昼食
14:00-14:40
ハンス・クリステンセン 米国の核政策と世界の核状況
14:40-15:00
質疑
15:00-15:15
休憩
15:15-15:55
ケビン・マーティン 米国の平和運動の課題
15:55-17:00
全体討論及びまとめ 

パネリスト:

ハンス・クリステンセン Hans M. Kristensen

核政策アナリスト。米国の情報公開法を使って核兵器の政策や作戦に関する情報の機密扱いを解く専門家。ワシントンD.C.の自然資源防護協議会(NRDC)の核プログラム・コンサルタント、また、核政策や軍事構造に関してニュース・メディアのコメンテーター/コンサルタントとして活躍。SIPRI年鑑で世界の核戦力概観を書き、ブリティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ誌上のNRDCのニュークリア・ノートブックのコラムを共同執筆している。

ケビン・マーティン Kevin Martin

ピース・アクション代表
 シカゴで10年間イリノイ・ピース・アクションの代表として活躍した後、2001年8月まで、「第4フリーダム・フォーラム」が創設、ピース・アクション、「PSR (社会的責任のための医師の会)」、「新しい方向を求める女性のアクション」など平和団体が協賛する全国的組織「核兵器廃絶プロジェクト」の代表を2年間務めた。ピースアクションは全米最大の平和・軍縮運動団体

李鍾元(リー・ジョンウォン)

立教大学教授。韓国大邱市出身、専攻は国際政治・東アジア国際関係論。著書に大平正芳記念賞の『東アジア冷戦と韓米日関係』(東京大学出版会)など。96年より現職。98年から2000年まで米国プリンストン大学客員研究員。米国歴史家協議会外国語著作賞を受賞。

石坂浩一

立教大学助教授。韓国社会論、日韓・日朝関係史専攻。日朝国交正常化を求める市民連絡会メンバー。共著書に「岩波小事典 現代韓国・朝鮮」(岩波書店)、「日朝条約への市民提言」「現代韓国を知るための55章」(明石書店)など多数。

司会:

市川定夫

原水禁副議長。埼玉大学名誉教授(遺伝学)。1935年生まれ。1958年京都大学卒、1963年京都大学大学院修了、農学博士、1965年アメリカのブルックヘブン国立研究所研究員として放射線の影響を研究し、優れたテスターとしてムラサキツユクサ雄蕊毛系を開発、1967年京都大学助手として微量放射線の影響の研究を続け、1978年埼玉大学助教授、1979年同大学教授として微量の人工放射性核種の生体濃縮とその影響、さまざまな人工化合物の変異原性、放射線と人工化合物間の相乗効果などを研究し、2001年3月定年退官。「遺伝学と核時代」「環境学」など著書多数、2001年1月、アメリカ・ハワイのイオンド大学から名誉博士(社会学)を授与される。

小笠原 公子

日本キリスト教協議会(NCC)平和・核問題委員長。アジア平和連合(APA)運営委員。職歴:横須賀学院高校教諭、ロンドン日本人学校補修校講師、移住労働者と連帯する全国ネットワーク事務局、フェリス女学院大学ボランティアセンターコーディネイター。明治学院大学卒、ロンドン大学教育研究所留学(人権)


その他の海外ゲストの顔ぶれ

長崎国際会議

ゲディミナス・ヤンチャウスカス Gediminas Jancauskas

リトアニア・チェルノブイリ運動 議長、リトアニア・セイム社会労働健康問題委員会メンバー
1962年カウナスで生まれる。高校卒業後、就職、結婚し、3児の父(今年2月中旬に長男が誕生)。
母国語のリトアニア語のほかにロシア語、ポーランド語を話す。
チェルノブイリ原発事故後の放射能汚染物質除去作業には、事故から約1年後の1987年3月11日に兵籍名簿に基づいてヨニシキスの徴兵事務所によって召集され、2歳と生まれて2ヶ月目の娘2人をおいてチェルノブイリに向かった。約2ヶ月間の作業に従事。30キロゾーン内では井戸の放射能洗浄、工場敷地内の清浄化、備品解体をし、それ以外のときは消防作業に加わった。活動に参加した1ヶ月半後には、壊滅地域の写真撮影にも携わった。5月5日に除隊。
除去作業後、リトアニア・チャルノブイリ運動には1990年の創設当初から関わり、ドライバー、レクリェーションセンター所長、スポーツ研究家、私企業主などいくつもの職業をこなしながらも、ヨニシキス支部議長、カウナス支部議長などを歴任し、リトアニア・チェルノブイリ運動を推進してきた。1999年以降運動に専念。講演、執筆活動を通じてチェルノブイリ原発事故後の放射能汚染物質除去作業による被曝者たちが抱える問題を国内外に訴えている。2001年には総括的なセミナー「チェルノブイリ大事故後15年、経過と社会保障の可能性」を開催。患者の権利や、放射能の安全管理、リクビダートル(除染作業従事者)の家族に対する社会的医学的要因をその影響についての調査など幅広い分野で活動を広げている。
新聞紙、雑誌に投稿多数
受賞:極限状況下の勇気を称えて表彰(2001)、ビタウタスマグナス大学社会行動研究所賞(2001)、町議会社会問題委員会賞(2002)、ゲディミナス・バドニカス副市長賞(2002)

スピーディ・マックギネス Speedy McGuinness

オーストラリア先住民 (国際平和巡礼国際平和巡礼サイトへの参加者)(58) 「ラムジャングル鉱山」で産まれ育った、先住民の男性で、ウラン鉱山跡が野晒しになっている現状、かつてここで掘られたウランが核実験に使われたことから、ヒバクシャが発言する手助けや、補償問題についても訴えている。

ケビン・バズコット Kevin Buzzacott

オーストラリア先住民 (国際平和巡礼の参加者)(56)男性、ウランの精製に使う水を汲み上げている水源の先住民族アラバナ族の男性。(南オーストラリア州)
オリンピックダム・ウラン鉱山での直接行動を始め、鉱山の存在による文化的な影響について、オーストラリア各地で発言している。

国際会議以外
ローレンス・ウィットナー Lawrence Wittnerインタビューのページへ(同大学のサイト、英文)

 歴史学者 ニューヨーク州立大学オールバニー校教授。世界の反核運動の歴史に詳しい。昨年"Toward Nuclear Abolition: A History of the World Nuclear Disarmament Movement, 1971 to the Present"「核廃絶へむけて:世界の核軍縮運動の歴史─1971年から現在まで」を出版。世界の反核兵器運動に関する歴史的3部作を完結させた。(第1巻は93年に出版された「一つの世界か何も無いか」、第2巻は97年の「爆弾に抵抗して」)1941年ニューヨーク、ブルックリン生まれ。

キャサリン・サリバン Kathleen Sullivan

軍縮・平和教育家。ニューヨーク市で「社会的責任のための教育者の会」の核兵器教育とアクション・プロジェクトのコーディネーターをつとめる。このプロジェクトは米国でもっとも重要な核問題教育プロジェクトの一つ。サリバン博士はまた、国連軍縮局のコンサルタントで“国連サイバースクールバス”というウェブサイトに軍縮教育の授業プランを書いている。37歳。

在米被爆者
下 幸子(しも・さちこ)

14歳のとき広島市基町で被爆(1.0km)。日系2世の男性と結婚し、1962年、3人の子どもとともに渡米。現在、カリフォルニア在住。米国原爆被爆者協会サンフランシスコ支部長。

在韓被爆者
李廣善(イ・カンスン)

 韓国原爆被害者協会会長。ソウル市在住。広島で被爆。父の李桂雲さんも被爆し足のケガの治療を長崎で行なう。在外被爆者問題の解決のため、昨年5月16日に坂口厚生労働大臣と直接交渉を行なうなど、在韓被爆者運動をリードする。

車貞述(チャー・ジョンスル)

韓国原爆被害者協会釜山支部長。広島で被爆、戦後帰国して韓国の被爆者を組織する。金順吉(キム・スンギル)裁判を支えてきた大黒柱。2000年5月には長崎県被爆者手帳友の会の「平和賞」を受賞。韓国被爆者運動のリーダーの一人。

李康寧(イ・カンニョン)

 北九州市戸畑生まれ。1945年、長崎の三菱兵器大橋工場に徴用され、爆心地から2.5キロの宿舎・本蓮寺で被爆。94年に来日し、3ヶ月間治療を受けた際、被爆者健康手帳を受け取り、健康管理手当を受給。しかし、10月に帰国すると同時に手当の支給は打ち切られた。被爆者援護法の平等な適用を求めて1999年に長崎地裁に提訴。2001年12月、長崎地裁は帰国による援護法適用の打ち切りは不法との判決を出す。今年2月7日には福岡高裁が一審(長崎地裁判決)を支持し国の控訴を棄却。しかし国は不当にも上告している。

郭貴勲(カク・キフン)

 1924年、朝鮮半島全羅道生まれ。44年9月、師範学校在学中に朝鮮人徴兵令施行の第1期生として日本軍に召集。広島の西部第二部隊に配属。45年8月6日、兵営の庭で被爆。その後、朝鮮半島に帰り、教職の傍ら被爆者協会の設立に尽力。副会長や会長を歴任しつつ、日本政府に在韓被爆者の援護を求めてきた。
 98年5月に来日し、大阪府の病院に入院して被爆後障害の治療を受けた際、被爆者手帳を交付され健康管理手当の支給を受けるが、7月に帰国後、支給を一方的に打ち切られた。
 98年10月に国と大阪府を相手取って提訴。大阪地裁判決(01年6月)に続き大阪高裁(02年12月)でも勝訴し、国は上告を断念した。 ─ 関連記事