日時: 2006年8月3日(木)10:00〜17:00(9:20開場)
場所: アクロス福岡4F国際会議場
福岡市中央区天神1-1-1/tel 092-725-9113
参加費: 資料・同時通訳装置代: 1,000円
テーマ: 東北アジアの平和・非核化と安全保障
内容:
2005年9月19日に開催された六カ国協議「共同声明」では、(1) 北朝鮮がすべての核兵器と核計画を放棄し核拡散防止条約(NPT)とIAEAの保障措置へ復帰する一方で、北朝鮮の求める原子力の平和利用の要求を尊重し適当な時期に軽水炉提供で議論すること、(2) 米国が朝鮮半島で核兵器を持たず、北朝鮮を核兵器や通常兵器で攻撃、侵略の意図のないこと、米朝は相互の主権を尊重し、平和的共存、関係正常化の措置をとることなど、地域の平和に向けた前進的な合意がなされました。
一方米国は中東から北東アジアにかけての地域を「不安定の弧」と称し、現在、在日米軍・在韓米軍の強化に向けた「トランスフォーメーション」を日本・韓国政府とともに進めています。
こうしたなか、東北アジアでの平和的共生・緊張緩和に向けて、さまざまなとりくみが喫緊に求められています。とくに、米国は、核兵器を含む先制攻撃戦略を転換し、核兵器保有国である中国やロシアとともに核軍縮を進め、非核兵器国へ核の先制攻撃をしない安全の保証が必須です。他方、非核三原則を国是とする日本は韓国など地域の国々とともに「東北アジア非核兵器地帯」宣言を行い、米国の「核の傘」からの脱却と非軍事による地域の平和外交を展開することが必須です。
本会議を通じ、軍備削減・核廃絶に向けた各国間での政府レベルならびに市民レベルでの課題を共有し、更なる軍事的緊張を高めないための国際的な連携強化に向けて、核軍縮・平和に向けた課題と展望について検討します。
司会:
石坂浩一(立教大学助教授)
小笠原公子(NCC平和・核問題委員会)
パネリスト:
ポール・マーティン(米・ピースアクション政策担当)
チン・ヨンジョン(韓国・参与連帯)
王長勇(中国・平和軍縮協会副秘書長)
川崎哲(ピースボート共同代表)
福山真劫(原水禁大会事務局長)
同時通訳:谷里香・森あさみ・森本節子(英語)
王琳(中国語)
日時: 2006年8月3日(木)18:00〜19:30
場所: 冷泉閣ホテル川端(福岡市博多区上川端町8-21/tel 092-281-1811)
参加費: 6,000円(実費)
韓国社会論、日韓・日朝関係史専攻。日朝国交正常化を求める市民連絡会メンバー。共著書に「岩波小事典 現代韓国・朝鮮」(岩波書店)、「日朝条約への市民提言」「現代韓国を知るための55章」(明石書店)など多数。
アジア平和連合(APA)運営委員も務める。職歴:横須賀学院高校教諭、ロンドン日本人学校補修校講師、移住労働者と連帯する全国ネットワーク事務局、フェリス女学院大学ボランティアセンターコーディネイター。明治学院大学卒、ロンドン大学教育研究所留学。
1993年から政策担当としてピースアクションで活動。ピースアクションは1957年に前身の「セイン」が創設、87年に「フリーズ」(核兵器凍結キャンペーン、1980年より活動)という草の根グループと統合、93年からピースアクションの名前になる。10万人以上の会員を持つ全米最大の平和・軍縮運動団体。これまで多くの環境、平和、動物の権利、人権団体と共に活動を行なってきた。
参与連帯は韓国の広範な市民団体を結集し、平和運動および政策提言などを進めている。チン・ヨンジョン(陳 永鍾)さんは1961年生まれ。01年〜03年まで民主社会国家教授連合議長も務める。現在、参与連帯運営委員。また、聖公会大学教授、人権平和センター主任。著書に「グローバル市民社会イヤーブック」など多数。
中国人民平和と軍縮協会は1988年に設立された中国最大の民間平和団体。各国との国際交流と学術交流を幅広く展開している。王長勇さんは1955年生まれ。1975年?96年まで中国社会科学院研究員としてヨーロッパ問題専攻。中国駐フランス大使館一等書記官、中国当代世界研究センター研究員などを歴任し、05年から平和と軍縮協会副秘書長。
長年に渡ってチェルノブイリ問題に関心をもって取材を続けてきたジャーナリスト。現在、代替エネルギー関連の雑誌「緑のエネルギー」編集長を務める。
ハートヴィッヒ・ベルガー(ドイツ・緑の党)ベルリン在住でベルリン自由大学の社会学教授。ベルリンの「エコロジスト・センター」所長。ドイツの反核運動に関わり、25年来、緑の党のメンバー。1989〜2001年、ベルリン州議会議員。2002年からはドイツ緑の党の国家エネルギー政策委員会の議長。
2歳の時、広島で黒い雨被爆。1967年にブラジルに移住。今年2月に広島高裁が在ブラジル被爆者に対し、時効の壁を破って、10年もさかのぼって手当の支給を認める判決を行った。しかし、広島県は厚生労働省の指示に従い上告した。渡辺淳子さんはサンパウロ市在住。在ブラジル原爆被爆者協会理事として活動。
1944年、朝鮮人徴兵令施行の第1期生として日本軍に召集。広島の西部第二部隊に配属。45年に被爆。その後、韓国に帰り、教職の傍ら被爆者協会の設立に尽力。副会長や会長を歴任しつつ、日本政府に在韓被爆者の援護を求めてきた。98年5月に大阪府の病院に入院して被爆後障害の治療を受けた際、被爆者手帳を交付され、健康管理手当の支給を受けるが、帰国後、支給は一方的に打ち切られたため、国と大阪府を相手取って提訴。大阪地裁判決(01年6月)に続き、大阪高裁(02年12月)でも勝訴し、国に上告を断念させ、03年3月から在外の被爆者にも援護法が適用されるようになった。
広島市西区で被爆。韓国へ帰国後、全身に斑点ができる血液病を発症。73年に訪韓中の大牟田市原爆被害者の会と出会い、同会などの支援により75年に来日し長崎市で治療を受け完治。同時に在外被爆者としては3番目に被爆者健康手帳を取得。しかし、韓国に戻ると手帳が無効になることから運動を展開。
「公衆衛生を憂慮する国際研究所」創設者。「もうひとつのノーベル賞」と言われる「ライト・ライブリフッド(正しい生活)賞」など5つの賞を受賞。著書に『戦争はいかに地球を破壊するか? 最新兵器と生命の惑星』など。
バスラ教育病院・がんセンター所長。子どもの白血病増加など劣化ウラン被害を国際社会に向けもっとも声高に訴えてきたイラク医師。
米陸軍省に対し、劣化ウラン被害を理由に補償を求めている9名のイラク戦争帰還兵の一人。
ニューヨークのマウント・サイナイ病院医師。歯の分析から劣化ウラン汚染の検証をめざす「イラクの子どもの歯プロジェクト」発起人の一人。
ベルギー国会に「ウラン兵器禁止法案」提出を準備している議員などとも連携し、精力的にキャンペーンに取り組んでいる。ウラン兵器禁止を求める国際連合(ICBUW)評議員。
劣化ウラン反対キャンペーン(CADU)は、イギリス軍によるウラン兵器使用に反対して1999年に結成され、国内外でのキャンペーンを展開。ダグ・ワイヤさんはマンチェスター地域の核軍縮キャンペーンのメンバー。
釜山チュウレ女子高校2年生。日韓問題や原爆問題について興味を持っている。
釜山中央女子高校1年生。原爆の問題についてもっと知りたいと語っている。
釜山ベジョン高校1年生。被爆三世で、原爆問題についてとても興味を持っている。
貧しい人たちを支援する組織の高校生グループのリーダー。平和の道を探り、責任や関わりを深めたいと考えている。
イザベル・ボーン(17歳)「国際法キャンペーン」の活動に参加。また、女性や少女のエンパワメント、若者の民主的参加、国連ミレニアム開発目標(MDGs)への活動に積極的に参加している。ドイツにおける初のMDGsキャンペーン学生代表としても選ばれた。ハイデルブルグ学生平和局を2005年夏に設立した学生グループの一人であり、通っている学校では学生平和代表にも選ばれた。2004年に交換留学生として日本に滞在。帰国後は国際的な若者交流の促進に向けてAFSで働いている。
ヤニック・ハケ(18歳)「国際法キャンペーン」のメンバー。2005年5月にニューヨークの国連本部で行なわれた核拡散防止条約(NPT)会議で、初めて若者によるスピーチを行なった一人。2005年に広島で行なわれた平和市長会議で、市長にあてた若者による声明を編集した。ヨーロッパの国連ミレニアムキャンペーンにおける初の学生グループ代表のリーダーでもある。MDGsキャンペーンの学生代表にも選ばれている。
ピースボート共同代表。ピースボート「地球大学」を担当。「アボリション2000」調整委員。「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)」東北アジア地域コーディネーター。著書に『核拡散』(岩波新書)。
大阪市役所勤務後、自治労中央本部組織局長、副委員長、書記長を歴任。2002年から平和フォーラム・原水禁事務局長
ピースデポ代表。NPO法人ピースデポ代表。PCDS(太平洋軍備撤廃運動)国際コーディネーター。国際NGO「中堅国家構想(MPI)」国際運営委員。核軍縮議員ネットワーク東アジア・コーディネーター。
軍事評論家。1938年生れ。ジャーナリスト、東京国際大学教授等を歴任。専門は軍縮・安全保障論。著書に『戦略爆撃の思想』『自衛隊の歴史』『国会審議から防衛論を読み解く』など。
フォトジャーナリスト。1943年生まれ。早稲田大学卒業後イスラエルに渡る。その後チェルノブイリ原発事故の取材を重ねる。よみうり写真大賞受賞、IOJ国際報道写真展大賞、土門拳賞など。チェルノブイリ子ども基金顧問。著書に『核の大地』など
韓国原爆被害者を救援する市民の会会長。1976年から「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の活動に参加。市民の会は、在韓被爆者に対する日本の戦争責任を追及し、日本政府による在韓被爆者補償を実現することを目標に、在韓被爆者の支援活動に取り組んでいる。大阪に事務局を置き、広島・長崎・大阪に支部を持ち、被爆者援護法の完全適用を求める在韓被爆者の裁判闘争支援に取り組んでいる。
広島被団協。広島工業専門学校(現広島大工学部)への登校中、爆心地から約1.2キロで被爆。現在も、がんや慢性再生不良貧血症などに苦しめられている。元教員で広島県被団協理事長、日本被団協代表委員。2003年、原爆投下機エノラ・ゲイの一般公開に抗議するため訪米。
原子力資料情報室共同代表。「はんげんぱつ新聞」編集長。主な著書に『原発を考える50話』『地球を救うエネルギー・メニュー』『なぜ脱原発なのか?』など。
原子力資料情報室共同代表。1951年生まれ。生活協同組合勤務を経て、1990年、原子力資料情報室スタッフ。98年より共同代表になる。共著に『原発をすすめる危険なウソ』など。
広島県教組・全国被爆二世教職員の会会長。1951年広島生まれ。98年より全国被爆二世教職員の会会長を務める。元広島県高校教職員組合平和教育推進委員長。現在、広島商業高校教諭。
広島平和研究所所長。1941年生まれ。63年外務省入省。アジア局、条約局などの国内およびオーストラリア、旧ソ連、中国、イギリスの海外勤務。90年外務省辞職。日本大学、明治大学教授を歴任。05年より広島平和研究所所長。
脱軍備ネットワーク。1953年生まれ。月刊「キャッチピース」編集長。「ピースデポ」理事。20代から神奈川での日韓連帯運動、基地反対運動などに参加。著書に『基地の読み方・歩き方』『私たちの非協力宣言‐周辺事態法と自治体の平和力』(明石書店)など。
長崎大教授。長崎大学教育学部教授、教育学部平和多文化センター長。憲法、平和学などを担当。平和多文化センターでは単位互換のできる日韓交流授業を始めて3年になる。
フォトジャーナリスト。78年にマーシャル諸島で核実験被害の取材を始めたことをきっかけに、アメリカ、太平洋諸島、オーストラリア、カナダ、旧ソ連、ヨーロッパなどでウラン採掘、核実験、原子力発電所の事故などによる核被害者と非核平和運動などを取材。著書に『核よ驕るなかれ』『アトミック・エイジ』など。
長崎大名誉教授。1939年生まれ。1969年度?2004年度、長崎大学教員(仏文学、異文化交流論)。現在、同大学名誉教授。NPO法人岡まさはる記念長崎平和資料館理事長。共著書に「朝鮮人被爆者」(社会評論社)。
全国被爆二世協議会会長。1968年広島県生まれ、92年大竹市役所入職。自治労県本部専従などを経て、02年より自治労大竹市職員労働組合委員長。06年1月、被爆二世協の会長に就任。
原水禁国民会議副議長。1935年生まれ。京大卒、同大学院修了、農学博士。米国ブルックヘブン国立研究所研究員、京大農学部助手、埼玉大理学部教授、同大名誉教授。『遺伝学と核時代』『環境学』など著書多数。米国イオンド大社会学名誉博士。
長崎放影研臨床研究部部長。長崎大医学部卒。長崎大第三内科医員、米国デトロイト市ヘンリーフォード病院客員研究員、三和病院医師などを歴任。1988年から放射線影響研究所研究員。医学博士。
被爆教職員の会。1936年長崎生まれ。小学校教員を36年間務める。80年にユネスコ「軍縮教育世界会議」に参加。「長崎県原爆被爆教職員の会」副会長。著書に『君が代と国語辞典』『はじめよう平和教育』『センセイ、ハタ アル?』『希望を語り、希望を学ぶ』など。