資料
1999.4.30

(ハーグ平和アピール会議事前学習会II '99/4/30)


核兵器の非合法化に向けて

講演:古川照美さん(法政大学法学部教授・国際法)


 今日は「核兵器の非合法化」というテーマでお話ししますが、それに向けて我々がやらなければならない作業は非常に多く、エネルギーと時間のいる作業が21世紀にまで持ち越されると感じます。

 核兵器の非合法化といった場合、単に武力紛争における核兵器の使用を禁止するばかりでなく、核兵器を開発しない、製造しない、それからプルトニウムや濃縮ウランなどの核物質を持たない、核実験を禁止する、核兵器の保有、あるいは持っている核兵器を他国・他者に譲渡することを、全部包括的に禁止することが必要になってきます。その作業が完全に達成されて初めて、核兵器が非合法化され廃絶されたと言えるのではないかと思います。

製造と保有に関する国際法

 核兵器に関する国際法の現状はどうなっているのでしょう。例えば化学兵器に関しては、「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止、ならびに廃棄に関する条約」という条約が1993年に締結され、1997年に発効しております。日本も95年にこの条約を批准しました。化学兵器に関しては現にこの条約があって、廃絶をめざしています。しかし核兵器に関しては、このような国家間の具体的な約束を成文化した包括的な一本の条約というものは、まだ条約案もなく日程にすら上っていません。

 包括的な禁止条約はないのですが、核兵器の製造と保有と移譲については1968年に核不拡散条約が採択されて、70年に発効しております。これが良く知られているNPTという条約です。このNPTでは核兵器の製造、保有、移譲が禁止されていますが、ご承知のように「核保有国」である5大国についてはその製造、保有が禁止されていません。それ以外の国に対してのみ、製造、保有が禁止されているのです。

PTBTとフランス核実験のICJ提訴

 次に核実験についてですが、1963年に部分的核実験停止条約(PTBT)が締結されました。これは大気圏内において核実験をすることを禁止した条約ですが、地下の核実験については禁止されていなかったので、「部分的」という名前がついています。この時点においてすでにアメリカ、旧ソ連などの核先進国は、もはや大気圏内において核実験をしなくても地下核実験で対応できる充分な技術を確立していました。核を制限する条約というのは、いつも条約が作られた時点ではすでに核大国にとってはあまり実害がなくなっていて、後手後手にまわっている側面があります。

 しかし63年の時点でフランス(最初の核実験が60年)や中国(最初の核実験が64年)はまだ地下核実験の技術が確立していませんから、PTBTに加盟しませんでした。条約というのは一般的に言って、条約に加わっている国にのみに法的義務を生じるので、加入していない国は条約上の制約を受けません。そこでフランスと中国はまだこの条約に入る条件が整っていなかったので、条約に加盟せず、依然として大気圏内で核実験を続けていたわけです。

 ところが、1973年にニュージーランドとオーストラリアが南太平洋におけるフランスの大気圏内核実験を問題として国際司法裁判所(ICJ)に訴えました。この時点でPTBTが採択されてから10年経っていました。一般的には条約は加盟している国にしか効力を持ちませんが、オーストラリアとニュージーランドは、この10年間でPTBTは国際法上の慣習法に成熟したと主張したのです。

 国際法は、大きく分けて条約法と慣習法とのふたつから成ります。条約が最初条約という形で加盟国の間だけで作られたものであっても、世界の多数の国々の合意を得て相当の時間が経過すると、単に条約としての効力だけでなく、一般的な慣習法としての地位を獲得すると言われているのです。この10年間ですでに、大気圏内で核実験をしてはならないという国際社会の法的な確信ができあがり慣習法となっている、従ってフランスは条約に入っていないとはいえ、もはや大気圏内で核実験をするのは違法であるという主張を、ニュージーランドとオーストラリアはしたわけです。そしてこの2ヵ国は、大気圏内で核実験をすることが国際法上違法である確認して欲しいという違法性確認と、違法であるから将来大気圏内で核実験をさせないで欲しいという、将来的差し止めの2点を求めて、フランスを国際司法裁判所に提訴しました。

 そこで国際司法裁判所は、大気圏内で核実験をしてはいけないということが、国際慣習法として成熟しているかどうかという非常に難しい判断を迫られました。慣習法に成熟していると主張する国々がある一方で、フランスや中国は執拗に異議を申し立てたわけです。このように執拗に異議を申し立てることは、ルールが慣習法として成熟するのをブロックする効果を狙っています。そうした中で国際司法裁判所は判断をつきつけられ、非常に難しい判断を迫られたわけです。

ICJのトリレンマ

 この場合、裁判所としては3つの選択肢があります。まず、国際司法裁判所はこうした問題に答える権限がないと門前払いをすることができます。もしこうした門前払いをすると、ニュージーランドやオーストラリア、そしてそのバックにある多くの非核諸国の大気圏内核実験停止を求める希望に著しい失望を与えることになってしまいます。もし門前払いしないで実体審理に入ったとすると、答えは2つ。大気圏内核実験は違法であるという答え、そして違法ではないという答えです。もし違法であると言ったとしても、フランスと中国がハイわかりましたと、核実験を止めることはまず考えられません。違法であるといっても、その判決は守られない。そして、もし違法ではないと言った場合には、大気圏内核実験の禁止がもう少しで国際的に成熟され達成されようとしている状況に大きく水を差す結果になります。どれをとってもさえない選択肢しかなく、国際司法裁判所はトリレンマに置かれていたわけです。

 国際司法裁判所はどういう対応をしたのでしょうか。フランスはこの時期、矢継ぎ早に大気圏内核実験を行ない、まもなく国連で、74年度の一連の核実験が終了すればそれ以後は大気圏内で核実験をしないという宣言を行ないました。フランス国内でも、マスコミを通じて盛んに74年度で大気圏内核実験を停止すると宣伝するようになりました。国際司法裁判所はそれをじっと見ていましたが、審理はなぜか非常に遅れていました。そして結局翌74年、裁判所はこう言ったのです。「もうフランスは大気圏内核実験はやらないと言っており、これはフランスが全世界に向かって行なった公的な約束である。従ってもはや差し止め請求の訴えの利益はなくなった」。こういう理由で、国際司法裁判所は実体審理に入らなかったわけです。

 ニュージーランドとオーストラリアが求めたことは違法性確認と将来的差し止め請求の2つあったのですが、裁判所は「違法性確認は将来的差し止め請求の手段であり、目的が達せられたのでるから手段である違法性確認について判断する必要はない」という論理で肝心の大気圏内核実験の違法性を確認して欲しいという請求にも答えませんでした。この訴訟判決はいろんな解釈ができます。裁判所が将来的差し止め請求をもはやする必要がないといった前提に、大気圏内核実験は違法であるという判断があったのだと解釈する人もいるし、違法性については何も言っていないのだと解釈する人もいます。

再び、フランス核実験のICJ提訴

 こうして、核実験についての違法性判断が国際司法裁判所の俎上にのぼってきました。

 その後1995年に、フランスは再びニュージーランドによって国際司法裁判所に訴えられました。フランスは大気圏内でやらないと言った後、ムルロア環礁で地下核実験を行なっていましたが、今度はこの地下核実験が違法だと訴えられたわけです。74年にフランスが大気圏内から地下核実験に移行すると言ったときは、米ソも含め国際社会はこれを大変結構なことだとして歓迎しました。ニュージーランドは74年から95年の21年間の間に国際社会の核実験に対する法的な見方が変わってきて、地球環境の問題も絡んできているわけだし、95年の時点においては地下核実験ももはや違法になっていると主張したのです。フランスはこれに対して、地下核実験は国際法上禁止されていないと主張しました。

 このときには、国際司法裁判所はこの問題について答える管轄権の基礎がないと言って判断をしませんでした。国際司法裁判所は、当事国の事前または事後の合意がないと裁判できないことになっています。フランスは74年に訴えられたときも、当該事件について裁判所の判断を仰ぐことに合意したわけではありません。国際司法裁判所には、各国が一定の範囲の紛争について裁判所の強制的管轄権を受託すると宣言できる制度があり、フランスはこの宣言をしていたので、これが事前の合意の根拠として持ち出されたのです。フランスは74年に訴えられた後、すぐにこの宣言を撤回しました。74年には実体審理はしなかったのですが、上述のとおり訴訟要件についての訴訟判決は出ています。この判決の63項には、フランスが将来大気圏内核実験を行なうなど事情が変わった場合は、もう一度訴えを提起して良いという条項がありました。ニュージーランドはこれを捉えて訴えたわけです。しかし、国際司法裁判所は、フランスが約束したのは大気圏内核実験をやらないということであったから、事情が変わったとは言えないと述べ、判断をしなかったのです。

 その後、フランスはあと数回の実験が終わったら、それ以後地下核実験はしないと約束しました。74年の大気圏内核実験事件の時と同じです。実際その後フランスは地下核実験をやめ、以後は実験室内でのシミュレーションによる核実験に切り替えました。米ソはそれ以前からシミュレーションによる核実験で核開発ができるようになっていました。そういう状態になった後、1996年に包括的核実験禁止条約(CTBT)ができました。1963年に採択されたPTBTは部分的であったわけですが、今度は Comprehensive、包括的な核実験禁止条約です。地下核実験もやってはいけないという条約でした。しかしこれは実験室での核実験を禁止してはいませんから、実験室で核実験できる技術を獲得した核大国にとっては、痛くもかゆくもない条約です。インドとパキスタンはまだ地下核実験しかできませんから、もちろんCTBTに入っていません。

規制の抜け穴

 1968年に締結された核不拡散条約は、5大国を除いて他の国々に核兵器の製造と移譲を禁止したわけですが、これが1995年に無期限に延長されました。つまり5大国に核の製造と移譲を許すという状態が定着したことになります。今取りざたされている、核物質の供給を停止するカットオフ条約も、将来に渡って核兵器物質の供給を禁止するという主旨のもので、現在すでに持っているプルトニウムや濃縮ウランを廃棄しなければならないわけではありません。現在持っているストックの量は各国の厳秘事項ですから、公開されていません。通常兵器に関しては、各国が保有量を登録しようという登録制度ができています。しかし核兵器についてどんな核兵器をどれだけ持っているかを登録する制度は、その提案すらありません。国際法は、本当に肝心なところの規制はできないでいるのです。

 以上、核兵器の製造の問題、実験の問題、貯蔵、保有の問題について国際法上の規制がどういう状態にあるかということをお話ししました。

非核地帯条約

 次に、核兵器の使用について国際法がどのような制限をしているかをお話しします。

 核の使用については、特定の地域において核の使用を禁止した特別な条約は締結され、発効しています。一定の地域を定めて、そこでは核を使ったり核による威嚇を行なってはならないという条約です。例えば、1967年には通称トラテロルコ条約と呼ばれる「ラテンアメリカにおける核兵器の禁止に関する条約」が締結されています。また通称ラロトンガ条約と呼ばれている「南太平洋非核地帯条約」は1985年に南太平洋諸国によって締結され、翌年発効しています。これに続いて1996年にアフリカで、ペリンダバ条約という同様の非核地帯条約が採択されました。これはまだ発効しておりません。それから「東南アジア非核兵器地帯条約」が1995年に署名され、97年に発効しています。これで、南半球に関してはアジアの一部と中東地域を残して大部分が非核地帯に入ったわけです。

 こういう条約を締結するのは、核を持っていない国々です。しかし、核を持っていない国が核を使わないと言ってもそれだけでは意味がありません。こうした非核地帯条約の裏には追加議定書という別の条約が付属していて、これに核を持っている5大国に署名・批准してもらい、これらの地域で核を使用しないことを約束してもらうのです。そうして初めて非核地帯では核が使用されないという国際的な約束が成立するのです。トラテロルコ条約には、5大国すべてが追加議定書2に加入しています。しかし、5大国はすべての付属議定書に加わってくれてはいないわけで、そこが問題です。ラロトンガ条約に関しては議定書2と議定書3に署名・批准しているのはロシア、中国、フランス、イギリスの4ヵ国のみで、アメリカは署名はしたものの批准はまだしておりません。

核の手詰まり状態

 その他に海底非核化条約、南極条約などの特別条約が締結され、発効しています。しかし、一般的包括的にすべての核兵器の使用を禁止するという条約は、まだ存在していません。国連総会では60年代から毎年のように核兵器使用禁止条約案を採択していますが、実際に条約として締結し発効するところにたどり着いてはいません。こうした禁止条約案に賛成するのは非核諸国・反核諸国であり、核を持っている国は賛成しようとはしません。

 95年のNPT無期限延長の際には、無期限延長に非核諸国の同意を取り付けるために、核兵器国は、核を持っていない国には核兵器を使用しないという消極的安全保障宣言をしました。しかし、中国以外の国は、核兵器国の同盟国に対する使用は除外するなどの何らかの条件を付けています。例えばアメリカは不使用の対象をNPT加盟国に限り、しかもアメリカとその同盟国に対して核兵器国と連携・同盟して攻撃が行なわれた場合を、除外しています。

 核廃絶というのは、開発、製造、実験、保有、使用がすべて禁止されて初めて達成されるものだと思いますが、国際的に確定した定義があるわけではありません。核兵器国やその同盟国が究極的な核廃絶と言うとき、多くの場合それを目標として核軍縮に努力しますよ、あるいは努力してくださいねという抽象的な目標を唱えているに過ぎないわけです。その核軍縮の動きさえも、思うように進んでいないのが現状です。

 1953年、国連総会は、核兵器の使用が国連憲章に明白に違反し、人類と文明に対する犯罪であるという最初の国連決議を出しました。その後1960年代から毎年のように、同じ様な決議採択を繰り返しています。しかし国連総会の決議は、国際法上法的な拘束力がないソフト・ロー(*)であると見なされています。そうはいっても何度も繰り返し宣言が出されているのだから、もはや法的拘束力を持つに至っているという見方もありますが、一方ではハード・ローである条約ができて核を持っている国がすべて参加するところまでいかないと核兵器の使用が違法化されたことにならないという考え方も根強く、ずっと対立してきました。こうして、毎年国連総会で核使用禁止を求める宣言は採択されるけれども条約はできないという、核の手詰まり状態が続きました。

世界法廷プロジェクト

 こうした中で、1980年代に入って、核軍縮だけが核廃絶にいたる唯一の道ではないと考え、もっと他の手段を模索する動きが出てきました。国連総会に対し、核兵器使用の違法性を国際司法裁判所に諮問させようとNGOが働きかけたのです。そして1992年には、核戦争防止国際医師会議、反核国際法律家協会、国際平和ビューローという3つのNGOが「世界法廷プロジェクト」という試みをはじめました。これも、国際司法裁判所から核兵器の使用が違法であるという確認宣言を勝ち取ろうという試みです。3つのNGOはそれぞれが反核運動をしていたのですが、一緒になって、ジョイントプロジェクトとしてこの運動を推進しました。

 この勧告的意見の要請に対して、核保有国は猛烈に反発し、国際司法裁判所がこうした問題に介入し法的な判断を下すべきでないと主張しました。核軍縮は、核兵器そのものは合法だという前提にたって交渉されているのに、違法性の確認を求めるのはそういう流れに逆らうものだと反発したわけです。しかし、核軍縮だけで核が廃絶に至るという固定した考えではなく、手段はいくつもあるという考え方で判断を求めたのが世界法廷プロジェクトだったのです。

 世界法廷プロジェクトは、まず世界保健機関(WHO)への働きかけに成功しました。1993年の5月に世界保健機関は、健康と環境への影響の観点から、核兵器の使用が違法であるかどうかの勧告的意見を要請する決議を総会で採択しました。このとき賛成が73、反対が40、棄権が10でした。WHOは健康と環境の保護を目的とする国連の専門機関であり、その権限の範囲内でしか勧告的意見を求められないことになっています。WHOは、核兵器が一旦使用された場合には、健康と環境に与える被害は回復不可能であり、それに対処する唯一の方法は事前防止しかないと結論したのです。

国連総会による諮問

 WHOが国際司法裁判所に諮問してから1年半後に、今度は国連総会が、核兵器による威嚇または核兵器の使用は国際法上許されるか、という同種の問題を国際司法裁判所に諮問しました。これは、WHOの要請に対しては裁判所が答えない恐れがあったからです。WHOは専門機関ですから、健康と環境の保護という専門分野の範囲内で生じる問題ではないと判断されれば、答えないかもしれません。そうなった場合を考えて、非同盟諸国を代表してインドネシアが提案し、国連総会がWHOに追い打ちをかけるように同種の問題を提起したのです。国連総会は、国際法上のいかなる問題についても勧告的意見を求めることができることになっており、国連総会による諮問ならば門前払いされることはなかろうと考えたわけです。

 結局、国際司法裁判所は、WHOの諮問については活動の範囲内に入らないということで退け、国連総会の諮問に答えました。どちらかに答えてもらえば良かったわけですから、これで世界法廷プロジェクトの目的は達せられたのです。

 ご承知の通り、核兵器国からは、この問題は裁判所が法的判断を出すべき性質のものでないから、勧告的意見を出すべきではないという反発がありました。しかし国際司法裁判所は、14人の裁判官のうち13対1で、勧告的意見の要請に答える決定をしたのです。この1票の反対票を投じたのは、日本人の小田滋裁判官です。国際司法裁判所の裁判官は15人いるのですが、1人はハーグで口頭弁論が始まる直前に急死し、14人で法的判断が行なわれました。

ICJの勧告的意見

 国連総会決議は確かに核兵器の使用は国連憲章に対する明白な違反だと言っていますが、これはソフト・ローであります。一方ではそれだけ繰り返し決議が出ているから国際慣習法になっているんだという非同盟諸国の意見があります。そうした対立がある中で、裁判所はこの時も難しい判断を迫られました。

 結論としては、国際司法裁判所は、既存の国際人道法や武力紛争法規の主要なルールに照らして、核兵器の使用の違法性を判断しました。国際法は、兵器の無制限な使用を認めてはいません。明文で禁止されていない兵器であっても、戦争に関する国際法上のルールに照らして、一定の制限が課せられるのです。そのことは、核保有国も認めています。

 そうしたルールの基本的なものとしては、(1)区別の原則(非軍事物と文民を攻撃してはならない)、(2)均衡性の原則(軍事的利益と文民が被る損害との間にはバランスがとれていなくてはならない)、(3)不必要な苦痛を与えてはならない(戦果に関係のないよけいな苦痛を与えてはならない)、(4)環境を破壊してはならない、(5)中立国の領土や国民を侵害してはならない、などがあります。裁判所が特に重視したのは、(1)と(3)でした。核兵器は軍事目標のみをスポット的に攻撃できる性質のものではありませんから、被害は広範で戦闘員と文民の区別ができません。また放射能の障害は次の世代にまで長期に及ぶもので、不必要な苦痛を与えると言えるからです。裁判所はそうしたことを挙げ、「核兵器の使用は一般的に国際法に違反する」と言ったのです。

 一方で国際司法裁判所は、「自衛の極限的状況においては核兵器の使用が違法であるかどうか確言できない」とも述べたので、この解釈が問題になりました。これは極限的状況では使っても良いと言っているのだとも解釈できるし、何も言っていないという解釈もできます。

日本政府の立場

 ところで、国際司法裁判所は勧告的意見の要請が国際機関からあったときは、その加盟国に対して陳述書を求めることになっています。そこでWHOが諮問を要請したとき、国際司法裁判所はWHOの全加盟国に陳述書を出すよう通知しました。94年6月10日の提出期限が近づいた5月、日本政府が国際司法裁判所に出そうとしている陳述書の中に、「核兵器の使用は国際法に違反するとまでは言えない」という下りがあることが判明し、日本国内の世論は大いに反発しました。そこで日本政府はこの部分をそっくり削除して、陳述書を出しました。その内容は、核兵器の使用は「国際人道法の精神にもとる」というものでした。「国際法に違反するとまでは言えない」といいたいところを削除して、「人道法の精神にもとる」というポイントを外した内容の陳述書を提出したわけです。ただ、日本政府は口頭で、核兵器の使用が国際法に違反するとまでは言えないという見解は変わらないと言っています。

 日本は非核三原則を国是としていますが、「作らず、持たず、持ち込ませず」の三原則のうち、持ち込ませずというところは怪しくなっています。一方で日米安保条約を結んでいて、日本の安全はアメリカが保障することになっているからです。安保条約では核兵器については述べられていませんが、核兵器の使用も含めて日本の安全を保障することになっていると解釈されています。本当にアメリカが日本の安全保障のために核兵器を使うかどうかは非常に疑問ですが、アメリカの核の傘に入っているのは事実です。

 日本は、初めて戦争において核兵器を使われた国であり、核兵器の悲惨さを充分知っているはずです。ところが日本政府は安保条約を結ぶことによってアメリカが核兵器を使うことを容認し、そこにおいてヒロシマ・ナガサキが再現されることをも容認しているわけです。そういう意味で、日本政府は核兵器に対して非常に矛盾した政策をとっていると言えるでしょう。

 以上、核兵器の国際法上の位置づけについて、概要をお話しさせていただきました。

*ソフト・ロー(soft law):  伝統的な国際法の法源である条約や国際慣習法をハード・ローと呼ぶのに対して、伝統的には国際法上の効力を否定されてきた国際文書をソフト・ローと呼び、これに国際法上の効力を認めることが主張されている。代表的には、国家の行動原則を定式化した国連総会決議が挙げられる。しかし、これらが国際法上の効力を持つとする場合の理論的な根拠は学説によって一致していない。特に条約との対比では、合意原則からの逸脱を意味するソフト・ローの主張は、国家主権原則に反するという主張もある。
  (有斐閣「法律学小辞典」第3版より)
以上

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