資料
1998.1

原水禁運動関係年表


▼一九四五年
7・16 米、ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で史上初の核爆発実験
8・6 八時一五分、広島に原爆が投下
8・9 一一時二分、長崎に原爆が投下
▼一九四六年
7・1 米、ビキニ環礁で原爆実験シリーズを開始
▼一九五〇年
3・25 世界平和擁護者大会常任委員会がストックホルム・アピール発表
▼一九五一年
9・8 サンフランシスコ講和条約、日米安保条約
▼一九五四年
3・1 ビキニ水爆実験に、静岡県焼津港からのマグロ漁船「第五福竜丸」が東方約160キロで遭遇
5・9 東京都杉並区の婦人団体、読書サークル、PTA、労組の代表三九人が杉並公民館で「水爆禁止署名運動杉並協議会」を結成。公民館長兼図書館長の安井郁・法政大教授が議長に。「全日本国民の署名運動で水爆禁止を全世界に訴えましょう」の杉並アピール発表
7・1 防衛庁・自衛隊が発足
8・8 東京で原水爆禁止署名運動全国協議会結成大会。代表世話人に湯川秀樹京大教授、片山哲・元首相。寄せられた署名は四四九万人
9・23 第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんが国立東京第一病院で死去。四〇歳。死因、放射能症。米原子力関係者は死因に疑問と発表
▼一九五五年
7・9 ラッセル・アインシュタイン声明
8・6 広島市で第一回原水爆禁止世界大会。海外代表三五人を含む約二〇〇〇人が参加。浜井広島市長があいさつ。鳩山首相祝辞
9・19 原水爆禁止署名運動全国協議会と原水爆禁止世界大会日本準備会を合わせ「原水爆禁止日本協議会」(原水協)の発足が決まる。活動方針に被爆者救援国民運動(一人一円カンパ)、国家補償要求の署名運動
▼一九五六年
8・9 第2回原水爆禁止世界大会が長崎市で開会。原水爆実験禁止協定を米英ソ三国に要求、など一一項目決議
8・10 日本原爆被害者団体協議会が結成
▼一九五七年
4・1 原子爆弾被害者の医療などに関する法律施行
4・12 ゲッチンゲン宣言
5・15 英、クリスマス島で初の水爆実験を実施
7・6 第一回パグウォッシュ会議
▼一九五九年
7・21 日本原水協が原水爆禁止世界大会について声明。「原水爆禁止を実現するため核武装、海外派兵の道を開く安保改定に反対するのは当然」
7・22 全国都道府県議長会が、原水禁運動に関して「政治色をぬぐい去るべきである」と決議
▼一九六〇年
1・16 第六回原水爆禁止世界大会広島開催について原水禁広島協議会、広島市などが検討にはいる。政府、自民党の原水協批判、地域団体の消極化などから慎重論が台頭
8・1 民社党の原水爆禁止運動全国代表者会議で「第二原水協」の組織化を決める
8・8 東京で第六回原水爆禁止世界大会。共産党が「反米・反帝」を主張、全学連主流派と反主流派が対立
▼一九六一年
6・10 日本原水協の有力メンバー全国地域婦人連絡協議会(七〇〇万人)と日本青年団協議会(四三〇万人)が「原水協は独善的な方針をとっている」と声明
8・14 第七回原水爆禁止世界大会が、「核戦争政策を進める勢力と決然と対立するべきときがきた」との宣言を採択、波乱のうちに閉幕。社会党、総評、日本青年団協議会、地婦連の四団体が執行部に対し不信任を声明
8・15 民社党・全労系労組などが「核兵器禁止平和建設国民大会」を東京で開催。核禁会議発足へ
9・1 ソ連が核実験を実施
11・15 民社党系の核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議、松下正寿議長)が発足
▼一九六二年
8・4 第八回原水爆禁止世界大会の本会議が東京で開幕。海外一一ヵ国八六人を含め約一万人が参加。「あらゆる国の核実験に反対する幅広い運動を起こせ」とする社会党系代表と、「核戦争の根源である米帝国主義を日本やアジアから追い出せ」とする共産党系代表が対立。
8・6 社会党、総評など一一団体が声明。「今度の大会はソ連の核実験に何の意思表示もできない状態で終わった。大会の基調報告は『いかなる国のいかなる理由を問わず核実験に反対である』ことを述べている。大会の実態を極めて遺憾だと考える。原水爆禁止の幅広い国民運動を再建するために新たな決意をもって対処する」
12・3 社会党・総評など一〇団体が中心の「原水爆禁止と平和のための国民大会」が広島市で開幕。基調報告で共産党の原水禁運動を非難し、社会党の積極中立論を強調
▼一九六三年
2・21 日本原水協が常任委員会を開き、社会党系と共産党系の間で運動統一へ向け妥協が成立。安井理事長が声明。「いかなる国の核実験にも反対」
2・28 日本原水協が静岡市で全国常任理事会。「すべての国の核実験に反対」を三月一日のビキニ・デー宣言に入れるかどうかで社会党と共産党が再び対立。一日、安井郁理事長が担当常任理事総辞職を宣言
8・5 広島市で第九回原水爆禁止世界大会。全学連学生が慰霊碑前を占拠。社会党・総評系がボイコットし分裂大会に
8・6 社会党・総評系が広島市内で独自集会。七〇〇〇人参加
9・30 大阪で「日本の非核武装と完全軍縮のための関西平和周囲会」が開催、三万人が集まる
▼一九六四年
3・27 「原水爆被災三県連絡会議」が発足。広島、長崎、静岡の三県の原水協事務局長会議で決まる。「いかなる国のどんな核実験にも反対する」が基調
4・9 全国地域婦人団体連絡協議会、日本青年団協議会が日本原水協に脱退届
6・20 日本原水協が浜井広島市長、森滝市郎日本被団協理事長ら一〇人除名
10・16 中国が初の原爆実験
▼一九六五年
2・1 東京・電通会館で「原水爆禁止日本国民会議」(原水禁)の結成大会。総評、中立労連、社青同、日本婦人会議など一三団体と地方代表四〇〇〇人が参加。代表委員には太田薫・総評議長、森滝市郎氏、浜井広島市長ら六氏。事務局長に伊藤満広島大教授
2・7 ベトナム戦争で米軍機による北爆が開始
▼一九六六年
6・18 国労原爆被爆者対策協議会が発足
7・11 広島市議会、原爆ドームの保存を決議。工事費については、共産党・保守党の一部の反対で予算を否決。
▼一九七二年
5・27 米ソが戦略核兵器制限条約(SALTI)に調印
6・2 広島県教組、国労広島地本など単産、被爆者団体七組織が「被爆二世問題連絡会」を結成
▼一九七三年
2・10 被爆二世問題連絡会が山田広島市長に「被爆二世の無料健康診断の実施」「医療・生活面の救援」など、具体的な対策を申し入れる
2月 被爆二世の問題で大同団結した被爆二世問題連絡会。当初の七団体が、社会、共産のワクを超え一三団体に
7・5 宮本顕治共産党委員長が「中ソ対立によって世界の政治情勢は変わってきた。社会主義国の核実験であってもすべて防衛のために余儀なくされたとは言えぬ状況になった」と述べ、今後は「社会主義国の核実験でも反対する」とこれまでの主張を転換
7・20 フランスの核実験に抗議して原爆慰霊碑前で座り込み。以後、核実験の度に座り込み
8・5 全電通労組が広島市で全電通全国被爆者協議会の結成大会。会長に酒井喜芳全電通委員長、事務局長に近藤幸四郎広島地方支部副委員長
12・5 総評が労組で被爆者組織を結成している組合の代表を集め、「総評被爆者協議会連絡会議」(総評被爆連)を結成。全電通、国労、動労、全逓、日教組と準備中の自治労、全専売、全水道、ABCCの九単組。議長に大原亨代議士(広島一区・社会)
▼一九七五年
8・5 全逓労組が「全逓原爆被爆者全国協議会」を結成。全国規模の被爆者組織は国労、全電通、日教組についで四番目
▼一九七七年
3・1 原水禁国民会議が全国委員会で、幅広い団体が一致した課題で統一行動を目指す「原水禁運動の統一テーゼ」を提案
4・25 日本原水協が原水爆運動統一を実現するため、統一組織発足と同時に原水協の組織自体を解体する方針を示す
5・19 森滝市郎・原水禁国民会議代表委員と草野信男・日本原水協理事長が東京の芝パークホテルでトップ会談。(1)八月の世界大会は統一大会を開く(2)年内をメドに国民的な統一組織を実現する(3)原水禁運動の原点に返り、核兵器絶対否定の道をともに歩むことを決意する、など五項目について合意
8・3 一四年ぶりの統一大会「1977年原水禁世界大会」の国際会議が広島市で始まる。海外三〇ヵ国一四国際組織の代表を含む三五〇人が参加。ソ連からも一一年ぶりに代表参加
▼一九七八年
5・24 ニューヨーク国連本部での第一回国連軍縮特別総会にNGOとして原水禁も参加
▼一九七九年
3・28 アメリカのスリーマイル島原発二号炉で放射能漏れ事故
6・18 米ソが第二次戦略核兵器制限条約(SALTII)調印
▼一九八〇年
7・16 ミクロネシアのパラオで世界初の非核憲法が成立
▼一九八一年
5・28 バヌアツ共和国ポートビラで核のない太平洋をめざす第一回太平洋労働組合会議、総評が代表団。太平洋労働組合フォーラムとよばれる調整委員会が設立
10・10 ドイツのボンで三〇万人の反原発集会
▼一九八二年
3・12 「平和のための広島行動」
5・23 「平和のための東京行動」
6・7 第二回国連軍縮特別総会(SSDII)にNGOとして原水禁も参加
6・12 ニューヨークで一二〇万人の反核集会
6・29 米ソ戦略兵器削減交渉(START)はじまる
9・26 ニューカレドニアのヌメアで第二回太平洋労働組合会議
10・24 「反核・軍縮・平和のための大阪行動」
▼一九八三年
10・22 西欧一〇ヵ国で反核街頭行動に二〇〇万人が参加
▼一九八五年
8・2 原水禁世界大会が広島市内での国際会議で開幕。中国が二〇年ぶりに正式参加。統一開催だが原水禁国民会議、総評系代表は大半欠席
▼一九八六年
4・26 ソ連のチェルノブイリ四号炉で核暴走事故
8・4 日本被団協、日本生協連など一〇市民団体の「国際平和年'86市民平和大行進集結大会」、日本原水協の「原水爆禁止1986年世界大会」、原水禁国民会議の「被爆41周年原水禁大会」が広島市でそれぞれ始まる。九年ぶり分裂大会
8・7 長崎で一八ヵ国・地域から海外代表四四名が参加する「核被害者フォーラム」を開催
▼一九八七年
6・4 ニュージーランド議会が核艦船の寄港禁止を含む反核法案を可決
9・26 ニューヨークで第一回核被害者世界大会
12・8 米ソがINF(中距離核戦力)全廃条約に調印
▼一九八八年
4・23 東京で「原発とめよう2万人行動」
5・30 ニューヨークで第三回国連軍縮特別総会。NGOとして原水禁も参加
▼一九八九年
4・9 六ヶ所村の反核燃行動に全国から一万一〇〇〇人が結集
▼一九九〇年
4・28 日比谷野音で脱原発法を東京集会。前日には四谷公園で署名提出集会など
5・26 カザフ共和国アルマアタ市で核実験禁止国際市民会議開催
10・21 原水禁、一〇月反核行動月間にエレーナ・ルキャノヴァ博士とアレクサンダー・ステファネンコ氏を招待し全国でキャンペーン
10・21 横田基地包囲行動
11・21 全欧安保協力会議(CSCE)首脳会議、「パリ憲章」に調印
▼一九九一年
1・12 「地球的反核同盟(GANA)」結成、日本から原水禁が参加
7・31 米ソが戦略核兵器を三〇%削減する戦略兵器削減条約(STARTI)に調印
8・6 連合(日本労働組合総連合)が広島で単独の平和集会開催
10・17 原水禁訪ソ団が「ネバダ・セミパラチンスク核被害者同盟」主催の「核被害者国際会議」に参加。キエフ、セミパラチンスクの被害状況を調査
12・18 原水禁第六三回臨時全国委員会。代表委員制から、議長制に改めるなどの規約を改正
12・21 ソ連消滅、独立国家共同体を創設
▼一九九二年
8・3 フランスが核拡散防止条約に加盟、全核保有国が加盟国に
9・20 ベルリンで第二回核被害者世界大会
▼一九九三年
1・3 米ロが第二次戦略兵器削減条約(STARTII)に調印
1・5 フランスで再処理されたプルトニウムを積んだ「あかつき丸」が東海港に入港
8・29 カザフで地球的反核同盟(GANA)国際会議
▼一九九四年
1・25 森滝市郎原水禁国民会議議長が九二歳で死去
2・22 ダニエル・エルズバーグ博士とマーガレット・ブレンマン・ギブソン博士を招き、東京、大阪、長崎、静岡(ビキニ・デー)などで「核廃絶のためのNPTキャンペーン」
12・9 村山富市内閣によって「原爆被爆者援護法」が成立。要求の骨格であった「国家補償」は明記されず
▼一九九五年
4・18 ニューヨークで開催のNPT国際市民会議に原水禁も代表団を派遣
5・11 核拡散防止条約(NPT)の無期限延長決定、直後に中国が核実験、フランスも実験再開
9・2 東京代々木公園で「ストップ核実験1万人アクション」
12・8 高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ火災事故
▼一九九六年
7・8 国際司法裁判所が核兵器を原則的に違法とする「勧告的意見」を示す
8・4 巻原発の是非を問う住民投票で反対派が勝利
9・24 包括的核実験禁止条約(CTBT)調印
▼一九九七年
2・28 原水禁第70回全国委員会で岩松繁俊議長代行が議長に就任
4・8 ニューヨークで最初のNPT再検討会議準備会議

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S.nozaki