出版物原水禁ニュース
2003.1号 

朝鮮民集主義人民共和国の核開発が抱える問題点(II)
核不拡散体制を不安定にする
朝鮮民主主義共和国の核開発に反対しよう

■ますます複雑化する北朝鮮の核問題

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の新たな核開発疑惑は、北朝鮮がIAEAの監視カメラと封印の撤去を求めたことによって、ますます複雑化していくようだ。このニュースが読者に届く頃には、新たな展開があるかもしれない。国家と国家のメンツがぶつかりあい、もつれる糸に苦しむのは、電力不足のなかで飢える北朝鮮の民衆だ。前号の続きを書く。

■IAEAとNPTの保証措置

 IAEA(国際原子力機関)は1953年に国連で米大統領・アイゼンハワーが、原子力の平和利用のためにアメリカは援助する(Atoms for peace)という演説をおこなった翌年、アメリカなどがIAEA設立の憲章草案を提案し、1957年に発足した。
 IAEAの目的は「「原子力平和利用の促進および原子力活動が軍事に転用されていないことを検認するための保証措置の実施である」(憲章第2条)とあり、3条A5は「保証措置を設定し、実施し、適用する」とある。このためIAEAに加盟した核非保有国は、核武装しない保障措置協定を個別にIAEAとの間で結んで、核施設の査察を受け入れてきた。
 1970年にNPTが発足してからはNPT加盟国で原子力発電を行う国は、IAEAの保障措置を受諾する義務を負うことになった(第3条)。
 保障措置の義務とは(1)原子炉の設計情報の提出(2)核物質の使用に関する記録の保持(3)報告書の提出(4)査察の受け入れ、の四項目を中心としているが、このなかでも査察の受け入れが大きなウェイトを占めている。
 査察には通常査察(提出された報告と記録の検討、規定した測定点での核物質の測定)と特定査察(被査察国の冒頭報告の検認、核物質の移転などの確認)、さらにこれ以外の情報、場所に対する特別査察が規定されている。(注1)

■朝鮮半島の非核化宣言

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は1985年にNPTに加入したが、IAEAとの保障措置協定の締結については韓国にアメリカの核兵器が配備されていることを理由に拒否し続けてきた。
1989年になると、韓国や米国のマスコミが、北朝鮮は核兵器を開発しているとのニュースを流し始めた。そして、北朝鮮が「原子力発電以外に核開発を計画している疑わしい兆候がある」との発表を、日本外務省が同年11月に行った。北朝鮮は90年2月にその報道を否定したが、同年7月にはアメリカの偵察衛星が平壌付近で再処理施設を含む原子力施設が建設中であることを探知していたとの報道があった(前号で衛星による北朝鮮の核開発疑惑が92年に探知されたと書いたが、実際は90年頃である)。このため北朝鮮にIAEAの保証措置協定の締結を求める声が国際的に高まることになる。クリックで拡大
 韓国と北朝鮮は91年9月に国連に同時加盟したのを機に、同10月に両国の首脳会談が開催され、このとき北朝鮮から非核地帯化宣言が提案された。同11月、韓国はアメリカの核兵器撤去の約束を取り付け、廬・韓国大統領は非核化宣言を発表。こうして韓国と北朝鮮との間で、核兵器の実験、生産、受領、保有、貯蔵配備、使用を禁止し、核エネルギーを平和利用のみに利用すること、使用済み燃料の再処理施設、ウラン濃縮施設の保有を禁止することに合意し、朝鮮半島の非核化に関する共同宣言が署名されたのである。

■北朝鮮プルトニウム抽出の疑惑

 こうした経過の翌年の92年1月30日、北朝鮮はIAEAと保証措置協定に調印、同協定は4月10日に発効した。北朝鮮は5月4日にIAEAに冒頭報告を提出した。冒頭報告とは、保障措置協定が発効した時点の保障措置対象核物質の状況に関して、IAEAに対して行う報告のことであり、在庫目録を作成して報告しなければならない。
 IAEAは92年5月から93年2月にかけて計6回の査察を行ったが、この査察の過程で北朝鮮が複数回のプルトニウム抽出をおこなったのではないかとの疑惑が出てきたことは前号に書いた。
 これについて米科学者グループ「科学・国際安全保障研究所」(ISIS)と「憂慮する科学者同盟」(USC)が合同で報告書を発表している(94年6月27日)が、そこには「IAEAが疑惑を持ったのは(1)プルトニウムが崩壊してできるアメリシウム241の量が、89年と91年にも再処理が行われたことを示していた(2)分離されたプルトニウムとヨンピョンの廃棄物から採取されたサンプルのプルトニウムの同位体─ Pu-239、240、241─ の相対的含有量が一致しない(3)処理された燃料の報告された照射歴がIAEAが採取したプルトニウムのサンプルと合わないからである」と書いている。
 北朝鮮はこれらの疑惑に対して(1)IAEAは計算に原理的なミスを犯している(2)1975年にプルトニウム抽出の基礎実験をする際に生じた廃液が、サンプルをとった核廃棄物のタンクに混じったために生じた差異だと反論した。
 しかし北朝鮮は、5MW実験炉燃料棒取り出しの立ち会いを拒否し、燃料棒を取り出してしまった。
 すでに89年に人工衛星がこの実験炉が約100日間、運転停止をしていたことを確認しており、このときに燃料棒の50〜100%を交換し、その後91年までに再処理したのではとの疑惑がもたれ、そのプルトニウムの量は6〜13kgで、1〜2発の核兵器に十分な量である、と推定されてきた。
 CIAは、根拠を示しておらず真偽は明らかでない。さらに、米国は、昨年末にすでに、北朝鮮が核兵器を1〜2個持っているとの見解を表明しており、今回の発表は多分に政治的なものと思われる。

■カーター元米大統領の訪朝と米朝合意

 94年6月15日にカーター米元大統領が訪朝し、緊張した米朝関係は解決に向かうのだが、カーター訪朝と同じ15日、クリントン政権は北朝鮮に対する二段階制裁案を国連安保理事会に提案した。それは

 一時は武力攻撃を考えたクリントン政権としては、かなり緩やかなもので、カーター元大統領訪朝による話し合い解決に望みを託した内容であるといえる。
 カーター元米大統領は6月15日〜18日まで北朝鮮を訪問し、金日成・カーター会談で、アメリカ政府が国連での制裁に向けた動きを一時停止することに同意。金主席は(1)米朝高官協議第3ラウンドの開催(2)軽水炉転換へのアメリカの支援(3)アメリカその他の国による核兵器不使用、をアメリカ側が確約すれば、核開発計画を凍結すると語ったことが明らかにされた。
 その後、米朝高官協議開催中に金日成主席の死去などがあったが、米朝高官会議で8月12日、(1)北朝鮮は軽水炉への転換を表明(2)外交代表部相互設置の用意(3)アメリカが核不使用を保証(4)北朝鮮はNPTに留まり査察履行の4項目で合意し、10月21日に米朝枠組み合意が調印された。

■米朝枠組み合意の主な内容

(1)北朝鮮がとるべき措置

(2)アメリカ等がとるべき措置

(3)その他

■朝鮮エネルギー開発機構(KEDO)設立

 米朝合意に基づいて94年11月から軽水炉建設協議が始まり、95年3月にKEDO設立準備のための国際会議(アジア太平洋地域、ヨーロッパ、北米、中近東より23ヵ国およびEUが参加)を経て、3月9日、日米韓3ヵ国がKEDOの原加盟国として協定に署名、KEDOが正式に発足した。
 KEDOは(1)韓国型軽水炉2基の供与(2)北朝鮮の黒鉛減速炉からのエネルギーに代わる代替エネルギーの供与(3)その他合意された枠組みの目的を実現するために必要な措置を行う、と決め北朝鮮と交渉し、95年12月15日、供給取り決めが締結された。


(注1)NPTに加盟していないインド、パキスタン、イスラエルは、保障協定モデルINFCIRC/66/Ref.2という文書に従ってIAEAと保障協定を結んでいる。

(W)