出版物原水禁ニュース
2003.6号 

原水禁運動をどう理解するか

開かれた「パンドラの箱」発刊から1年

 昨年夏に原水禁の編集で「開かれた『パンドラの箱』と核廃絶へのたたかい」を出版(七つ森書館)してから間もなく一年になろうとしていますが、今になって様々なことが見えてきました。被爆58周年原水禁世界大会を前にして、何回か連載していきたいと考えます。

☆原水禁運動、幅広い運動をどう理解するか

 原水禁運動は思想・信条・政党・宗派をこえた運動だといわれてきました。当たり前といえば当たり前のことですが、1954年に原水禁運動がスタートして以来、この基本原則ともいうべき立場は政治主義によってたえず脅かされてきました。その意味で日本の原水禁運動は混乱と分裂の歴史でもあったといえます。
 この混乱・分裂がいまだに影響して幅広い市民の参加を阻害しているといえます。どのような運動をしているかが問われるべきなのに、それについては触れないまま、ただ統一を語る人もいます。マスコミについても同じで、核問題を理解する記者が少なくなり、原水禁大会で何を問題にしたか、討論したかを伝える記事はめっきり少なくなりました。

☆生活の場から出た運動

 なぜなのか?第1には、人々は原水禁運動を、思想・信条・政党・宗派をこえた運動といいながら、その言葉の持つ意味を頭でしか理解していなかったからだと思います。
 58年前、ビキニ被災がニュースとして伝えられ、太平洋で獲れるマグロなどの魚が連日廃棄処分にされるを知って、魚を日々食べる日本人は自発的に原水爆実験反対の署名運動を各地で始めたのです。
 それは生活の場からの反対運動だったのです。当時、原水爆実験反対署名の多くが、女性たちによって集められたという事実が、そのことを示しています。この日々の食べ物、つまり生活に放射能が入り込んでくるという恐怖・脅威を拒否するという運動は、チェルノブイリ原発事故の後の運動と共通しています。チェルノブイリ事故の後、多くの女性たちが原発反対運動に参加してきましたが、このことは日本ではいまだに日常の食事を作ることを、女性の多くが担わされていることを示しているともいえます。

☆人類対核兵器という普遍性

 原水禁運動における政治主義は、1955年の第1回原水爆禁止世界大会前にすでに現れていましたが、幅広い参加者と、その幅広さを保障したいという多くの人たちの配慮によってそれが前面に出ることはありませんでした。
 核実験による放射能害を拒否するという日本の原水禁運動は、世界で最初の普通の市民による運動で、ヨーロッパを中心に組織されていた世界平和評議会などよりも、はるかに幅の広い運動でした。その意味で58年にバートランド・ラッセル卿が提唱して発足した英国のCND(核廃絶運動)や西独の「原爆死反対運動」(アトム・トート)、米国の「健全な核政策委員会」(SANE)の運動、さらに79年12月にNATOがパーシングII、トマホークの配備決定を行って以降のヨーロッパの核廃絶運動と同質の「人類対核兵器」という、人類的普遍性をもった運動として存在していたのです。
 しかし「さまざまな人たちの参加する原水禁世界大会」として配慮されたのは、第3回大会までで、第4回大会以降は共産党系代表によって「平和の敵」への闘いが強く主張され、また全学連の学生も「岸内閣打倒」などの政治的立場を主張するなど、原水禁大会は政治主義が支配する大会となっていったのです。
 こうして、ついに第5回世界大会では西独と英国の代表4名が「予備会議報告書は西側ブロックの政策への攻撃に向けられ、中国の核武装表明に触れていない」として大会から脱退しましたが、このことは深刻に受け止められませんでした。
 世界情勢を論じ、日本の情勢を論じ、だから何々をしなければならないという運動と、私は原水爆で死ぬのはいやだという運動とは、根本的に違います。
「私は放射能に汚染されるのはいやだ、だから他の人たちが汚染されるのもいやだ」という考えの運動こそヒューマニズムの運動なのです。原水禁運動の持つこの普遍性を、当時運動に参加していた人たちの多くは理解できなかったのです。

 (W)