出版物原水禁ニュース
2004.01号 

石田明さんの逝去を悼んで

宮崎安男(広島県原水禁顧問)

 全国原爆被爆教職員の会会長、原水爆禁止広島県協議会(原水禁)代表委員、石田明さんが昨年10月27日逝去されました。(75歳)石田明さん
 石田さんは、爆心地から730mの近距離の電車の中で被爆、奇跡的に一命を取り止め、その体に刻まれた様々の原爆症と闘い、文字通り「ヒバクシャのなかのヒバクシャ」として、終生原爆の犯罪性を身をもって告発し続けました。軍国少年であった石田さんは、戦後平和憲法の真髄に触れ、核兵器絶対否定、戦争反対の絶対平和主義を唱える教員の道を選び、「生きるために生きる」を銘として、被爆者は、その全存在を原爆の惨禍を訴え、自らが生きぬくことで生きることの大切さを、とりわけ時代を背負う若者たちに伝える責任があると、叫び続けました。石田さんの原爆白内障の写真は、原爆症の典型として世界中に発信されましたが、その後、喉頭癌や皮膚癌にも冒されて苦しみました。原爆の被害を認めようとしない国に対して石田原爆症認定訴訟を起こし、3年余の全国的闘いのうえに勝訴の判決を勝ち取りました。
 被爆後やがて60年、このところ石田さんは「ヒロシマの風化」に危機感を抱き、今年イラク戦争が始まるや「ヒロシマを忘れる時、ヒロシマが再び始まる」とすべての被爆者に檄を飛ばし、今こそ被爆者の残っている力を振り絞って立ちあがろうと、「ヒバクシャの集い」を呼びかけ、昨年7月、広島で被爆者400名の結集を実現させました。病を押してこの集会の実現に全力をあげた石田さんは、集会の直後再入院し、帰らぬ人となりました。
 子どもたちに非核未来をと、戦後初めて広島に平和教育研究所を設立し、若い人に訴え、続けた石田さんは、志半ばであったでしょう。
 20年の県会議員を退任し、これからは原水禁の活動に専念すると言って、海外の訴えに出発する計画もできていた折りなのに、原水禁としても残念です。ご冥福をお祈りいたします。