出版物原水禁ニュース
2004.10号 

明らかになった普天間基地の危険性

無条件返還を求めよう

大学構内にヘリ墜落

 8月13日午後2時20分ごろ、沖縄県宜野湾市にある沖縄国際大学の構内に、ヘリコプターが墜落しました。墜落したヘリは大学に隣接する米海兵隊普天間基地所属のCH−53Dシースタリオン。墜落直後に、海兵隊員が大学構内に進入し事故現場を封鎖したため、沖縄県警や宜野湾市消防は、現場に近づくことができず、取材も制限されました。墜落事故にもかかわらず、搭乗員4名以外の負傷者が出なかったことは、不幸中の幸いでした。

しかし、墜落現場が住宅密集地であることを考えれば、大惨事に至ってもおかしくない事故でした。実際、本土復帰から2003年3月末までの間に発生した、普天間基地所属の航空機の墜落事故は72件(うち飛行機6件、ヘリコプター66件)もあり、県内での米軍航空機墜落事故217件の33%を占めています。普天間基地は、いつ大事故が起こってもおかしくはない、危険な基地なのです。

辺野古移設は非現実

宜野湾市の中心にあり、市面積の約25%を占める普天間基地が危険性であること、市民生活に負担をかけていることは、日米両国政府とも認識していました。ですから、95年の海兵隊員による少女暴行事件を契機に、日米間に設置された「沖縄に関する特別委員会」(SACO)では、普天間基地の全面返還が約束されたのです。

基地返還は、5年から7年で実行すると約束されましたが、県内に別施設を建設するという条件が付いていました。日本政府は移設先として、名護市の辺野古沖を候補地にしました。しかし名護市の人々の建設反対運動により、工事は着工されていません。また工事計画自体が、環境アセスメントに3〜4年、埋め立て工事に9年半、滑走路・施設建設に2〜3年、機能移設に1年半と、早くても16年後にしか完成しないものなのです。

今回の事故で、市民と軍隊は共存できないことが明確になりました。普天間基地の返還は、一刻の猶予もなりません。実は米国側も、早期の返還を希望しているのです。03年11月に来沖したラムズフェルド・米国防長官は、普天間基地を上空から視察し「こんな所で事故が起きない方が不思議だ。代替施設計画自体、もう死んでいる。」と述べました。日本政府は、辺野古沖への新基地建設に固執せず、「移設なしの無条件返還」を含めて、米国と新たな交渉を開始すべきなのです。

平和運動の総力をあげて基地撤去へ

米軍が事故現場を封鎖したことも問題です。日本政府は地位協定上、機体の管理権は米軍側にあるとし、封鎖を容認しました。しかし、事故は基地の外で起きているのであり、米軍が現場封鎖する根拠は地位協定にはありません。施設管理者の大学関係者さえ立ち入れないことを含め、日本側の権利が侵害されています。政府が地位協定を根拠に米軍の行動を容認するのであれば、地位協定自体を、抜本的に改正しなければなりません。

また、米軍は8月21日、沖縄県の全面飛行中止要請にもかかわらず、普天間基地でのヘリ飛行を開始しました。また普天間基地所属するヘリで、今回墜落したヘリと同型機が、4月に広島で不時着していることが明らかになりました。地域住民の安全など、まったく眼中にないのです。

この秋の反戦・平和運動の最大の課題として普天間基地全面返還をとりあげ、全国からできうる限りの連帯の取り組みを行いましょう。