出版物原水禁ニュース
2004.11号 

ヒバクシャはどこにいてもヒバクシャ
援護法を歪める政府に抗議を!

在外ヒバクシャを差別し続ける国

 9月28日、長崎地裁で在韓ヒバクシャ・崔季K(チェ・ゲチョル)さんに対する長崎市の、「健康管理手当の申請却下処分取り消し」を求める訴訟で、長崎地裁の田川直之裁判長は「援護法の目的は、来日できない在外被爆者にも援護を想定している」と、長崎市の却下処分の取り消しを命ずる判決を出しました。 しかし原告の崔さんは、この日の判決を聞くことはできませんでした。崔さんは今年7月25日、釜山で亡くなってしまったのです。

 崔季Kさんは80年に足の治療で来日し、そのときに、被爆による「運動機能障害」と認定され、健康管理手当を日本政府から受け取るようになりましたが、その年に帰国したため、手当は打ち切られました。

しかし02年12月の大阪地裁の郭貴勲さんへの判決で、日本に居住していなくても健康管理手当や特別手当を支給するようにとの判決が出て以来、国は居住地が日本以外でも支給しなければならなくなり、昨年3月から、日本に居住していなくても申請すれば支給されるようになりました。

このため崔さんも、今年1月に代理人による「健康管理手当」の申請をしましたが、申請時に崔さんが日本にいなかったとの理由で、申請を却下したのです。

郭貴勲さんたち在外ヒバクシャ裁判が勝ち取った判決は、居住地によってヒバクシャの地位が変わるものでない、「ヒバクシャはどこにいてもヒバクシャ」という属地主義でした。司法ではこの判断が定着しているといえます。しかし国(長崎市)は依然として、どこに居住しているかという属人主義をとりつづけているのです。

広島、長崎のヒバクシャが、健康管理手当や特別手当の支給を求めるのは、健康でないからで、病気で申請できない人がいるのは当然です。しかし国は日本国内に住むヒバクシャだけにしか代理申請を認めていないのです。これでは海外に住むヒバクシャには支給しないといっているのと同じことです。

陜川の市場で野菜を売っていた鄭学連さん

陜川の市場で野菜を売っていた鄭学連さん

崔さんは、今年2月20日に長崎地裁に「在外被爆者の権利行使を不可能にし、不合理な差別を生んでいる」と提訴しました。9月28日の判決は日本で定着している、「ヒバクシャはどこにいてもヒバクシャ」の立場を再確認したものです。

しかし崔さんが亡くなって後、9月29日に妻の白楽任さんが長崎市に「葬祭料」の至急申請をしましたが、長崎市はやはり「崔さんの死亡した居住地または現在地が日本でない」との理由で申請を却下したのです。

生きても差別、死んでも差別

同じことは大阪でも起こっています。
韓国・陜川出身の母親・鄭学連(チョン・ハンニョン)さんと、息子の金鐘普iキム・ジョンチョル)さん、さらに母親・鄭龍分(チョン・ヨンブン)さんと二人の息子・朴源祚(パク・ウォンジョ)さん、朴源慶(パク・ウォンキョン)さんの二組が、大阪の阪南中央病院で治療を受けながら、健康管理手当を受給申請し、帰国後も手当を受給していました。

ところが今年の2月、朴源慶さん、鄭学連さんの二人が相次いで陜川で亡くなりました。二人の一家は、ともに広島で被爆し、帰国後の苦しい生活を生き抜いてきました。日本人だったらとっくに健康管理手当を受給していたであろうに、ようやくもらえた健康管理手当は死の少し前だったのです。

二人の遺族は、せめて最後に葬祭料をと大阪府に申請しました。しかし厚生労働省と大阪府は、「死亡の際の居住地も現住地も日本国内にないからしきゅうできない」と二人の遺族の「葬祭料申請」を却下したのです。

しかし、日本に住民登録しているヒバクシャが外国に旅行中に死亡した場合は、葬祭料は支払われます。国と大阪府の却下理由は、在外ヒバクシャを排除する理由でしかないのです。鄭学連さんの息子・金鐘浮ウんと、朴源慶三の妻・崔栄愛(チェ・ヨンエ)さんは9月に日本政府と大阪府に対して提訴しました。