出版物原水禁ニュース
2004.12号 

原子力長期計画策定会議と矛盾深まる「再処理」路線

原子力資料情報室 伴 英幸 

原子力政策は「葵の御紋」?

日本の原子力政策を決める会議が開かれています。会議で原子力政策が決まり閣議を経ると、それは金科玉条のように掲げられ、“控え居れ! この御紋が目に入らぬか”といった効力を発揮するのです。効力は永田町や霞ヶ関界隈を中心に、地方には半ば強制のように押し付けられてきます。佐藤栄佐久福島県知事がその様子をまるで「ブルドーザーのように」押し付けてくると表現するほどです。
原子力政策を決める会議とは、原子力委員会の下に設置された原子力長期計画策定会議のことです。長計策定会議と略して呼ぶことが多いのは、名前が長ったらしいからでしょう。また、長期計画は正式には「原子力の研究、開発および利用に関する長期計画」という長い名称が付いています(以下、長計と略します)。名の示すとおり、単に原子力発電に関するのみならず、原子力に関する研究全般から放射線の利用なども含む包括的な計画が立てられます。
なぜ、原子力委員会が計画を立てるのかといえば、原子力委員会設置法で「原子力利用に関する政策の審議・決定」が仕事とされたからです。その他に、予算配分も仕事になっています。つまり、策定会議は、原子力産業界や原子力関連の学者連中が集まって計画を作り、それに沿って予算配分を行なう、利害調整機能を果してきたのです。長計に一語でも載れば、国の予算の獲得権が得られるが、出なければ、どんなに頑張っても予算は付かないといわれています。
会議のメンバーは原子力産業界とそれに係る御用学者で占められて、国民はカヤの外で計画が決まるのですから、決まった長計に合意せよといっても無理な話です。「原子力政策に国民的合意がない」と平山新潟県知事(当時)、佐藤福島県知事、栗田福井県知事(当時)が内閣総理大臣に提言したのは、最初の長期計画からちょうど40年後でした。この提言以来、長計策定会議に原子力に批判的な意見の人がわずかですが参加するようになりました。原子力資料情報室から1名が今回の長計策定会議の委員に選任されたのはこのような経過からですが、参加してみて、残念ながら策定会議の体質は昔のままの「原子力ムラ」だということがよく分かりました。長計はおよそ5年ごとに見直しが行われてきています。今回の策定会議は10回目の見直しになります。長計が最初に公表されたのは1956年9月で、「原子力開発利用長期基本計画」の名称でした。その年の1月に原子力委員会が発足したので、これは委員会の初仕事でした。
決定された基本計画は高速増殖炉を開発の目標に置きました。当時は高速増殖炉が原子力発電の主流になるだろう、その時代はすぐにやってくるだろうと信じられていました。理論的には、プルトニウムを燃料で消費しながら、それ以上のプルトニウムを生み出すことができるので「夢」の原子炉と呼ばれていました。電気代はただ同然になるとも宣伝されていました。なぜこのタイプが主流とされたか、原発の時代がやってくると、ウラン資源が原発に使われ、軍事用ウランが枯渇する恐れがある、これを避けるためだったという説があります。軍拡競争が勢いを増しつつあった時期ですから、なるほどとうなずけます。
ちなみに、その前年の8月6日に第一回原水爆禁止世界大会広島大会が開催されています。原水爆禁止署名は国内3,200万人、国外6億7,000万人に達していました。当時は、多くの人が原子力の平和利用(商業利用というべき)に大きな期待を抱いていたようです。この期待からも覚めてきつつあるようです。平和利用といえども技術は核兵器開発と共通項が多い、原発が生み出す放射性廃棄物の処理・処分の困難さなどから、原発に代わるエネルギーが求められるようになっています。脱原発へ向う国が増えてきました。

たいへんな夢の後始末

高速増殖炉ではプルトニウムを燃料に使うのですから、ウランを燃料に使った原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出す作業が必要です。これを再処理と言います。再処理の開発が進んで高速増殖炉の開発が遅れた場合にどうするか、プルトニウムを普通の原子炉へ消費するプルサーマルでつないでいくとされていました。プルサーマルはあくまでも橋渡し役で、プルサーマルを目的にするのはコストが高く割に合いません。ですから、高速増殖炉開発が破綻することは再処理する意義も失うことを意味しています。
高速増殖炉開発が進むにつれ、実用化することは極めて困難であることが見えてきました。アメリカでは爆発事故を起こしました。また、費用がかかり過ぎて、一番高い電気代になってしまうことも明らかになってきました。こうして独・英・仏など高速増殖炉開発を進めていた国々が次々と撤退していきました。
日本でも高速増殖炉の実用化2段階前の原型炉「もんじゅ」が1995年にナトリウム漏れ火災事故を起こして現在も止まったままです。この事故を契機として高速増殖炉開発は目的でなく選択肢の一つとされました。2000年に改定された長期計画でのことです。こうなると再処理を続ける本来の意味はなくなります。
一方で、青森県六ヶ所村では大規模な商業用再処理工場の建設がほぼ終わり、水や化学薬品を使った機能試験を終え、これからウランを使った試験を行なおうとしているときです。大義をなくした再処理に対しては、原子力推進内部からも批判が出てきました。ですから、今回の長計では再処理政策を続けるべきか、それとも撤退するべきかが大きな焦点となっていました。

従来路線を踏襲した中間とりまとめ

 今回、32人の策定会議メンバーが12回にわたって会合を重ねた結果、ほぼ従来どおりの再処理路線が踏襲されることとなりました(正式決定は来年秋頃)。会合を重ねたと書いたのは、とても議論を重ねたとは言えないからです。委員の人選は原子力委員会が行ないましたが、人選からして、おおむね結論は見えていました。委員の多くは第1回会合から再処理支持の結論を披露していました。さすがに、何度も同じ意見を繰り返して時間の無駄だといった意見が出てくるほどでした。
結論を先に書きましたが、少し経過を追っておきたいと思います。原子力計画は包括的な内容となりますが、上述の理由から今回は核燃料サイクル政策の審議から始めました。核燃料サイクルに対して、とり得る選択肢を選び出して総合評価するというスタイルをとりました。これまでとは異なる新しいやり方でした。
選び出した選択肢は4つ。地中深く埋め捨てにすることを地層処分といいますが、再処理すれば処理後の廃棄物をガラスと固めて地層処分し、再処理しなければ使用済み燃料を直接に地層処分することになります(安易な地層処分がよいとは思いません)。4つの選択肢は

  1. これまでどおり全量再処理する路線
  2. 一部再処理し後はそのまま処分へまわす路線
  3. 全量直接処分する路線
  4. 当面貯蔵する路線でした。

最後の当面貯蔵は将来再処理の意味が出てくるまで貯蔵するというものです。2. が選択肢に入ってくるのは、六ヶ所再処理工場が念頭にあるからです。この工場の処理能力は年間800トンで、日本の原発から出る使用済み燃料量は年間1000トン前後だから差がでます。この差分は再処理するまでの間貯蔵されます(これを「中間貯蔵」と呼んでいます)。全量再処理をするためには、もう一つ再処理工場を作るか、六ヶ所に続く再処理工場の処理能力を大きく上げるかですが、策定会議では後者を前提としました。全量再処理といっても、1. は処理能力を超える分を中間貯蔵した後に再処理するシナリオですから、2. の選択肢は再処理能力を超える分を直接処分するシナリオにしたのです。
選択肢の比較検討の過程では、コストの比較も行なわれました。すでに再処理のコストは経済産業省がはじいていますので策定会議では直接処分コストを算定しました。その時期に、実はひそかに直接処分のコスト試算を行なっていたことが暴露され、改めて国や電力会社の隠蔽体質が大問題となりました。算定結果は直接処分のほうがはるかに安いというものでした。1キロワット時あたりで表現するとわずかの差ですが、これは少なく見せるためのトリックで、圧倒的に再処理が高くつくことが明白になったのです。
これでは再処理は不利になるので、プルトニウムを利用することで資源の節約になるとか、厄介な高レベル放射性廃棄物の量が減るので再処理は環境に適合しているとか、いろいろこじつけて総合的に再処理は優位としたのでした。しかし実際には、高速増殖炉を進めたい人々は再処理をやめると高速増殖炉研究まで止まるから駄目だといい、電力関係者は(六ヶ所)再処理をやめると使用済み燃料の行き先がなくなり原発が止まる恐れがあるから駄目だといい、国は再処理するかしないかを電力会社の自由な選択にしておくと再処理事業が進まないという、そんな理由で再処理路線が踏襲され、再処理を選択することの積極的な理由は見出せませんでした。

再処理を止める運動を継続しよう!

今回は政策の根本的な転換には至りませんでした。しかし私は、再処理路線は必ず破綻すると確信しました。それにはまだ時間が必要なのでしょう。六ヶ所再処理工場はウラン試験へと進もうとしていますが、それに反対する行動を通じて、再処理を止める大きな運動に発展させていく必要があります。また、この長期計画はある程度の骨格が決まった段階でパブリックコメントを求めます。この時に、再処理政策の転換を求める一人一人の生の意見を表明することで、政策転換を迫ることができます。いちばん大切なことはあきらめないことです。