出版物原水禁ニュース
2005.2号 

原水禁国民会議40周年を迎えて ― 原点に立って

 広島原水禁顧問・元原水禁国民会議副議長  宮崎 安男

今年は、戦後60年、原爆被爆60年、そして原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が、1965年2月1日、東京の全電通会館で発足して40周年を迎えました。

 この間、原水禁はどのような役割を果たし、いま何が求められているのか、みんなで改めて考えてみようではありませんか。

 広島の平和公園にある地球平和監視時計は今年1月1日21,698日を刻みました。ヒロシマ・ナガサキ以後、核兵器の使用を抑え続けた積み重ねの日々を刻む印です。しかし、世界は今も核時代、今年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を目前にして、ブッシュ米政権は前回の「核保有国は保有核兵器の完全廃棄を約束する」との「非核の誓い」を死文化しようと、新たな核開発と先制核攻撃政策を発表しており、またIAEA(国際原子力機構)のエルバラダイ事務局長は、世界で「数ヶ月で核兵器を開発できる国は30ヵ国〜40ヵ国もある」と警告し、核燃料サイクルの5年間凍結を提案しています。核物質を世界で一番多く保有している日本は、その凍結提案されている核燃料サイクルを六か所村でいよいよ稼働させました。

 このように見ると、原水禁の果たしてきた役割、これから果たすべき役割は明らかですが、そこで「なぜ原水禁なのか」を改めて問うておきたいと思います。

 原水禁発足の直接の動機は二つあります。

一つはヒロシマ・ナガサキ・ビキニの惨禍を二度と繰り返してはならないとの自覚の上に、いかなる国・理由によろうとも否定するというヒバクシャの原点に立つこと、いま一つは核の人類に及ぼす被害をなくし非核平和を実現するという運動においては、政党の過剰な介入を排し非暴力で誰もが参加できる国民運動を築くことでした。

 原水禁運動のこの二つの原点は、社会変革を求める運動や、環境・人権を守る運動とも区別され、政治的統一戦線の一環として利用しようとした政党の思惑を拒否するものでした。もちろん、核は平和の最大の敵、最大の環境破壊、最大の人権侵害であり、政治の変革がない限り実現困難な運動ではありますが、これらの運動と二重三重に重なりつつも、混同せず原則を崩さず、動揺しないことが重要です。

 とりわけ「いかなる(国の核実験にも反対)問題」は、国際政治の背景と何が主要な矛盾なのかを見きわめて同一視はしない、けれどもいかなる意味でも核の絶対否定を貫く原則です。ソ連の核実験を平和勢力の抑止力で防衛のためとして抗議を拒んだ当時の原水協中央への断固たる反論でした。

 原水禁運動での核の平和利用については、今も見解が分かれています。原水禁は国内外の核の被害者と広く交流し、核の開発実験が先住民や小国の人々に絶大な被害を及ぼしている現実にふれて、早くから核の平和利用への疑問や懸念を表明し、1975年の被爆30周年世界大会において核絶対否定の方針をうちだしました。民生利用の現実を認めながら、一日も早く非核社会の実現をめざそうと呼びかけたのは、ヒバクシャには核の軍事利用も平和利用も区別はないからです。そして、それ故に核依存から脱し非核平和の実現をめざす具体的な行動提起を行ってきました。

いま、私は次の点が原水禁に求められていると考えます。

  1. 被爆60年、ヒバクシャの生き続け語り尽くす運動を支援し、世界のすべてのヒバクシャが、核の威力ではなく、その人間的悲惨さの実相を明らかにし、支援と補償の権利を国際的に確立すること。
  2. 核による支配を頂点とする世界の戦乱と暴力の連鎖を断ち切り、共生と和解の、希望のある平和実現のために、まずアジアの非核平和地帯化運動に全力を傾注すること。
  3. 日本の核政策とくに核燃料サイクルを中止させ、もんじゅを廃炉にし、核物質の廃棄の道筋を定めること。

ヒバクシャを原点に、核兵器の完全廃絶と、核物質の国際管理、非核社会実現に向けて、原水禁が力強く前進することを、願ってやみません。