出版物原水禁ニュース
2005.5号 

新刊紹介「マーシャル諸島 核の世紀」

フォト・ジャーナリスト 豊崎 博光

 1954年3月1日、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆ブラボー(15メガトン)実験によって第五福竜丸の乗組員23人、ロンゲラップ環礁住民86人(胎内被曝者4人を含む)、ウトリック環礁住民166人(胎内被曝者9人を含む)が死の灰をあびせられ、翌1955年から原水爆禁止運動が始まりました。

日本人が、福竜丸の被災地点・マーシャル諸島の人々の核実験被害を知ったのは、1971年の原水禁による現地での被曝調査、それ以降の被曝住民やマーシャル諸島議会議員などの来日によってです。また、マーシャル諸島の被曝者の支援運動を通して太平洋の非核独立運動にも取り組むことになりました。

 しかし、水爆ブラボー実験はアメリカがマーシャル諸島で行った67回の核実験の一部でしかありません。1946年7月から58年8月まで、ビキニとエニウェトク環礁で行われた67回の核実験の爆発威力の合計はアメリカが広島に投下した原爆に換算して7,200発分(約108メガトン)に相当し、チェルノブイリ原発事故の150倍(約63億キュリー)の放射性ヨウ素131(甲状腺腫などを起す)が放出されたのです。

この結果、核実験場のビキニ環礁は死滅させられ、エニウェトク環礁は半死、ロンゲラップ環礁が崩壊させられただけではなくマーシャル諸島全域が被害を受けました。核実験終了後はクワジェレン環礁で核兵器の運搬手段ミサイルの実験が行われ、その模擬弾頭に詰められた劣化ウランによって新たな放射能被害を受けているのです。

 これに対してアメリカは、1987年から15年間の自由連合協定で1億5,000万ドルの被曝補償金などを支払いました。マーシャル諸島政府は、被曝補償金などは不十分として、2000年に約32億ドルの追加補償金を請求しましたが、2005年1月、追加請求は受けつけないと回答しました。

核実験による被害を限定して他の島々の人々の被害を切り捨てたアメリカは、再びマーシャル諸島の被曝者を切り捨てようとしているのです。

 私は、1978年以来、何回もマーシャル諸島を訪れ、この67回の核実験によるマーシャル諸島の島々と海、人々に対する被害の取材を行ってきました。マーシャル諸島の人々は健康への被害だけでなく、心もむしばまれ、伝統や文化を消滅させられるなどその被害はこれまで伝えられてきた以上に深刻で、広範囲に及ぶものでした。

それらマーシャル諸島の人々の健康への被害や心の痛み、消滅させられた伝統や文化、そして核の世紀の真只中に投げ込まれてから半世紀以上もの時間を過してきた人々の歴史を記録することは重要と考えてまとめたのが、今回、日本図書センターから出版される「マーシャル諸島 核の世紀」です。

「マーシャル諸島 核の世紀」では、ロンゲラップ環礁元村長ジョン・アンジャインさん(2004年7月、81歳で死去)の「私たちは不安なのです。病気になると爆弾のことを考えます。人々が死ぬと、爆弾のことを考えます」や、弟で前マーシャル諸島議会上院議員のチェトン・アンジャインさん(1993年、骨ガンで死去。60歳)が1985年5月に残留放射能の被害から逃れるために住民全員が故郷のロンゲラップ島を退去する1ヵ月前に米議会で述べた「マーシャル諸島では土地の所有は非常に重要です。土地は将来の世代を含む家族全体に祖先から授けられたもので、土地を持たない者は落伍者であり、二級の市民なのです」など、人々の心の言葉を多数書きとめました。

また、公表されたアメリカの機密解除文書を使って、マーシャル諸島の人々に対する放射能人体実験なども明らかにしました。

本書では、米ソなど核保有国の核開発、核軍縮交渉、世界の被曝者、世界の反核・被曝者救援運動、日本の反核・反原発運動と被爆者救済運動など私がこれまで取材してきたものなどを同時代史として書きとめることで、マーシャル諸島の人々の核実験被害の実態を明らかにしました。この本によって、アメリカによる広島、長崎への原爆投下から60年目、原水爆禁止運動の始まりから50年目を迎えるなか、いまなお続く「核の世紀」の実相を知っていただければ幸いです。

【5月刊行予定】マーシャル諸島 核の世紀〈1914‐2004〉 上・下(全2巻)豊崎博光著/A5判500〜550ページ(予定)
問い合わせ先:日本図書センター 03-3947-9387