出版物原水禁ニュース
2005.6号 

被爆60周年 多くの課題が山積する原水禁世界大会(1)

アジアにおける米軍再編の行方は

 この原稿を書いている現在は、NPT再検討会議が開会されてから10日余。いまだに議題が決まりそうで決まらないという状況が続いていて、ほとんど成果なく終わるのではないかと思われます。一方で北朝鮮が寧辺の実験用黒鉛減速炉から使用済み核燃料棒8000本の取り出しを表明。核実験も近いのではないかとの推測もあります。

被爆60周年という今年は、このような核兵器の無法時代の到来さえ心配されるなかで開催されるのです。

60年前の広島、長崎の惨劇を知ることから

広島、長崎に原子爆弾が投下されてから60年も経過すると、当時の惨状への記憶も風化してきます。私たちは広島、長崎の原爆資料館を見学したり、ヒバクシャの方々の話を聞いて当時を想像する以外に、60年前の惨劇を知ることはできないのです。これは私たちの日常的な状況として理解する必要があります。

このような状況のなかで、私たちは核戦争がどのような悲劇を作り出すのか、想像力を回復することから始めたいと考えます。核戦争の被害を理解するひとつの事例としてチェルノブィリ原発事故があります。チェルノブィリ原発事故当時、ソ連共産党書記長だったゴルバチョフは「私はこの事故によって核戦争の恐ろしさを実感した」と語っています。

チェルノブィリ原発が人々にもたらした被害は放射能による被害です。広島、長崎の被害はそれに爆風、熱線の被害が加わります。しかしどちらもウラン原子の核分裂によって起こった悲劇なのです。

不幸なことに日本の運動のなかに、広島、長崎の被害と原発事故の被害を区別しようとする人たちがいます。それは広島、長崎のヒバクシャのなかにもあって、そのことが逆に広島、長崎が十分に引き継がれない一因になっているといえます。2006年はチェルノブィリ原発事故20周年になります。改めて広島、長崎、チェルノブィリ(そして東海村)をつなぐ運動を作っていくことが重要です。

広島、長崎の記憶は、未来の核戦争への恐怖を想像させるから大きな意味があるのです。チェルノブィリや東海村の同じ核による被害として理解することが未来につながる大きな力となるのです。

北朝鮮の核武装化にどう対応するのか

北朝鮮が自国存続の保証を確実にするためだけに、核兵器保有を誇示することは、広島、長崎の悲劇をなんら教訓化していないといえます。北朝鮮には広島、長崎のヒバクシャが数多くいると考えられますが、この人たちの経験がまったく一般化していないのは北朝鮮にとっても世界にとっても不幸なことです。

北朝鮮は核兵器保有を主張していますが、どのような核兵器を保有しているのかは明らかでありません。その核兵器がミサイルに積載できるほど小型化されているのかなど、不明な点は多いのです。しかし核兵器のために努力を続ければ、いつかは必要なものが完成すると考えます。

北朝鮮の核問題は六者協議による解決しか存在しないのですが、米国は根拠の不確かなウラン濃縮まで含めた廃棄を求めています。一方日本は、拉致問題が大きな足かせとなっていて、有効な方策を打ち出せないでいます。日本も米国も六者協議再開を中国の努力に求めていますが、日本がプルトニウムだけに問題をしぼるように、米国を説得すれば、状況は大きく動くことが考えられます。

しかし六者協議を巡っての日本の動きを見ていると、北朝鮮・核問題の早急な解決を望まない勢力が存在しているとしか思えないときがあります。拉致問題、核兵器問題をテコとして、日本の民族主義を鼓舞し、核武装化を遠い将来であっても視野に入れて動いている人たちがいるのではないかと。

六者協議が開催されないまま、いずれ北朝鮮が核実験を行ったとして、米国がその段階で妥協することは望めません。つまり私たちは核兵器を保有し、ときに脅迫的な言辞を弄する隣国との共存が迫られる可能性が大きいといえます。

私たちはあくまでも北朝鮮の核兵器廃絶を要求し続けますが、それは米国の軍事的圧力などによってではなく、東アジアの友好的な共生関係を作っていくなかでしか解決しないことを理解すべきでしょう。

東アジアには北朝鮮核問題だけではなく、ミサイル防衛など、中国をターゲットとした日米軍事戦略網も展開されようとしているのですから、ますます東アジア共通の安全保障を考えるときにきていると思います。


(W)