出版物原水禁ニュース
2005.7号 

被爆60周年原水禁世界大会の課題(2)

NPT再検討会議が終わって
危機に直面する核不拡散体制と原水禁運動

予想されたNPT再検討会議の結果

 すでに明らかなように、05年5月2日から27日までニューヨークの国連本部で開催されたNPT(核兵器の不拡散に関する条約)再検討会議は、まったく合意が成立せず、議長声明さえ出すことができないまま閉会しました。

 NPTは他の条約には例を見ない世界・189ヵ国が参加していて、何も決まらなかったといって条約が崩壊することはありませんが、実質的に空洞化していく状況は否めません。

何が問題だったのかを考え、NGO、運動体として、何が必要かを考えたいと思います。その前にNPT成立の背景と条約の主要点を述べておきます。

 NPTは、1968年7月に署名され、70年3月に発効しましたが、その背景には53年12月に、国連総会でアイゼンハワー米大統領が「平和のための原子力」提案を発表し、それ以降、世界に原子力開発技術とともに、核兵器物質が広がり、核保有国の増加が心配されたことがあります。

 条約は、67年1月1日以前に核兵器を保有していた米、ソ、英、仏、中国を「核兵器国」と定め、それ以外の国を非核兵器国として、核兵器を保有しないことを約束し、IAEA(国際原子力機関)の保障措置の受諾を義務づけ(3条)、その代償として非核兵器国に平和利用の権利を強調しています(4条)。

一方核兵器国は、核軍縮へ向けて「誠実な交渉を行うことを約束する」(6条)するとしていますが、核兵器開発、製造、貯蔵、配備などについて一切規定していません。またIAEAとの間でも協定を結んでいますが、いっさい査察は受けていません。このためNPTは核兵器国の核独占を合理化している欠陥条約だと批判されてきました。NPTはこのような不平等性を何ら解決することなく35年を経過したのです。

 NPTの発効後もフランス、中国は、米ソ支配を理由にNPTへの参加を拒否していて、加盟は冷戦終結後でした。核開発計画を進めていたブラジル、アルゼンチンも冷戦終結後に加入し、南アフリカも保有していた6個の核爆弾を解体し、91年に加入しました。日本も署名は68年2月でしたが、批准は76年6月でした。

NPTとIAEA、追加議定書

 NPT条約第3条に、加盟国はIAEA(国際原子力機関)への加盟が義務付けられていますが、IAEAもまた、53年のアイゼンハワー米大統領の「平和のための原子力提案」を契機に、原子力平和利用の国際機関設立構想が提唱され、56年7月にIAEA憲章が採択され、57年7月に設立されました。IAEA憲章では(1)平和目的に原子力を推進する。(2)軍事転用されないための保障措置の実施がうたわれています。

この保障措置はいろいろありますが、簡単にいうと加盟国の自主的な届け出によって、加盟国がIAEAの定期的な査察を受け入れ、その査察によって原子力施設が軍事に転用されていないことの確認を受けるというものです。しかし、92年の北朝鮮に対する査察では、使用済み核燃料の再処理が、申告とは別にも行われたことが明るみに出て、北朝鮮のNPT脱退通告など、その後の北朝鮮核武装問題の発端となったことは周知の通りです。

ただ、この保障協定は、あくまで自己申告に基づく施設に対する査察であって、未申告の施設などの疑惑が出てきても、それを強制的に、あるいは抜き打ち的に査察することはできません。イランのウラン濃縮施設が秘密裏に建設されていたことは、IAEA保障措置の不備を示すものといえます。

こうした不備を補うためにIAEAは加盟各国との間で、抜き打ち査察や原子力施設からのサンプリング採取といった、「追加議定書」の締結を求めることが、97年のIAEA特別理事会で採択されました。

たしかにIAEA加盟国すべてが追加議定書を締結すれば、世界の核物質の状況がかなりの部分明らかになるといえます。しかし現在は、加盟国の自主的判断にまかされているため、NPT加盟国に義務付けの合意を取りたいというのがIAEAの立場でした。

核燃施設の国際管理案

さらにNPT再検討会議を前に、新たに「核燃料サイクル施設」国際管理構想がIAEA事務局長によって提唱されました。ウラン濃縮や再処理施設の新規建設を5年間凍結し、その間に既存の施設を国際的な管理下に置こうというのです。

しかし、この国際管理案には、IAEAが原子力の平和利用を前提としていること、核兵器国のプルトニウムや高濃縮ウランは除外されるなど、核軍縮ではなく核拡散だけに問題をしぼっていることによる問題があります。05年NPT再検討会議では、こうした提案もまったく討論されることなく終わったのですが、今後IAEA理事会、さらに2010年の再検討会議でも議論されることが考えられます。

2000年合意はどうなる?

 5年前の2000年再検討会議では、核兵器廃絶への核保有国の明確な約束など13項目合意(資料参照)や、非核兵器国に核兵器による威嚇や攻撃を行わない「消極的安全保障」の条約化の重要性、非核地帯条約の重要性などが確認されました。21世紀を前にして世界は核廃絶への大きな希望を抱いたのです。

 しかし、01年にブッシュ米大統領が登場。さらに「9・11同時テロ」は米国の態度を激変させました。05年再検討会議を前に、米国は早くから2000年合意の死文化を目指していました。具体的に見てみましょう。

再検討会議開会から2週間余が過ぎた後、ようやく3つの委員会が設置されました。まず核軍縮が議題となった第1委員会では、核兵器国の軍縮を求める非同盟国などに対して、米、フランスなどが反対しました。CTBTの早期発効についても米国は「CTBTはすでに死文化している」と主張して反対しました。

第2委員会では核拡散防止が、第3委員会では原子力の平和利用が議題となりましたが、イスラエルの核保有を問題とするエジプトなどの中東諸国と、イランの核武装を疑う米国とが激しく対立。NPTからの脱退阻止や、IAEAの抜き打ち査察を認める追加議定書への参加を義務づける案などの合意も成立しませんでした。

このように05年再検討会議は、すべての議題について対立し、いっさいの合意文書は成立しませんでした。この決裂によって2000年合意は死文化したのでしょうか? ノーです。合意文書が核廃絶を願う世界の希望が結集した文書である限り生き続けます。むしろ米国の超核大国としてのエゴを拒否し、2000年より後退した文書が作成されなかったという点において、私たちを含めて世界の核廃絶を願う力を評価すべきでしょう。ただ、この状況は切り開かなければなりません。その意味で、私たちは2000年合意文書を理解することから始める必要があります。

資料・2000年再検討会議最終文書

注1:米国のABM条約の一方的廃棄によってSTARTIIは成立せず、新たに米ソ間で「戦略的攻撃能力削減に関する条約」(モスクワ条約)という、2012年までに米ロの戦略核弾頭を1700〜2200に削減するという以外、何らの規制もない条約へと後退しました。

注2:ICJ=国際司法裁判所


(W)