出版物原水禁ニュース
2005.8号 

駐韓米軍の再編計画と地域の状況(2)

アジア太平洋資料センター調査研究員 李 泳采(イヨンチェ)

去る7月10日、「汎国民対策委員会」主催で平沢では大学生、市民、農民等1万2千余名が集まり、「平沢米軍基地拡張阻止及び朝鮮半島戦争反対のための平和大行進」を行いました。参加した農民らは「死んでもこの土地からは離れない」と、基地拡張反対闘争の固い決議を表明しました。駐韓米軍再編の「台風の目」として浮上した平沢。ここでは現在311日目、基地拡張反対のためのキャンドル集会が毎晩続いています。

平沢市大推里(デチュリ)にある米軍基地と村の境界線にある鉄條網には地図が一枚描かれています。これは「心理地図」と呼ばれています。そこには、村の年配者が幼いころの記憶を辿り、米軍基地内で生活していた村の昔の風景を描いているからです。地図には山、川、学校、大きい岩など古村の地形が表示されています。注目されるのは、その絵の中に、「日本兵士」の姿、「日本軍飛行場」などと書かれているのです。これは、この地域が日本の植民地時代から基地として使われていたことを暗示しています。

日帝植民地時代、平沢に日本軍の飛行場が建設され、住民はその地域から追い出されました。45年8月、朝鮮解放以後、この地域は米軍飛行場に変わりました。そして、朝鮮戦争以後、米軍は大々的な基地拡張を展開し、さらに多くの住民たちが鉄條網の外側にもう一回追い出されました。さらに、50余年が流れた後、今度は駐韓米軍の再編とともに、米軍基地の大々的な拡張を理由に、住民から再び村と農地を根こそぎ奪おうとしています。しかし、冷戦時期、反共の影響もあり、2回も村から追い出されながらも、声さえだせなかった彼らは、今回は決して自分の村と土地を奪われないと強い意志を見せています。

 ペンソン地域内の米軍基地面積は、現在148.1万坪で、今後新しく拡大される基地面積は405.1万坪、何と3倍近く面積が拡張されるのです。この計画によると、合計8ヶ村が基地拡大で消滅することになります。これらの村の代表を中心とする住民対策委員会と、市民団体を中心とする市民対策委員会が構成され、連帯しながら、毎晩キャンドル集会、全国巡回広報、連帯活動、10万人の平沢を守る会員募集活動などを行っています。

一方、去る6月18日、平沢から約1時間離れている梅香里で、米軍射撃場閉鎖対策委委員長であるジョンマンキュさんは、二日後の住民大会の前に、緊急村対策会議を招集しました。

来年8月まで梅香里射撃場を閉鎖するという国防部の方針以後、公式的な発表が出ていない状況で、代替地として言われた全羅北道の直島で住民たちの反対運動がおき、梅香里の射撃場閉鎖の方針に影響があるという可能性が強くなってきました。対策委員会は、住民たちの中にまた不安感が拡大することを考慮し、政府の射撃場閉鎖発表を促す「全住民大会」を予定していましたが、当日の朝、国防部の射撃場閉鎖方針という報道がなされました。対策委員会は、その真意を確かめるため、国防部への確認結果、部署間の意見が一致しないことから、この報道は、住民大会を分裂させるための誤報だという結論を出していました。このような緊急村対策会議を前に、ジョンマンキュ委員長は笑顔で、梅香里射撃場が閉鎖され、その地に平和公園が建設される日まで、住民たちの闘いは終わらないと、決意を述べていました。

また、「民主化の都市」と呼ばれている光州でのパトリオット撤退闘争も活発に展開しています。光州松亭里の光州飛行場に、昨年11月、パトリオット・ミサイル部隊である駐韓米軍第35防空砲旅団兵力450人が追加で配置され、16機のパトリオット・ミサイルが配置されました。

 市民団体はこれに対抗して、パトリオット撤去のための光州全南共同対策委を構成し、毎週金曜集会、全国署名運動、平和行進などを展開しています。去る5月15日には光州民主化運動週間にパトリオット撤去のための全国大会を開催し、この問題を全国的に知らせるために努めました。また、共同対策委は去る7月8日、31回目の金曜集会を開きました。そこで対策委員会は「光州は5月民主化抗争の精神を受け継いで、民主主義死守と戦争反対、朝鮮半島の平和を守る聖地として、パトリオット・ミサイル撤去のために最後まで闘う」と表明しました。

そのほか、東豆川、議政府、春川など基地返還が予定されている地域では返還地の市民公園への転換のため「無条件返還」を要求しています。

写真参考:
http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=262710