出版物原水禁ニュース
2006.3 号 

マーシャル諸島の現在

─被災52年目のビキニ・デーを前に─

竹峰 誠一郎(早稲田大学大学院博士課程)

05年5月ニューヨークでNPT再検討会議が開催されていた最中、飛行機で1時間ほどのワシントンDCでは、「マーシャル諸島の核の遺産」と題した公聴会が、米下院の委員会でひっそりと開催されていました。

公聴会は、マーシャル諸島共和国政府が2000年に米議会へ提出した、核実験の追加補償請願を検討するために開催されました。実に5年もの歳月を経て、ようやくマーシャル諸島の核実験補償問題が米議会の議題にのぼったのです。

中部太平洋のマーシャル諸島では、1946年から58年にかけて米国による原水爆実験が67回実施されました。1954年3月1日には、マーシャル諸島のビキニで水爆ブラボーが爆発し、現地住民とともに、第五福竜丸なども「死の灰」を浴びたことは、周知のとおりです。あれから半世紀以上の月日が流れても、核実験の傷痕は消えることはありません。

マーシャル諸島では、アメリカへ「核の遺産」と向き合い、被害への責任を果たすことを求める声が、止むどころか、むしろ強まる傾向にさえあります。1986年に米国から1.5億ドル支払われ創設された基金は、ほぼ底をつきつつあります。償いを求める声は、これまでヒバクシャとして認知されてこなかった地域からも公然と聞こえてきます。

2004年9月、米国立癌研究所は「今後ヒバクシャの間で3、000余例の癌が発生し、そのうち約10%は放射性降下物によるもの」との予測を発表しました。この予測は「過小評価している」との批判もありますが、マーシャル諸島側は、この報告書も活用し、存続が危ぶまれている健康管理事業の継続を強く求めています。ヒバクシャの多くは例え発病していなくても、放射性降下物に対する不安を心に抱き続けています。

マーシャル諸島のビキニとロンゲラップの全域、またエニウェトクの北半分には、かつて人々が暮らしていたもとの光景は現在も見られません。その土地の「主人」は、移住生活を余儀なくされ続けています。

人びとの「命綱」であった土地に死の灰が降ったことは、物理的以上の損失を伴いました。自分たちの土地から切り離され、その土地で築いてきたものすべてを失いました。生活に馴染んでいた、その土地の音や風景までも生活空間から奪われました。さらにその土地の上に築いてきた、独自の文化も奪われています。

こうした中マーシャル諸島側は、土地の損害に対する償いも求めています。その要求は、単なる市場価値ベースではなく、土地が大変重要な意味をもつマーシャル諸島の社会的背景も踏まえたもので、文化的影響も考慮されています。

そもそもマーシャル諸島の土地は、売り買いの対象ではなく、市場価値を持ちません。土地は、単一の市場価値だけでは測れない、実に多様な価値をもっているのです。しかし、こうした土地の意味は、米側にはほとんど理解されていないようです。05年8月に公表された米議会調査局の報告では、土地被害はもっぱら市場価値ベースで議論され、「マーシャル諸島側は過大に請求している」と結論づけられていました。

 ブッシュ政権は、マーシャル諸島側の核実験補償要求に対し、1986年に1.5億ドル支払い(自由連合協定第177条と同実施協定)、これをもって決着済みとの見解です。また、マーシャル諸島側は近年機密解除された文書などから、1986年には考えられなかった被害が明らかになっていると主張しますが、ブッシュ政権は見直すべく新たな状況は生まれていないとの立場を表明しています。

核実験補償をめぐる公聴会は、5月の下院に続き、7月には上院の委員会でも行われました。9月には、マーシャル諸島側代表団と米国側の大がかりな交渉も行われました。核実験追加補償問題をめぐる結論はまだ出ていません。

こうしたなかマーシャル諸島は、あの「ビキニ」から52年目を迎えます。3月1日には現地のヒバクシャ団体ERUBも、集会を準備していると言います。どんなメッセージが発せられるのでしょうか。私は再び現地へ赴く予定です。

※マーシャル諸島の現状を正確に知りたい方は、隠されたヒバクシャ―検証=裁きなきビキニ水爆被災(凱風社、2005年)の3・4章を参照してください。同書2章には、近年機密解除された新資料を駆使し、第五福竜丸の被災をめぐる米国の対応に迫る論稿も所収されています。