出版物原水禁ニュース
2006.4 号 

被災52周年ビキニデー集会を開催

1954年3月1日にアメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い、静岡・焼津の漁船「第五福竜丸」が被災してから52周年の3月1日夜、500名が参加して静岡市内でビキニ・デー集会が開催されました。

ゲスト・スピーカーの作家・広瀬隆さんは、私たちの身の回りに迫っている現在の「三つの巨大な危険」として、(1) 六ヵ所村再処理工場の稼動とプルサーマル運転、(2) 高レベル放射性廃棄物の地層処分(日本各地が放射性廃棄物の埋没候補地として調査されています)、(3) 巨大地震と浜岡原発の運転を挙げ、緊急にこの危険を日本からなくしていくことが訴えられました。

また、1954年ビキニ水爆実験時のキノコ雲の写真を示し、キノコ雲の直径が100km(東京駅から富士山山頂の距離に相当)、第五福竜丸は130km地点のところにおり、早朝「太陽がふたつ昇った」と思われる状況で3〜4分の間ずっと明るかったことなど、いかに爆発が甚大なものであったかを示しました。

1940〜1950年代にアメリカは太平洋において次々と核実験を行ないました。今回の3・1ビキニ・デー集会に向けて、マーシャル諸島共和国大使館からメッセージを受けましたが<枠内参照>、これらの実験は地域の人々に大きな被害を現在に至るまで及ぼしています。(これにもかかわらず1954年ビキニ水爆実験当時、時を同じくして日本では原子力予算が通過し、原子力開発がスタートしました。)

1999年には茨城県東海村でJCO臨界事故が起こりましたが、その時の政府発表では直後に地域住民に「建物の中にいなさい」という報道と同時に、「健康への心配なし」という拙速な情報がTVで流されたことも紹介されました。また今年はチェルノブイリ原発事故から20年ですが、当時「31人に過ぎない」とされた被害者が、現在数百万人と言われていることが挙げられました。

さらに、第五福竜丸展示館長の川崎昭一郎さんと、浜岡原発プルサーマルの危険性について地元の塚本千代子さんから訴えがあり、集会を終了しました。

去る2月23日には核廃絶をもとめる世論に逆行しアメリカが22回目の未臨界核実験(於ネバダ州)をイギリスとともに強行しました。(※原水禁による抗議申し入れ書参照)

昨年5月に開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議ならびに秋の国連第一委員会(軍縮、安全保障関連)で、アメリカは包括的核実験禁止条約(CTBT)をはじめ国際的な核軍縮合意の進展に杭さす立場をとり続けています。

未だ世界中で止むことのないヒバクの事実・危険性に対し、私たちは国内外の核軍縮・脱原発の運動をさらに強固かつ効果的に進めていくことが求められています。

参考:マーシャル諸島共和国大使館から3.1ビキニ・デーへのメッセージ