出版物原水禁ニュース
2006.4 号 

核問題についてのいくつかの考察(3)
日本政府による核武装の是非
外務省は○? 防衛庁は?

米国はNPTの老衰死を狙うのか?

ほんのわずかな月日の間に、核問題は大きく動いていきます。3月2日、ブッシュ米大統領はインドでシン首相と会談。政治・経済・軍事など戦略的関係の強化とともに、原子力発電などに米国の技術を提供することで合意しました。

新聞報道によると、現在インドには建設中を含めて22基の原子炉があり、この内の14基を民生用としてIAEAの査察を2014年までに受け入れる。高速増殖炉についても、現在運転している小規模・実験用の施設(処理能力不明)は民生用とせず、将来建設される大規模施設については、原則として査察対象とすることで米国と合意したとのことです。

米国では原子力法によってNPT未加盟国に対する核技術協力は禁じられています(インドは未加盟)が、ブッシュ大統領は原子力法を改正してでも、インドとの協力を取り付けようというわけです。しかし米国の都合だけで核問題に対処していては、NPTをますます存在意義の低い条約へ追いやろうとする行為でしかありません。

米国の行動がイランを核開発へ追い込んでいる

このような米国の対応はイランのウラン濃縮問題にも大きく影響します。3月6日?8日のIAEA定例理事会では、イランが「米国の二重基準(ダブルスタンダード)」に反発し、エルバラダイ事務局長の「イランの濃縮活動の即時停止、EUなどとの交渉再開」を求める声明を了承するだけで終わりました。2月のIAEA緊急理事会で、イラン核問題を国連安保理で審議するよう求める付帯決議を採択しているため、舞台は国連安保理に移りますが、長期にわたる米国のイラン敵視政策を考えると、現在イランにウラン濃縮を止めさせる手だてはなさそうです。イランがもし核武装に進むとしたら、その原因は米国自身にあるといえます。

日本の国家首脳による核武装への言及

日本の政治家のトップが核武装を考えた時期は意外に早く、1961年1月に箱根で日米貿易経済合同委員会が開かれたとき、当時の池田首相がラスク米国務長官に「少数派だが、日本も核武装が必要だとする論者がおり、それは自分の閣内にもいる」という表現で、池田首相自身の意見を述べたといいます(※1)。

中国が初の核実験を行った64年当時の佐藤首相も、日本核武装に意欲を持っていて「国民にはまだ核武装への準備ができておらず、教育が必要だが、日本の科学、産業は十分に作れるレベルだ」と、ライシャワー駐日大使に話したとのことです。米国は佐藤首相の言葉に強い衝撃を受け、65年1月の日米首脳会談の際、米ジョンソン大統領は日本に対する「核の傘」を約束し、日本が核武装を考えないよう求め、佐藤首相も「核の傘」を受け入れたといいます(※2)。ただ米国の日本に対する「核の傘」が公になったのは、75年8月の三木・フォード会談後の共同新聞発表によってでした。

これ以降は日本政府首脳が核武装論を口にしたことはありません。日本は核武装すべきだとの思いを封印してきたのかもしれません。

日本政府関係による核武装研究

一方、日本の政府関係ではかなり早くから日本核武装の是非についての研究が行われてきています。現在明らかになっている研究では、67年?70年にかけて、内閣調査室がその外郭団体である「民主主義研究会」(代表・蝋山正道氏)に「独立核戦力創設の可能性」の研究を委託しました。その報告書は「核戦力は持てない」と結論づけました。

同じ頃、外務省も「外交政策委員会」という非公式研究会を発足させています。この研究については毎日新聞社会部編の「ウサギの耳とハトの夢」(1995年3月・リベルタ出版発行)に詳しいのですが、この非公式研究会は68年から70年代まで続けられ、さらにその後「政策協議」と名を変えて、90年代初めまで、不定期的に行われてきたとのことです。この研究については次号で紹介しますが、外務省には強固な日本核武装論が存在していたようです(現在は不明)。

防衛庁も日本核武装について研究しています。現在手元にあるのは、81年7月31日付けの防衛庁防衛研修所(現在防衛研究所)の水野所員、内藤助手両氏による「我が国防政策(戦略)のあり方?中・長期的視点からの検討」中間報告の一部、95年5月29日付けの防衛庁による「大量破壊兵器の拡散問題について」、03年9月の防衛研究所・小川伸一氏による「再燃している日本の核武装をめぐる論議についてーブリーフィング・メモ」の3つです。

※1、※2 吉田文彦+朝日新聞特別取材班「核を追う」(2005年12月朝日新聞社刊)

(W)