出版物原水禁ニュース
2006.5 号 

核問題についてのいくつかの考察(4)
運動の側が核兵器を知る必要

物質的条件がすべて整った日本

核武装へのフリーハンドを考え続ける外務省

1994年の国連総会は国際司法裁判所に「核兵器による威嚇と使用は国際法に違反するか」の判断を求める決議を賛成多数で可決し、これを受けて国際司法裁は、96年7月8日に「核兵器による威嚇または使用は、武力紛争に適用される国際法の諸原則、とくに国際人道法の原則と諸規則に一般的に違反する」(E項)「厳格で効果的な国際管理のもとであらゆる側面での核軍縮をめざす交渉に誠意をもってあたり、協定を妥結する義務がある」(F項)との判断を示しました(注)。

国際司法裁は1年半にわたる審議の過程で、国連加盟国に意見を求め、またハーグ裁判所大法廷での陳述の機会をつくりました。日本政府はこの意見陳述で、当初は「核兵器使用は国際法に違反しない」としていましたが、自民党を含む各党の批判を受け、その部分を削除したものの、最後まで「国際法に違反する」とは述べませんでした。

この立場は、68年に発足した非公式研究会「外交政策委員会」の『核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないよう配慮する』とした内容を引き継いだものといえます。しかし、その立場は広島・長崎の悲劇を教訓化せず、日本国民の安全を考えていない立場といえます。

核に関する無知が問題を厄介にしている

一方、防衛庁などの日本核武装研究は、核兵器使用の影響をよく理解していると考えられます。81年7月の防衛庁防衛研修所の水野、内藤両氏による「我が国防政策(戦略)のあり方」中間報告の一部、95年5月の防衛庁の「大量破壊兵器の拡散問題について」、03年9月の防衛研究所・小川伸一氏による「再燃している日本の核武装をめぐる論議について」のそれぞれは、日本独自の核武装を否定する立場です。

紙数の制限から、ここでは防衛庁の「大量破壊兵器の拡散問題について」の中の、「核は意義ある選択か」(24頁以降)だけを簡略に紹介します。この研究には03年の「再燃している日本の核武装をめぐる論議について」を発表した小川氏も参加していますので、現在の防衛庁の考え方を示しているともいえるでしょう。

この「核は意義ある選択か」のなかで、国家威信のための核武装必要論や通常兵器の延長上に核兵器を位置づけるなど様々な考えがある背景には、『冷戦期間中至高の兵器として厳重な管理下に置かれ、その性能や使用の形態等についての情報が統制さていたために「神格化」したという事情もあろう』と述べています。

そして『国土狭隘、人口周密、都市集中など極めて脆弱な地理的特性を有する我が国が他国と恐怖を均衡させることが可能か』『通常戦力の劣勢補完として核武装』は可能か?と問いかけ、いずれも否定しています。

さらに日本をとりまく核の脅威として、中国、ロシア、北朝鮮を対象とした分析を行い、いずれも日本独自の核武装を否定しています。

最悪のケースとして、日米同盟の破綻、核不拡散レジームの崩壊、各国が核武装へ傾斜??という三つの条件をあげ、『この場合であっても、国際社会の安定に依存する通商国家が、自国の核兵器により自らの生存を確保し、その権益を擁護することにどれほどの意味があるかは疑問と言わざるを得ない。...日本の核に対する地政学上の脆弱性が克服され、相手国と被害の交換をしても問題にならないまでに窮乏化が進んでいる、というような条件がみたされれば核のオプションもあり得ようが、それは条件の自己目的化にすぎず、検討に値しない』と述べ、最後に『いずれにせよ、核に関する無知が、核問題を厄介なものにしていることを認識することにより、核に対する政策を発展させることが期待できる』と結んでいます。

米国政府は日本核武装に反対しない?

筆者には防衛庁の安全保障論が、米国の核の傘を前提にしていることなど、支持できない部分が多々あるのですが、それでも国家理念の存在しない外務省の論理とは対照的と考えます。しかし無目的なナショナリズムが蔓延するなか、政治的に核武装へ振れていく可能性は大きくなっていると考えます。核武装への物質的条件は十分に整っています。また日本の核武装に米国が反対するだろうという甘い考えも通用しません。

05年2月に離任したベーカー前駐日大使は、04年7月に米国人記者団との懇談で「もし日本が核兵器開発計画を進めても、米国からは反対の激しい反対は起きないと思う」と漏らしたと伝えられています。

注:E項には、国家の存亡が危機に瀕するような極限状況では判断が下せない、との但書きが付されました。

(W)