出版物原水禁ニュース
2006.8 号 

日韓被爆二世シンポを開催

6月にソウルで6回目の交流会

 6月24日、ソウル市内のホテルで、今回で6回目となる日韓被爆二世交流会が開催されました。この交流会は、全国被爆二世団体連絡協議会と韓国被爆二世の会の主催で行われ、日本からの参加者約30名を含む、80名が参加しました。

 交流会の第1部として、主催者代表として、韓国被爆二世の会の李承徳会長からあいさつのあと、来賓として韓国原爆被害者協会朴榮杓会長から「被爆61年がたったが韓日の両国政府からいまだ何の対策もない。いま、政府に対して被爆二世の生活支援の要求している」などの報告がありました。原水禁国民会議の福山事務局長からは、今後の被爆者運動や平和運動での日韓の連携強化が訴えられました。

第2部では、日韓の被爆者や被爆二世がそれぞれ報告しました。

韓国からは、韓国被爆二世の会の李太宰釜山支部長から、まず在外被爆者訴訟原告の父親、李康寧さんの病状の報告と6月13日の最高裁判決についての想いを語りました。その後、2000年以降の韓日間での被爆二世の活動として、日韓被爆二世シンポジウムや日韓の高校生による交流、韓国での原爆展や署名活動などの活動が映像を交えて報告されました。

日本からは、平野伸人前会長から「在外被爆者支援と被爆二世運動」の報告がありました。韓国の被爆二世とは、85年の被爆40周年に最初に交流が生まれ、韓国の被爆二世からは、「日本の植民地支配、強制連行など、被爆二世が創られた過程が違う」、「どうして同じことができるのか」と問いかけられ、日韓の被爆者・被爆二世のことを考えるようになり、「日本の植民地支配に対する反省が大切」、「被爆者を生みだしたのは、日本の責任」、であることを痛感したと述べました。

いまだ残る在外被爆者の課題

90年に、盧泰愚大統領の時に、在韓被爆者が大きく問題となりました。在外被爆者への対応の格差があまりにも大きく、1973年の孫辰斗裁判で「日本に来れば日本の制度が適用される」との判決を引きだしましたが、「韓国に帰ると失効される」という問題が残っていました。そのことから、「ヒバクシャはどこにいてもヒバクシャ」であるとして、大阪で郭貴勲裁判、長崎の李康寧裁判が起こされ、「国に帰っても健康手当が出る」こととなりました。チョ・ゲチョル裁判では、これまで時効の壁に阻まれていた過去の手当や葬祭料を求め、勝訴しました。しかし、高齢化の進む被爆者が日本まで来ないと申請できないなど、いまだ在外被爆者課題が残っていることも指摘がありました。

日本における被爆二世の課題では、被爆二世の健康問題や差別の問題がありますが、このことはデリケートな問題で、差別をなくし被爆二世の健康を守るために、被爆二世に対する科学的根拠が必要です。現在、広島、長崎での被爆二世健康影響調査が来年3月に終了し、解析が行われますが、その行方を注目し、被爆二世として、がん検診の充実などを求めた全国署名を展開していることが報告されました。

在韓ヒバクシャの下連玉さんからは、広島での被爆体験が語られました。小学校4年生のときに被爆し、帰国後10年ほどして原爆症が発症し、1975年被爆者健康手帳を取得し、日本で4?5回入院・治療をした経過が語られました。これまで二世の問題をあまり考えたこともなかったが、これを機会に考え、自分の息子にも伝えたい、と語りました。

最後に韓国の被爆二世の李会長からは、日韓の歴史の話として、自動車のバックミラーの話をしました。「車を前に進めるために、バックミラーを見る必要があることと同じように、未来に進むために過去を見る必要がある」と訴え、「戦争や被爆の体験を聞くことで、明るい未来が築くことができる」と話し、日韓の歴史を見つめなおし、運動の強化を確認して、交流を終えました。