出版物原水禁ニュース
2006.10 号 

原爆症認定訴訟の意義

広島県原水禁顧問 宮崎 安男

 原爆症認定訴訟は、原爆の後障害でいまも重篤の病に苦しむ被爆者が「自分の今の病苦は原爆に原因があり、そのことを国に認めさせたい」との願いを実現し、この裁判の取り組みを通じて原爆被害の全体像を明らかにさせ、現在も核に依存し続けている世界に警告を発する「ノーモア・ヒバクシャ」の運動として始まりました。

具体的には、原爆症の認定申請を却下された人を原告として、2003年より全国で原告180人が15の地方裁判所に提訴し、本年5月大阪地裁(原告9人)8月広島地裁(原告41人)で、国の却下処分を取り消すという全面勝訴の画期的判決が出されました。大阪判決についてはニュース2006年6月号で述べられていますので、ここでは8月4日の広島地裁判決(304号法廷・坂本倫城裁判長)についてその意義と今後の取り組みについて述べておきます。

広島地裁判決の意義

 第一に、判決はまず被爆者の現状に真剣に向き合い、国のいう「科学的・専門的知見」を退けました。

判決は、被爆者の「疾病には多くの要因が複合的に関連しており、特定要因から立証することは困難、加えて放射線が人体に影響を与える機序はいまだ科学的に詳細が解明されていません。被爆線量そのものも評価は不完全な推定によるほかはない。このような状況で、当事者に立証させることは、不可能を強いることになる。」として、なによりも被爆者のいま置かれている現状を判断し、初期放射線量だけでなく、瓦礫や土ぼこり、黒い雨などから生じる残留放射能の誘導被爆・内部被爆の影響を認め「全証拠を経験則にてらして全体的総合的に考慮したうえで--」認定すべきと述べています。

 第二に、国が判断の基準にしている「原爆症認定に関する審査の方針(国におかれた疾病・障害認定審査会が2001年に策定)」を機械的に適用することを戒め、これは「放射線起因性の1つの傾向を示す過去の一時点における一応の参考資料として評価するのにとどめて--」あくまで全体的・総合的に検討することを求めています。大阪地裁判決ではこの審査の方針に定める被爆推定線量については「考慮要素の一つとして他の考慮要素との相関において評価すべきで、機械的に適用するのは相当でない」と述べていました。

 このように国が唯一の認定基準にしてきたものが「考慮要素」や「参考資料」に過ぎないとされた以上、国は早急に認定基準の見直しに着手すべきですが、国は国の基準は科学的で国際的に認められたものとして両判決いずれも控訴しています。

 第三に、判決は41人原告の一人一人に丁寧な解明をした上で、判決をだしていることです。

原告にはいままでは絶対に認めてくれなかった遠距離被爆者(2キロ以上の)や入市被爆者も認めており、原告の中で最遠距離は、爆心地から4.1キロ、入市では13日後の入市者が入っています。また「被爆後に相当期間を経過した後に発生したものでも被爆との関係が存する可能性に相応の根拠がある」と判決しています。

原爆被害がいかに深刻であるかを、被爆者一人一人の実情に向き合って確認した判決といえるでしょう。

 第四に、この裁判はいのちをかけた裁判でした。

2003年6月第一次提訴以来原告は45名、あれから3年間のうちに10名が亡くなりました。6名の遺族が継承したので判決時原告は41名です。この間公判は25回、当初2年を目途とした裁判が長くなったのも個人陳述を重く見たからです。遺影を掲げての裁判がつづきました。個人陳述では倒れそうな原告が精一杯原爆被害を糾弾し、狂わせられた人生を語りました。酸素吸引機をさげての原告もいました。次の世代にこのような目に合わさないために、原爆の犯罪性と国の責任を厳しく問うたのです。

 裁判は原告と2つの被団協が中心ですが、裁判を支援する会を幅広くつくり、多くの弁護団とともに裁判を支えました。広島県平和運動センターや原水禁もその核となって支援しました。

今後の取り組み

 地裁判決は国側の控訴(広島ではそれを受けて、損害賠償却下もあり、原告も控訴した)によって高裁段階に入っています。しかし被団協は残る13地裁の判決を待つまでもなく、大阪・広島さらに最近の個人裁判での相次ぐ勝訴を受けて、早急に認定基準の見直しをするように要求しています。それにはこの裁判が原告や被爆者の問題に留まらず、核の被害を軽視し、核兵器依存を進める国の政策を根本的に変えさせる運動にしなくてはなりません。とくに国会を動かす政治的力となるように。