出版物原水禁ニュース
2007.3 号 

原水禁顧問 石黒寅亀さん逝く
反戦・平和をつらぬいた半生

神垣 宏 (群馬県平和運動センター事務局次長)  

石黒寅亀さん
故石黒寅亀さん

 原水禁・平和フォーラム顧問の石黒寅亀(石黒寅毅)さんが昨年12月20日、逝去されました。100歳でした。石黒さんは、原水爆禁止日本国民会議常任執行委員を、1965年の原水禁発足時から80年まで務められ、その後、80年〜90年まで原水禁国民会議の代表委員として活躍されました。90年以後は、原水禁国民会議の顧問、さらに99年のフォーラム平和・人権・環境の発足に伴い、顧問に就任されました。

 石黒さんの追悼文を、同じ群馬県で運動をともに進めてこられた神垣宏さん(群馬県平和運動センター事務局次長)に寄せていただきました。

戦争協力の罪責から運動に関わる

半世紀余にわたり、群馬の平和運動の象徴的存在であった石黒寅亀牧師が、100歳の誕生日(12月11日)を迎えた直後の12月20日、腎臓の病で眠るように息をひきとられました。その存在の大きさと、まだまだお元気で、群馬県平和運動センターの終身代表委員として活躍いただけることを少しも疑わなかっただけに、訃報に接した時の衝撃は大きなものでした。

先生は、高知県で生まれ、1931年に牧師としての歩みをはじめました。第二次大戦時におけるキリスト教会の戦争協力の罪責や、ご自身の5年間の従軍体験を厳しく反省される中から、反戦・平和運動に関わられました。第1回原水禁大会以来、ごく最近体調を崩され、長時間の歩行が難しくなるまで、欠かすことなく原水禁世界大会に参加される一方、毎年の護憲大会にも参加、県内外の様々な場面で、積極的に発言し行動されてきました。

 なかでも靖国、元号、紀元節(建国記念の日)、日の丸・君が代などをめぐる先生の発言と活動は、めざましいものでした。

 残された足跡は広範囲にわたり、1953年3月、日本キリスト教団萩町協会に牧師として着任されて以来、教職者としての活動のほか、県下の反戦・反核・平和運動に一貫して関わり、あらゆる分野で、県下の平和運動の先頭に立ち続けてこられました。

 のみならず、日本原水協が、ソ連核実験や部分核停止条約をめぐる原水禁運動の内部対立で分裂して以降は、森滝市郎、前野良、岩松繁俊さんらとともに、国民会議の代表委員を務めるとともに、平和フォーラム発足後も顧問として全国規模での運動にも関わり続けてきました。

憲法前文の縁布に包まれておくりだす

 しかし、牧師として教会を預かりながら、平和運動に関わることは、決して容易でなく、教会内外からの強い信頼を集める一方では、「石黒はいつ牧師をやめて、平和運動屋になり下がったのか」という批判にたえずさらされ続けてきたようです。

原水禁大会に参加する石黒さん(前列右端)

 限られた紙面ですので、在りし日の石黒先生の姿に触れて、締めくくりたいと思います。

原水禁・護憲両大会や沖縄問題、基地、反核など、さまざまな行動の場で、寝起きをともにしましたが、先生は、早朝の読書や、集会・会議での細かなメモを欠かすことなく、それだけに記憶や洞察力は抜群でした。また、キリスト者らしいまじめさで、「政治」をきらい、時には極めて「過激」な発言をされることもありました。その底には、石黒先生の独自の哲学が貫かれていたのではないかと思います。

 ともあれ、キリスト者の皆さんからは異論が出そうですが、石黒先生の半生は、(先生の希望通り)遺骸を、ケアハウスの壁に大きく張られていた憲法前文の緑布で包まれ、送り出されたことが示すように、平和のために、非戦・非武装、平和、国民主権、自由と人権の憲法を守り、生かすために捧げられたといっても、過言でないと思います。

石黒先生、長い間ほんとうにありがとうございました。「ゆっくりとお休みください」といえるような政治状況ではありませんが、後は残された私たちが精一杯がんばります。心残りでしょうが、どうぞ、安らかにお眠りください。