出版物原水禁ニュース
2007.4 号 

原水禁元副議長 宮崎安男さん逝く
平和運動に人生をかけた人

広島県原水禁代表委員 片山 春子 

原水爆禁止日本国民会議の元副議長、宮崎安男さんが2月16日に逝去されました。78歳でした。宮崎さんは全電通中国地方本部委員長などを務め、1974年から広島県原水禁事務局長、代表委員経て、96年から04年まで原水禁国民会議副議長に就任、その後も広島県原水禁顧問を務められました。また、広島平和会館・原爆被害者相談所の相談員としても、被爆者健康手帳申請の証人捜しや原爆症認定集団訴訟支援、在外被爆者援護に奔走し、常に被爆地の反核平和運動を牽引し、被爆者援護に最後まで尽力されました。

 宮崎さんの追悼の辞を、運動をともに進めてこられた片山春子さん(広島県原水禁代表委員)に寄せていただきました。

故宮崎安男さん
故宮崎安男さん

400回を超える座り込みで「核兵器廃絶」訴え

「平和運動は、1人でも出来る」といっておられた宮崎安男さんが、2月16日に78歳で突然亡くなられました。悲報を受けた時に、まさか、なぜと疑い、ただ呆然とするばかりでした。

宮崎安男さん

先日も原爆慰霊碑の前で座り込みをご一緒したばかりでありました。いつもと変わらない声で「ヒロシマががんばらなくては。自分は1人でも出来る平和運動は座り込みをすることだと参加している」と力強い口調で挨拶されました。400回を超える座り込みの肩の襷は日焼けの布に「核兵器廃絶」の文字が薄れ、「この人こそ平和を愛する人だ」と思いました。

宮崎安男さん

宮崎さんは、労働運動をきっかけに平和運動に全力をささげられた方です。なかでも被爆者ではないのに被爆者問題に親身になって取り組まれ、相談事業に20有余年にわたって携わってこられました。被爆者健康手帳の申請のために、証人捜しなど多くの功績を残され、被爆者の方々から尊敬された方でした。

また、ヒロシマにとって忘れてはならない「原爆被害者福祉センター平和会館」の設立や、意義・歴史などについて編集・発行され後世への財産となりました。

広島原爆慰霊碑前で座り込む宮崎安男さん(2007年1月)

不平不満を顔に出さないで、いつも穏やかな、前向きに物事を考える人、実践する人、良き指導者でした。2003年に宮崎さんが少し体調を崩されたときに、宮崎さんを顧問に迎え、私は広島県原水禁の代表委員に就任しました。多くの実績を持つ宮崎さんの後任として、任務が果たせるか戸惑いました。そんな時いつも「後に戻るな、前を向いて進め」とアドバイスしてくださいました。困ったときには原点に返れと教えてくださったのは宮崎さんでした。

広島原爆慰霊碑前で座り込む宮崎安男さん(2006年10月)
広島原爆慰霊碑の前で座り込む
宮崎さん(前列中央/06年10月)

被爆地ヒロシマを次世代に語り継ぐ

1982年反核・平和の火のリレーをスタートさせた時に、このリレーは必ず全国、世界に広がるとして応援してくださったのも宮崎さんでした。いつも若い次世代に運動を語り継ぐことが自分の役目だと話しておられました。

被爆地ヒロシマを思い、被爆者の問題にふれ、平和運動に人生をかけられた人でした。原水禁運動の足跡を残そうと「原水爆禁止運動50年の歩み」を関係者の方々とともに取り組まれ、これからの平和運動の財産として残してくださいました。私たちはこの50年の歩みを参考にしてこれからの運動に生かしていきたいと思います。

宮崎さんが志半ばにして急逝され、さぞ無念だと思うことは、原爆被害者認定をめぐる集団訴訟の最終結論を見られなかったことです。でもきっと宮崎さんの思いは通じることと思います。その思いは世界に響き渡っています。

長い間ご苦労様でした。ありがとう。宮崎さん、安らかにお眠りください。見守ってください。ヒロシマ原水禁に結集して仲間が力を合わせてがんばっていきます。