出版物原水禁ニュース
2007.5 号 

アジアで非核世界を実現するために
日本は非核3原則の法制化を

核兵器持ち込み公然化めざす自民党と政府
思わず漏れた右派の本音

昨年10月9日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が核実験を行った直後、日本政府・自民党内から日本核武装についてのさまざまな意見が飛び出しました。10月15日、自民党の中川昭一政調会長がテレビ朝日の報道番組で、北朝鮮の核実験実施発表に関連し、「(日本の)憲法でも核保有は禁止されていない。核があることによって(他国に)攻められる可能性が低くなる。あるいは、やればやりかえす、という論理は当然あり得る。議論は当然あっていい」と語りました。

さらに18日には、麻生太郎外相が衆院外務委員会で「核保有の議論を全くしていないのは多分日本自身であり、他の国がみんなやっているのが現実だ。隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と語っています。

しかし日本で噴き出した日本核武装論については、米国でも論議を呼び、ライス国務長官が来日した際には、日本への核の傘は変わらないと強調し、政府・与党内の核武装論は一応の収束を見ました。

これを受けてか、これまで日本核武装論者だった中西輝政京都大学教授と西岡力(「救う会」副会長、東京基督教大学教授)は、雑誌「正論」12月号で対談した際、最後の締めで、「アメリカはいざとなったら守ってくれなという不信感から独自に核武装すべきだという意見があるが、中国の強大な核体系に対応できるだけのものを日本も備えねばならず非現実的です。日米同盟があるわけですから、その枠の中で総合的にミサイル防衛システムと戦域核の配備を検討していくべきだ」(西岡)と語りました。

中西も「アメリカの核の傘の下でしか日本の核武装はあり得ないのです」「アメリカの核を日本国内に配備させて、日米のダブルボタンという運用システムを日本が要求すれば、それで日本は核武装したことになります」と語っています。

非核3原則を2原則に変更しようというのです。

非核3原則の佐藤首相答弁から国会決議へ

ここで日本が非核3原則を確定していった経過を見ておきましょう。

日本政府が「非核3原則」を国の基本政策であると明確にしたのは佐藤栄作首相(当時)が、1967年12月の予算委員会で、自民党の松野頼三議員の質問に答えて、「核は保有しない、製造もしない、核を持ち込まないという核に対する3原則、平和憲法のもとにおいて日本の安全をどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任です」と答弁し、さらに翌68年の年頭の施政方針演説でも、3原則を明確にしたことによってでした。

さらに1971年11月の国会で、沖縄返還協定承認案が可決された際、「非核・沖縄基地縮小決議案」が採択されました。決議文は次のような文面です。

「一、政府は,核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずの非核3原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切な手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませない措置をとるべきである。

 一、政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来に縮小整理の措置をとるべきである。右決議する」。

この時の国会は、政府の提案する沖縄返還協定をめぐって大きくもめていました。結果的には自民、公明、民社3党による決議でしたが、現在も継承されている優れた国会決議の一つと言えます。

その後、79年に憲法学者らによって「非核三原則法案」が作成され、さらに89年、国際軍縮議員連盟のメンバーや広島、長崎の市長も参加する「核軍縮を求める22人」委員会が発足し、「非核法案を発表しました。

「非核3原則」の法制化の運動は、西田勝・法政大学教授らによって引き継がれ、またその考えを市民に広げるために「非核自治体」運動を提唱しました。これらの運動には市民はもとより、原水禁も積極的に協力してきました。

いまこそ非核3原則の法制化を

いまアジアでは極めてねじれた状況が現れています。北朝鮮の核兵器については、6ヵ国協議で解決へ向かっています。米国のネオコンがさまざまな妨害を行っていますが、時間はかかっても解決していくでしょう。

しかし、日本は米軍との一体化をひたすら求めています。防衛庁を「省」に昇格させ、海外任務を一般任務としました。ミサイル防衛を日本に張り巡らし、さらにアメリカの核兵器の日本配備を公然化させるようなことをすれば、北朝鮮の核放棄さえ危うくするでしょう。それは日本をアジアで孤立させるだけです。

日本をアジアで孤立させないためにも、アジアの非核化を実現するためにも「非核3原則」法制化がいまあらためて必要とされます。