出版物原水禁ニュース
2007.7 号 

原水禁顧問 前野良先生逝く
民衆の立場に立ち 原水禁の思想を理論化

野崎哲(元原水禁国民会議事務局) 

前野良先生

 原水禁国民会議顧問の前野良先生が、5月18日午前、肺炎で亡くなられました。94歳というご高齢でしたから、こういう日が来ることは覚悟をしていましたが、いざ現実になるとそのあまりに大きい空白に愕然とします。

 前野先生は、一兵士として動員され、広島湾の軍艦上で被ばくされました。さらに、その後の1ヵ月あまりの救護活動によっても被ばくされ、ヒロシマの地獄を見た生証人です。

 戦後は、長野大学、法政大学、東京経済大学などで教鞭をとる一方で、反核平和運動の先頭に立ち続けました。1955年の最初の世界大会から原水禁運動に参加。その後、ソ連の核実験を擁護する共産党系の原水協主流派に対抗して「いかなる核にも反対する」立場から論陣を張り、原水禁の創設に尽くされました。

 前野先生は、いかなる国の核も、軍事利用と平和利用も一切の「核」を区別せずに否定する原水禁の思想を理論化する上で中心的な役割を果たされ、原水禁常任執行委員、代表委員として活躍されました。反原発や韓国民主化運動等の様々な活動に加わり、幅広い活動家から信頼を集めました。政治学者としては、スターリニズムに批判的な立場から社会主義の政治経済の分析にあたり、グラムシや労働者自主管理運動の研究で知られました。

 私がはじめてお会いした87年頃は、すでに「雲の上」の大学者でしたが、まったく偉ぶらず、若造が挑む無謀な論争も軽んじることなく厳しく反撃されたものでした。演説後の少年ような純粋な笑顔が今も目に浮かびます。核について一切の妥協を許さず、組織の都合や実務を理由にした言い訳を厳しく叱咤されたものですが、同時に相当な無理なお願いにも応えていただきました。

 長い間、ありがとうございました。残念ながら「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」といえる状況ではありませんが、後は残された私たちががんばります。さぞかし心配でしょうが、どうぞ暖かく見守ってください。