出版物原水禁ニュース
2008.3  

ビキニ被災から54年 なお残る課題
核実験によって、今も故郷に住めなくなった人々

グローバルヒバクシャ研究会 共同代表 竹峰 誠一郎

マーシャル諸島ハンドブック─小さな島国の文化・歴史・政治

日本初のマーシャル諸島ガイド書
中原聖乃・竹峰誠一郎著
『マーシャル諸島ハンドブック』

原水禁が最初にマーシャル諸島を調査

「ビキニ忘れ何の原水禁運動か」と、原水禁国民会議が他に先駆けて、ビキニ水爆被災の現場である中部太平洋のマーシャル諸島に調査団を送ったのは1971年12月のことでした。

調査団は、米中央情報局(CIA)に監視され、最も深刻な被害を受けたロンゲラップに上陸することは米国に拒否され、退去命令が出されるなど、調査は困難を極めました。しかし、都市部のマジュロに移住していた被災住民との面談を果たし、「第五福竜丸の向こう側」で忘れられていたマーシャル諸島住民の現地被害調査に先鞭をつけました。

 あれから36年余りが経過しました。ビキニ水爆被災から54年目を迎えた今、マーシャル諸島には日本航空(JAL)が不定期ながら直行便を運行するようになり、珊瑚礁が美しい「楽園」としてダイバーたちの注目を浴びています。1954年3月1日の核実験をはじめ、1946年から58年まで67回もの米核実験がマーシャル諸島の地で繰り返されたとは、訪問客にはとうてい実感ができないでしょう。

放射能汚染の恐怖におびえる住民

 しかし、概して明るく迎えてくれる住民の中に、今も自分たちの土地が奪われ「核の難民」となっている人がいます。移住地では米国から配給される缶詰が住民の食を支えているなど、海洋民族としての伝統的な暮らしは奪われ、核実験は文化も変えました。

健康への影響として、マーシャル諸島全域の甲状腺腫瘍やガンの発生率の高さが医学的にも注目されています。「ポイズン」と呼ぶ、目には見えない放射能汚染の恐怖に脅えながら暮らしている住民もいます。住民の被害は何のためだったのか、人体実験の疑惑解明は今も重大な課題です。

「冷戦時代、マーシャル諸島の人びとが、核実験を通じて自由世界を守る貢献をしてきたことに、心から感謝の意を表します。世界の多くの場所に民主主義と自由を打ち立てるため重要な貢献をしました。この多大な貢献にマーシャル諸島の人びとは誇りをもつべきです」と、駐マーシャル諸島米国大使がマーシャル諸島住民を前に強弁したように、核実験は正当なものだったと米政府は今も言います。

米政府に補償を求め提訴

その一方、1954年3月1日の核実験で「予期せぬ」被害が、風下地域のロンゲラップとウトリックに及び、核実験場のビキニとエニウェトクを加えた計4地域に被害が及んだと、米政府は認めています。マーシャル諸島が独立した1986年に米政府は1億5千万ドル規模の補償金を支払いました。しかし「死の灰」による被災は4地域にとどまらず、マーシャル諸島全域に広がりをもっていたことが徐々に裏付けられてきています。

 1億5千万ドルの補償金で創設された基金は底をつき、マーシャル諸島共和国政府は米議会を通して米政府に追加補償を求める請願書を2000年に出しました。しかし「決着済み」とブッシュ政権は拒否しています。昨年も米議会で公聴会が開かれましたが目立った進展は見られません。2006年ビキニとエニェトク両自治体が米連邦裁判所に提訴し、現在係争中です。

 2007年11月マーシャル諸島共和国では総選挙があり与野党の力関係が逆転しました。今年1月、新大統領にリトクワ・トメインが選ばれ、新外務大臣にトニー・デブラムが就任しました。新政権が核実験やミサイル実験問題で、米政府にどのような姿勢でのぞむのか注目されます。