出版物原水禁ニュース
2008.5  

平和フォーラム・原水禁「中国平和の旅」レポート
戦争被害者は事実と憎しみを忘れない

北海道平和運動フォーラム 代表 住友 肇(訪問団団長)

平和フォーラム・原水禁の中央団体・各県代表など9名は3月10日〜17日、重慶、南京、上海などの戦争史跡訪問と戦争被害者との交流を行いました。

「憎しみを忘れ、歴史を忘れず」
〜重慶大爆撃対日民間賠償原告団と交流〜

 最初の訪問地である重慶市は、日中戦争時代は臨時政府がおかれ、1938年から43年までの5年半にわたって、日本軍が300回近くの無差別爆撃を行った所です。死傷者は重慶をはじめ四川省で10万人を超え、史上空前の大爆撃といわれています。この被害に対して、現在、日中両国の市民が連帯して日本政府の戦争責任と謝罪・賠償を求める裁判を行っています。

 私たちは、裁判の原告団を訪ね、多くの犠牲者を出した防空壕の跡地で献花を行った後、事務所内で交流しました。王立喜召集人(事務局長)は「『憎しみを忘れ、歴史を忘れず』という言葉を座右の銘として運動をすすめている。裁判は、歴史を鏡にして中日両国の人民が子々孫々友好的につきあい、アジアと世界の平和を実現するために行っている」ことを強く訴えました。また、原告の皆さんは70歳以上の高齢ですが、当時の筆舌に尽くせない悲惨な状況をまさに昨日の出来事のように鮮明にかつ切実に私たちに訴えかけました。

「1945年8月、抗日戦争の偉大な勝利を勝ちとった」
〜南京事件の被害者と南京大虐殺遇難同胞記念館〜

 南京では、昨年の12月13日に新装された「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」を候副館長の案内のもと訪れました。戦争犠牲者の霊に献花し、南京事件の被害者である常志強(80歳)さんにお話を伺いました。家族10人が日本軍から受けた虐殺・強姦・暴行について、10歳であった当時の悲痛な思いと現在に至る悲しみ、憤りを切々と語りました。戦争は絶対起こしてはならない強い意思を満身で私たちに訴え続けました。

 その後、館内の展示物を見学。入口の案内文は、「1937年12月13日、日本軍は南京を占領したあと、武器を手放した兵士と身に寸鉄も帯びない平民たちを大量虐殺した。その期間は6週間にもわたり、犠牲者総数は30万人以上にも達した」と記載されていました。これを裏付ける多くの証人や証拠によって、大量虐殺の実相を日本はじめ世界に、そして後世に伝える強い願いが込められていました。小・中学生をはじめ一般の見学者も多数いました。新館1階の前書きには「1945年は中国が近代100余年来、外敵の進入に反抗して勝ちとった初めての全面勝利であり、中華民族の衰退から復興への重大な転機である」と未来に向けての決意を表していました。

歴史は立場によってとらえ方が大きく異なる

 現在、中国の経済活動は活発化し、古い建物が壊され高層ビルが猛スピードで建てられています。その中で、人民の生活や歴史に対する考え方も少しずつ変化しています。アメリカの中国に対する脅威もここにあるように思えました。

 中国市民は、太極拳やダンス、ウォーキングなどを通して健康づくりに熱心でした。このような日常を見る限り中国の若い世代は日本の侵略戦争・植民地支配に対する憎悪の気持ちが少しずつ薄れているようにも見えました。しかし、戦争被害者は今なお苦しみの中におり、戦争被害の事実と憎しみ、悲しみ、怒りなど、決して忘れてはいないことも同時に感じました。

 1945年は中国が勝ちとった全面勝利の年としているように、歴史のとらえ方はその人の生きている立場によって大きく異なります。一人ひとりの人間の崇高さと弱さ、権力の傲慢さと愚かさ、戦争は権力の利益のために引き起こし、いつも民衆が被害を被るという構図をあらためて思い知らされました。私たち、一人ひとりが身も心も主権者として「主人公」になるには、まだまだ時間がかかるとの思いを強くしました。