出版物原水禁ニュース
2008.7  

米国の世界制覇を後押しする日本政府
原子力艦船の日本寄港と反対運動の高まり

 横須賀に原子力空母ジョージ・ワシントンが入港しようとしています。 私たちは、7月19日の全国集会を、横須賀市民の平和を願う心と、全国で「核を許さない」、 そして「武力で平和は作れない」と運動を展開してきた仲間と、一緒になって大成功させたいと願っています。 母港化撤回を強く求めていきましょう!

原子力空母の寄港に慎重だった米国と日本政府

 日本に原子力艦船が入港するのは、1963年1月9日、米国政府が、 日本政府に対して原子力潜水艦の寄港を要請したことに始まります。 当時、反対の気運が盛り上がり多くの議論がなされました。 翌年、米国政府は、日本の情勢を考慮し「外国の港における合衆国原子力軍艦の運航に関する合衆国政府の声明」 および「エード・メモワール(原子力艦船の安全性に関する覚え書き)」を送り、 1)日本政府の意志に反して行動しない、 2)安全確保に広範な措置をとる、 3)燃料交換や動力装置の修理を日本では行わない、 4)休養と補給を寄港の目的とすると表明しました。
 日本政府は、この声明が担保されるならば、安全上は問題ないとし、原子力潜水艦の入港を認めました。 64年11月に、長崎の佐世保にシードラゴンが、66年5月には、横須賀に同じくスヌークが初寄港しました。
 原子力潜水艦以外の寄港は、68年1月19日の米海軍原子力空母エンタープライズの佐世保寄港が初めてとなります。 この1月の「原子力空母エンタープライズ寄港反対闘争」は、佐世保に反対する労働者や学生4万7千人を結集し、 逮捕者70人、負傷者は警察と労働者・学生含めて550人を数える一大闘争になりました。
 当時社会党の故・大出俊衆院議員は「エード・メモワールには、日本国民は原子力に非常に敏感だと記載されている。 今寄港するのは困ると米政府になぜ言えないのか」と国会で政府に迫っています。松野頼三防衛庁長官(当時)は、 「国民感情から、原子力艦船の寄港は横須賀、佐世保、ホワイトビーチに限るとしているのが、その趣旨だ」と答え、 その上で、「エード・メモワール」は潜水艦以外の艦船にも適用するとし、エンタープライズの寄港を認めました。 横須賀には、71年に原子力巡洋艦トラックストンが寄港し、原子力空母の寄港は84年のカールビンソンが初めてとなります。
 横須賀に初めて原子力空母が寄港する際に、当時の横須賀市長は「遺憾の極みである」として、 寄港中止を強く政府に求めています。また、72年当時には、通常型空母ミッドウェーが、 横須賀を母港とするに際しての、米国側からの文書には「ミッドウェーの母港化と原子力空母の寄港問題とは全く関係がなく、 原子力空母の本邦寄港は現在全く考えられていない」との記載があります。 日本政府も「原子力航空母艦の寄港は、将来に向かって無いよう特に配慮されたい」としています。 1968年のエンプラ闘争や原水禁運動のなかで、 原子力空母の寄港問題に対する米国と日本政府の慎重な姿勢が明確に現れています。

 米海軍の保有する原子力空母は現在10隻ですが、他に世界で原子力空母を保有するのはフランス海軍の1隻だけです。 原子力空母のメリットは、燃料交換が20年に1度と半永久的に行動でき、電力の消費や燃料問題を考えることなく 軍事行動に専念できるところです。アメリカが、この間とってきた武力による覇権主義を支える基盤は、 原子力空母を中心とした、海上・航空での機動力に富む空母打撃群の存在にあります。
 イランやイラク、アフガニスタン、北朝鮮、中国を強烈に意識する米国の外交・軍事政策の中で、 米海軍はペルシャ湾内外と日本海・東シナ海に空母打撃群を常に複数配備しています。 必要に応じて、即応的に、多角的な攻撃を用意することで、公海上から各国を威嚇していくことができます。 この空母打撃群による威嚇が、国際社会における米国の力の大きな柱の1つとなっているのです。そのことは、横須賀基地の重要性をますます大きなものとしています。その米国の世界覇権の確立を後押しするのが、日本政府なのです。