出版物原水禁ニュース
2008.8  

被爆者支援のために原水禁が北朝鮮を訪問
高齢化する被爆者─早急な援護が必要に

放置される在朝被爆者

 在外被爆者の中で、日本との国交がないために、補償や援護が一切なされていないのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の被爆者たちです。広島・長崎で被爆した背景には、日本による朝鮮人の強制連行などの植民地政策があります。被爆者問題と同時に戦後補償の観点からも問題にしなければなりません。

 現在の在朝被爆者数は、20007年末の時点で1911人に上り、このうち80%にあたる1529人が既に死亡し、生存者は382人であることが「反核平和のための朝鮮被爆者協会」の調査(06年12月〜07年12月)でわかりました。被爆者は高齢化し早急に援護が求められています。

 そのような状況を踏まえ、6月24日〜26日にかけて原水禁と在朝被爆者支援連絡会は、被爆者支援の具体化にむけた協議と被爆者自身の聞き取り調査をするために北朝鮮を訪問しました。6月25日に平壌において「反核平和のための朝鮮被爆者協会」から、先の実態調査の具体的な内容の報告を受け、いまも新たな被爆者が判明していることが明らかになりました。

 さらに被爆者の病気の現状も報告され、医学科学院による被爆者200名を対象にした調査では、循環器系(40.6%)、脳神経(34.4%)、消化器障害(30.5%)、感覚器(30.5%)、末梢神経(21.7%)、呼吸器系(16.5%)、皮膚病(9.1%)、がん(7.8%)、打撲火傷(6.6%)、造血器(4.6%)、内分泌(3.3%)の疾患にかかっており、状況は極めて厳しいことが明らかにされました。

 今回、5人の被爆者(うち1人は被爆二世)と面談し、3人の方々から詳しい聞き取りを行いました。

呂 一淑(リョ・イルスク)さん

 1933年10月14日生まれ。広島で被爆し、当時は、安芸郡船越小学校の6年生。広島へ父と弟と3人で入市し、被爆。被爆した後から40度を超える高熱と下痢とともに貧血が続く。1973年に北朝鮮に帰国。いまは高血圧と貧血、膀胱炎に悩まされているとのこと。一緒に入市被爆した弟が広島の宇品に住み、被爆者健康手帳の交付を受けています。

孫 敬淑(ソン・ギョンスク)さん

 1945年2月22日生まれ。広島県祇園町の兄の妻の実家で被爆、家の中にいて外の納屋まで吹き飛ばされたが、大きな怪我はありませんでした。父母も兄夫婦も日本にいて被爆者健康手帳を取得しているといいます。数年前から歯茎から出血が続き、さらに7〜8年前から脳血栓循環障害を患っているとのことです。

李 徳任(リ・トギム)さん

 広島被爆者・李文溶(リ・ムニョン)の長女。被爆二世。父は強制連行で広島へ連れて行かれ、市内中心部の木造建家で作業中に被爆。3日後に意識を取り戻しました。その後の発熱と脱毛、全身のできものなど症状を示したということです。1945年に帰国するも、病気がちで1979年に肺ガンで死亡。子どもは第1子、2子とも死産で、1952年に3人目の李徳任さんが生まれました。頭が非常に大きく、下半身が小さく、2才になるまで歩けず、いまもよく歩けないとのこと。被爆二世に対しても日本は責任をとるべきだと語りました。

日本政府の責任ある対応を

 北朝鮮には被爆者が存在し、これまで日本政府も2000年に当時の小渕首相が日本で北朝鮮の被爆者協会のメンバーと会い、その後、2001年には、外務省・厚生労働省などによる政府調査団が訪朝し実態を調査してきました。しかしその後の日朝関係の悪化により、これまで何の対策もありません。今年6月に援護法が改正され在外被爆者の健康手帳交付が在外公館でも行えることになりましたが、国交のない北朝鮮の被爆者は、枠外として放置されたままです。

 このように、本気で在朝被爆者を援護しようという姿勢がみえず、このままでは、何の援護もないまま在朝被爆者は死に絶えてしまいます。「被爆者はどこにいても被爆者」であり、差別なき援護を求めることが重要です。日本の戦争責任を果たす上でも人道的立場から政府が率先して動くことが求められています。