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ガストン・フロス仏領ポリネシア大統領に対するフランス核実験被害者記念碑の取り壊し撤回と永久保存を求める公開書簡への共同署名のお願い

(この公開書簡は6月26日に最終版が作成され、フランス核実験記念日の7月2日に仏領ポリネシアの首都パペエテ(タヒチ島)の大統領府にて、川上直哉牧師からガストン・フロス大統領に直接手渡されることになりました。:2014.06.30追記)

タヒチのパペエテにある核実験被害者の記念碑が、右派のガストン・フロス仏領ポリネシア大統領によって取り壊されようとしています。ネット署名と平行して、直接フロス大統領に取り壊し中止を求める公開書簡を送るための連署者要請にご協力下さい。

■すべての核被害者を記憶し、被害を繰り返さないための記念碑

この記念碑は、長年独立・反核運動に身を捧げ、2004年ついに仏領ポリネシア大統領となったオスカー・テマル氏が、任期中の2006年に、ポリネシアの核実験被害者団体のモルロア・エ・タトゥとともに建設し、その40周年を記念して2006年7月2日に完成、除幕式を行ったものです。首都パペエテ市の目抜き通り沿いの海岸公園のなかにありますが、この地区はもともと「ジャック・シラク広場(Place Jacques Chirac:シラク元大統領は1995年に世界の反対を押し切ってフランス核実験再開を強行したことでも有名)」と名付けられていました。テマル大統領は2011年にこれをモルロアでの最初のフランス核実験が行われた日にちなんで「1966年7月2日広場(Place du 2 juillet 1966)」と改名しました。

パペエテ市の核実験被害者に埋めるために広島・長崎の原爆爆心地から持参した石を寄贈する奥村英二・長崎県被爆者連絡協議会事務局長。このニュースは、地元紙をはじめテレビ、ラジオでも大きく報道された(2009年5月)。

パペエテ市の核実験被害者に埋めるために広島・長崎の原爆爆心地から持参した石を寄贈する奥村英二・長崎県被爆者連絡協議会事務局長。このニュースは、地元紙をはじめテレビ、ラジオでも大きく報道された(2009年5月)。

太平洋諸島には他の島を訪れる際に、訪問先への敬意と友情の印として自分の島の石を贈る習わしがあり、この記念碑には太平洋を中心に、核実験場となった各地の石が多数埋められました。2009年5月には、長崎県平和運動センターの奥村英二さんが、被爆者からの連帯の印として広島と長崎の爆心地で採取した石を寄贈し、それを設置する式典が行われました(写真参照:そのとき同行したNHK取材班が作成したニュースにも出てきます)。

■「観光再開発」名目に核実験の記憶と被害者運動の圧殺を目論む

2013年5月に再び権力の座を手にしたフロス現大統領(ポリネシアの大統領は議会が選出する間 接選挙で、不安定な政局から過去10年間に3人の政治家の間で大統領が13回交代しています)は就任後、「観光推進のためパペエテのウォーターフロント再開発」を打ち出し、本年6月11日、観光客向けのヨットハーバーやウィンドサーフィン施設をつくるために、現在までモルロア・エ・タトゥに貸与されている海浜公園地区の記念碑敷地の使用許可を撤廃することを閣議決定しました。同時に、記念碑のある地区の名称を以前の「ジャック・シラク広場」に戻すことも決めました。

自身を始め、身内や側近の公金横領や汚職が絶えず、「ポリネシアを私物化したフランスで最も腐敗した政治家」と言われてきたフロス大統領ですが、今回の決定の目的は、これまで傀儡政権の長として自分を寵愛し、核実験の見返りとして本国から潤沢な補助金を提供してくれたシラク元仏大統領(余命いくばくもないと噂されています)に恩を返すだけでなく、自治権の拡大とともに補助金の漸減が決まっているなかで、ポリネシアの数少ない産業のひとつである観光開発を進めるために、ポリネシアから核実験の禍々しい過去の記憶を消し去り、被害者を葬り去ることにあると思われます。

■核実験被害者だけでなく、若者からも反対運動

この決定に対して、ローラン・オルダム「モルロア・エ・タトゥ」代表は「1966年7月2日広場の記念碑はポリネシアの歴史遺産であり、今や世界的に知られている。『地域ボスの気まぐれ』で取り壊すなどもってのほか。ポリネシアにも根付いている民主主義はこの決定に強く反発するだろう」と抗議しています。

オルダム氏の予想どおり、フロス大統領の決定直後に、パペエテ市にある「フランス太平洋大学(Université française du Pacifique)」の学生が「ポリネシアの暗い歴史を葬り去ってしまうことは許されない」とネット上で呼びかけ、記念碑の保存を求める非政治的団体「プヒハウ(Puhihau)」が結成されました。プヒハウは6月22日(日)記念碑周辺での大規模デモを呼びかけています。ニュースの見出しには「反核運動、世代交代か?」の文字も見られるようになりました(このあたり、311後の日本を彷彿させます)。

また、ネット署名サイト www.avaaz.org 上でも国際的な取り壊し反対の署名活動が行われています(仏語英語日本語)。

■フロス大統領、あわてて代替地を提案

急速な反対運動の拡がりに驚いたフロス大統領は、6月17日になって、記念碑を取り壊す代わりにパペエテ市内ファーレ・ウテ地区にあるフランス海軍基地正門前のロータリーに移設してはどうかと提案してきました。

これに対して、モルロア・エ・タトゥとプヒハウは「ヨットやウィンドサーフィンのための移設とは何事か。記念碑はあくまで現在の場所に永久保存すべき」として、提案をきっぱりと拒否しています。

―――

以上のような状況のなかで、ネット上での日本語による署名と平行して、直接ガストン・フロス大統領宛に日本の団体や著名人(政治家、経済人等)の名前を連ねた公開書簡を送って圧力を加えたいと考えます。

次ページの要請文にご署名いただけそうな団体や著名人をご存知の方(またはご本人)がありましたら、各自打診していただき、団体名(団体としての連署が日程的に難しい場合は、氏名+団体名の形でも充分効果的です)、個人名(個人の場合は氏名と肩書き:フロス大統領はあまり日本のことを知りませんので、肩書きが物を言います)を下記メールアドレス宛にお送り下さい。

署名入りの日仏文の要請書をフロス大統領にメール(pdf)で送付するとともに、モルロア・エ・タトゥと相談して、フランスやポリネシアのメディアにも最も効果的なやり方で流します。

モルロア・エ・タトゥのジョン・ドゥーム事務局長によると、フロス大統領は自治権獲得記念日の6月29日の前に撤去したいと考えているそうですので、6月25日24:00必着でお願いします

—— 真下 俊樹(スパム防止のため本ページではメールアドレスを省略します)


ガストン・フロス 仏領ポリネシア大統領 殿
B.P. 2551, 98713 Papeete, Tahiti, Polynésie française

2014年6月26日

核実験被害者記念碑の取り壊しの撤回と、この記念碑の現在の場所での永久保存を求めます

私たち日本の市民は、タヒチ島パペエテ市1966年7月2日広場に現存する「核実験被害者記念碑」を「観光用途」のために解体・撤去する決定を貴殿が行ったことに強い憤りを感じます。私たちは、その決定の撤回と記念碑の現在の場所での永久保存を要求致します。

この記念碑には、核実験場となった太平洋の他の島々の石とともに、広島・長崎の市民が原爆の爆心地で採集し、ポリネシアのフランス核実験被害者など世界の核の被害者への連帯の印としてこの記念碑に寄贈した石が安置されています。このことは、日本の公共放送でも報道され、広く日本国民の知るところとなっています。また、多数の住民を被曝させ続けている福島第一原発近くの石も近々寄贈されることになっています。

その意味で、1966年7月2日広場の核実験記念碑は、いまやポリネシアの歴史遺産であるだけでなく、日本を含めた世界の核被害者の「人類と核は共存できない」という思いのこめられた歴史遺産なのであり、世界がその保存を求めています。

日本の広島市内の中心部に原爆ドームというのが在ります。原爆の爆心地に位置していた原爆ドームは、原爆の悲惨さを表現する象徴的な存在です。この原爆ドームも一時期、壊してしまおうかという声が上がったことがありました。しかし、広島市民を始め世界中から寄せられた募金によって補修工事が行われ、永久に保存することが決まりました。1996年にはユネスコ世界遺産に登録され、毎年内外から140万人以上の人が訪れています。原爆ドームなど原爆の残したものを取り壊し、見えなくしていれば、国際平和都市としての今日の広島はなかったはずです。

私たちは、パペエテの1966年7月2日広場につくられたあの小さな核実験記念碑も「ポリネシアの原爆ドーム」となると信じます。すでに日本のピースボートは年1~2回、毎回約900人の日本人観光客を乗せてこの記念碑を訪れています。

核兵器をはじめとして、国家が起こした過去の過ちが、それを覆い隠し、忘れさせようとすることによって償われたためしはありません(愛する者たちの命を奪い、脅かすものをどうして忘れ去ることができるでしょう?)。過去の過ちを繰り返し思い出すこと、そして二度と同じような過ちを繰り返さないためには何をしなければならないかを考え続けることによって初めて、私たちはそれらを乗り越え、新しい未来への一歩を踏み出すことができます。それこそが、その地域固有の文化遺産とアイデンティティ、そして誇りの源泉となると信じます。

署名者(各項目内50音順)

被爆者/被爆者団体

井原 東洋一:長崎県被爆者手帳友の会会長

小川 忠義:長崎被爆者

奥村 英二:長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会事務局長 

川野 浩一:原水爆禁止日本国民会議議長

川原 重信:原水爆禁止長崎県民会議会長

坪井 直:日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 / 広島県原爆被害者団体協議会 理事長

橋爪 文:被爆者・詩人

豊福 澄子:NTT労組長崎県被爆者協議会副会長

被爆二世/被爆二世団体

片岡 勝子:広島大学名誉教授

木原 省二:広島被曝二世

平野 伸人:全国被爆二世団体連絡協議会元会長

丸尾 育朗:長崎県被爆二世の会会長

前/元市長

秋葉 忠利:前広島市長

平岡 敬:元広島市長

本島 等:元長崎市長

市民団体

岡本 良子:I女性会議ながさき議長

川上 直哉:日本キリスト教団・神学博士

川崎 哲:ピースボート共同代表

車地 かほり:ワールド・フレンドシップ・センター理事

原子力資料情報室

田口 知鶴子:ワールド・フレンドシップ・センター理事

西岡 由香:ながさき女性国際平和会議(N・WIP)会長

平野 忠司:長崎地区労働組合会議議長

ふぇみん婦人民主クラブ

福山 真劫:フォーラム平和・人権・環境 代表

藤本 泰成:原水爆禁止日本国民会議事務局長

元山 壽恵子:社民党を励ます長崎県OB・Gの会会長

横原 由紀夫:原水爆禁止広島県協議会元事務局長

渡辺 道子:ワールド・フレンドシップ・センター理事

個人

石橋 純誓:呉市民

豊﨑 博光:フォトジャーナリスト

野村 修身:工学博士

振津かつみ:医師、兵庫医科大学遺伝学助教

真下 俊樹:埼玉大学経済学部講師

渡辺 茂美:元中国放送記者。現ジャーナリスト


Mr Gaston FLOSSE, Président de la Polynésie française
BP 2551, 98713 Papeete, Tahiti, Polynésie française

Tokyo, 26 juin 2014

Demande pour le retrait de la décision de démolir le monument des victimes des essais nucléaires et sa préservation permanente à l’emplacement actuel

Monsieur le Président, 

Nous, citoyens japonais, sommes choqués et indignés d’apprendre votre décision de démolir le monument des victimes des essais nucléaires placé sur la Place du 2 Juillet 1966 à Papeete, et cela pour des raisons « touristiques ». Nous vous demandons la rétractation de cette décision et la préservation permanente de ce monument à l’emplacement actuel. 

Sur ce monument, ont été déposées, avec les pierres des autres îles du Pacifique affectées par des essais nucléaires, des pierres recueillies aux points zéro des bombardements atomiques d’Hiroshima et de Nagasaki, pierres offertes pour le monument en signe de solidarité de centaines de milliers de survivants. Cet événement a été partagé par des millions de Japonais à travers un reportage télévisé de la NHK, la chaîne publique japonaise. Une pierre d’origine de la région de Fukushima, victime d’une autre tragédie nucléaire, va très prochainement les rejoindre. 

Ainsi, le monument des victimes des essais nucléaires sur la Place du 2 Juillet 1966 constitue non seulement le patrimoine historique de la population polynésienne, mais aussi celui de toutes les victimes du nucléaire, civil ou militaire, dans le monde, qui incarne leur conviction que « Le nucléaire ne peut pas coexister avec l’Humanité». Le destin de ce petit espace qui n’occupe que 36 m2 de superficie, représente maintenant une affaire internationale. 

Le Dôme de la Bombe Atomique à Hiroshima, la carcasse calcinée et l’ossature métallique d’un édifice à l’épicentre de la première bombe atomique lâchée sur l’humanité, sont mondialement connus comme symbole de l’atrocité des armes atomiques. Pourtant, dans la montée de la volonté de favoriser la réhabilitation après la guerre, des voix ont surgi demandant de démolir et de se débarrasser de ces ruines liées aux souvenirs maudits. Cependant, inspiré par le vœu d’une lycéenne qui est morte de leucémie, une démarche de collecte pour le conserver a été engagée par des citoyens. Grâce aux innombrables contributions provenant du Japon et de partout dans le monde, la conservation permanente du Dôme a été officiellement décidée. En 1996, il a été inscrit sur la Liste du patrimoine mondial de l’Unesco. Chaque année, plus de 1,4 millions de touristes japonais et étrangers le visitent. Si on avait supprimé toutes les traces du bombardement atomique, « Hiroshima-ville internationale de la paix » d’aujourd’hui n’aurait jamais existé. 

Pour nous, la stèle sur la Place du 2 Juillet 1966 est le « Dôme de la Bombe Atomique de la Polynésie ». Déjà, les Peace Boats, des navires embarquant pour une croisière gérée par une organisation internationale non-gouvernementale, Peace Boat, dont le siège est à Tokyo, y amènent chaque année de 900 à 1 800 touristes japonais.

Les erreurs de l’Etat n’ont jamais été réparées ou corrigées dans l’Histoire en essayant de les obscurcir ou de les faire oublier (comment pourrait-on oublier ou rester ignorant de quelque chose qui a détruit, ou qui menace, les vies de ceux qu’on aime?). Ce n’est qu’en se rappelant à maintes reprises les erreurs du passé, et en réfléchissant sans cesse à ce qu’on devrait faire pour ne pas les répéter, que l’on peut les surmonter et prendre un nouveau départ vers le futur. Nous croyons que c’est là que réside la source du patrimoine culturel, de l’identité nationale et de l’estime de soi d’un pays.

Signataires (par ordre alphabétique de chaque catégorie)

Survivants des bombes atomiques / Organisations des survivants des bombes atomiques

Bun Hashizume: Poète et auteure de Le jour où le soleil est tombé… J’avais quatorze ans à Hiroshima, Editions du Cénacle de France, 2007

Shigenobu Kawahara: Président, Conférence préfectorale contre les bombes A et H de Nagasaki

Koichi Kawano: Président, Congrès national contre les bombes A et H du Japon

Tadayoshi Ogawa: Survivant de Nagasaki

Eiji Okumura: Secrétaire général, Comité de Liaison des survivants de la bombe, Centre de mouvement de la paix de Nagasaki

Sumiko Toyofuku: Vice-présidente du Conseil des survivants de Nagasaki, NTT Union 

Toyokazu Ihara: Président, Association amicale des porteurs du livret de survivants du bombardement atomique de Nagasaki

Sunao Tsuboi: Président, Confédération des organisations des victimes des bombes A et H du Japon
Directeur général, Confédération des organisations des victimes de la bombe atomique d’Hiroshima

Deuxième génération des survivants / Organizations de deuxième génération des survivants

Nobuto Hirano: Ancien président du Conseil de liaison nationale des organisations de la deuxième génération des survivants 

Katsuko Kataoka: Professeur émérite, Université d’Hiroshima

Shoji Kihara: deuxième génération des survivants de la bombe atomique d’Hiroshima 

Ikuro Maruo: Président, Association de la deuxième génération des survivants de Nagasaki

Anciens maires

Tadatoshi Akiba: Ancien maire d’Hiroshima 

Takashi Hiraoka: Ancien maire d’Hiroshima 

Hitoshi Motoshima: Ancien maire de Nagasaki 

Associations / organisations religieuses 

Citizens’ Nuclear Information Center

Femin-Women’s Democratic Club

Yasunari Fujimoto: Secrétaire Général, Congrès national du Japon contre les bombes A et H (Gensuikin)

Shingô Fukuyama: Président, Forum de la paix, des droits de l’homme et de l’environnement

Tadashi Hirano: Président, Congrès des syndicats de la région de Nagasaki

Naoya Kawakami: United Church of Christ in Japan, Th.D.

Akira Kawasaki: Co-représentatif, Peace Boat

Kaori Kurumaji: Directrice, World Friendship Center

Sueko Motoyama: Présidente, Association des OB-Gs de la préfecture de Nagasaki pour encourager le Parti social-démocrate

Yuka Nishioka: Présidente, Nagasaki Women’s International Peace (N-WIP)

Ryoko Okamoto: Présidente, I Conférence des femmes de Nagasaki

Chizuko Taguchi: Directrice, World Friendship Center

Michiko Watanabe: Directrice, World Friendship Center

Yukio Yokohara: Ex-secrétaire général, Conseil préfectoral contre les bombes A et H

Individus

Katsumi Fujitsu: MD. Ph.D / Assistant Professor, Hyogo College of Medicine, Dep. Genetics

Sumichika Ishibashi: Citoyen de la ville de Kure

Toshiki Mashimo: Lecteur, Université de Saïtama

Osami Nomura: Docteur en génie 

Hiromitsu Toyosaki: Photo-journaliste 

Shigemi Watanabe: Journaliste

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