| 被爆者含む緊急派遣団が、インド・パキスタンを訪問 |
原水禁国民会議と広島原水禁・長崎原水禁は、6月15日より27日まで、インド・パキスタンに被爆者を含む緊急派遣団を派遣しました。
インド・パキスタンの相次ぐ核実験を目の当たりにして、核被害の実態が両国の市民にほとんど知られていないことを実感し、強い危機感をもったことが、今回の緊急派遣の動機でした。
現地では各地で原爆写真展や集会、記者会見を開くなどして、広島・長崎の被爆体験を広く知ってもらい、両国の市民と交流を深めます。この他平和運動の関係者、研究者などとの会談も行ないました。
写真=ニューデリーでの集会で被爆体験を語る武田靖彦さん
○メンバー:
武田靖彦(広島被爆者:65歳。12歳で爆心地から約7キロで被爆。二日後入市。16歳の姉は爆心地から1.4キロの地点で被爆、9日死亡。)
坂本健(広島県原水禁事務局長:52歳)
田窪雅文(原水禁本部国際担当:47歳)
○目的:核兵器の恐ろしさを被爆者の声で訴えると友に、両国の反核グループとの持続的な連帯の道を探ること。
○現地での行動:
武田氏の証言。広島・長崎写真集を10セット持参し、各地で展示した後、寄贈。ビデオもいくつかの場所で上映し、寄贈。パンフレット、ハダシのゲンなども各地で寄贈。(ラホールのグループからはハダシのゲンのウルドゥー語版を逆に寄贈された)
○行程(9カ所):
デリー、ポカラン、ケトライ、ジョドプール、ジャイプール、ムンバイ(ボンベイ)、カラチ、イスラマバード(ラワルピンジーを含む)、ラホール。
○話を伝えた人々:
約20回の集会・街頭行動・会合などで約2500人に訴えた。
6回の記者会見、会食、インタビュー、集会での取材などを通じて、話をしたジャーナリストは約200人。
○主要受け入れ団体
○全体的印象:
両国の国民は核兵器の恐ろしさをほとんど知らない。反核意識を広げていく可能性をもったグループは存在する。協力して両国民に情報を提供することが重要である。
○今後の方針
| 日にち | 場所 | 予定 |
|---|---|---|
| 15日(月) | 成田→デリー | デリー着 |
| 16日(火) | デリー | デリー大学で会合(40人)/記者会見/街頭で写真展示・演説(80人)/レセプション(20人) |
| 17日(水) | デリー→ジョドプール | インド社会科学学院で集会(100人)/核実験場近くのポカランで集会(500人) |
| 18日(木) | ジョドプール | ケトライ(実験場の境界から2〜3km)で集会(600人) |
| 19日(金) | ジャイプール | ジャイプールで記者会見(20人)/集会(100人) |
| 20日(土) | ジャイプール→ムンベイ | ムンバイで集会(60人) |
| 21日(日) | ムンベイ→カラチ | カラチでニューズライン誌のインタビュー/軍拡競争反対行動委員会(ACCAR)集会(50人) |
| 22日(月) | カラチ | カラチ大学で集会(50人)、教員等と会談/リアリ地区で集会(150人) |
| 23日(火) | カラチ→イスラマバード | カラチのジンナ医科大で学期最初の講義(80人)/社会運動・開発ネットワーク主催の集会(150人) |
| 24日(水) | イスラマバード | ウルドゥー語新聞記者会見(5人)/英語新聞記者会見(3人)/商店街で辻説法(60人)/集会(40人) |
| 25日(木) | イスラマバード→ラホール | ムバシール・ハサン元財務大臣が出迎え/人民フォーラム代表との会合/レーマン・パキスタン人権委員会事務局長と会談/人権委員会会館講堂で集会(50人) |
| 26日(金) | ラホール | インタビュー(地元紙・米国人ジャーナリスト)/記者会見/ラホール発 |
| 27日(土) | ラホール→成田 | 帰国 |