核情報

2009.6.23

国際会議で先制不使用政策に反対する日本:2009年カーネギー会議
 佐藤行雄(元国連大使)vsパーコビッチ(カーネギー国際平和財団副所長)

日本が、米国に対して大幅核削減や先制不使用宣言をしないよう働きかけていると米国の専門家らが警鐘を鳴らしています。

その状況を窺わせる例の一つに、今年4月ワシントンで開かれたカーネギー国際平和財団主催の国際会議でのパネル・ディスカッションがあります。日本側の発言者は、佐藤行雄元国連大使。現大使ではないので、公式代表ではありませんが、その経歴から、日本政府の声を代弁しているものと思われます。

佐藤元国連大使(外務省外郭団体日本国際問題研究所元理事長)は、「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」の日本側諮問委員3人の一人です。先頃来日したICNNDのエバンズ共同議長は、5月27日、各政党関係者やNGOとの話し合いで、委員会の大半は、米国が核を先には使わないとの政策を宣言し、その政策に合わせて核態勢を構築しなおすべきだと考えているが、日本に対する核兵器以外の攻撃にも核で報復することを米国に望む日本の政策が、勧告の採択にとって障害になっていると述べています。

4月6日のパネル・ディスカッションのタイトルは「拡大抑止の要件は変わりつつあるのか」(pdf)

司会は、スタンフォード大学政治学教授で国際安全保障・協力センター(CISAC) の共同ディレクターのスコット・セイガン。CISACのもう一人の共同ディレクターは、キッシンジャー元国務長官らの「核兵器のない世界」の提言の作成過程で重要な役割を果たした科学者シドニー・ドレルです。ここで紹介するのは、セイガン、佐藤、それにジョージ・パーコビッチ(カーネギー平和財団副所長兼同財団不拡散プログラム所長)の三氏の発言の抜粋訳です。パーコビッチは、ICNNDの諮問委員の一人です。また、カーネギ国際平和財団は、日本国際問題研究所とともに、ICNNDの作業を支える関連研究機関として名を連ねています。(パネルには、ポーランド国際問題研究所のLukasz Kulesaが加わっているがその発言は割愛。)舞台裏での交渉はさらに激しいものと予想されますが、ここからその議論の一端を窺うことはできるでしょう。

●参考




セイガン

・・・

第一に、出来る限り、「核の傘」という言葉を避けて欲しい。この言葉は、拡大抑止が意味するものよりも防衛機能的な響きを持っていると同時に、二種類の拡大抑止を適切に区別しないからである。すなわち、ある国が、その同盟国が核兵器によって攻撃されたら、核報復によってその同盟国を支援するというものと、どんな形で攻撃されても、核兵器で報復するというものとの違いである。・・・

佐藤

拡大抑止の概念は、地域毎に異なった形態があり、それは、各地域の戦略的条件を反映している。日本の場合は、1960年代から、核兵器を持たない、作らない、持ち込ませないという非核三原則を堅持してきている。・・・戦略的に言って、日本の非核三原則の遵守は、もっぱらではないとしても、主として、日米安保に、もっと具体的に言うなら、日本に抑止を提供するという米国のコミットメントの信頼性に依存している。

冷戦後の──とりわけ、米ロの、そして、米中間の非敵対的な関係の──文脈において、核抑止の概念は、再定義される必要がある。しかし、同盟国に対する、特に、核兵器を持っていない国に対する米国による信頼性[信憑性]のある抑止は、様々な核兵器や他の大量破壊兵器が残っている限りは、維持されなければならない。この文脈において、生物・化学兵器の使用を抑止する信頼性[信憑性]のある手段がないまま、核抑止の目的を、核兵器の使用の抑止にのみ限定するのは時期尚早であるということを強調しておきたい。・・・

米国の著名な戦略家らが提唱している「核兵器のない世界」を求める提言も、米国の拡大抑止に与えうる悪影響についての不安を惹起した──同じ提言は、核兵器廃絶運動の進展の欠如についての懸念の方が高い人々には、歓迎されたのではあるが。さらに、もし、米国政府が、適切な協議を行わずに、核抑止の概念を一方的に再定義する方向に──とりわけ、抑止を提供するに際しての核兵器への依存を減らす方向に──動くなら、米国の拡大抑止についての日本の懸念は高まるだろう。

これらすべてに鑑みれば、米国の抑止が、核によるものであれ、それ以外のものであれ、変化しつつある戦略的状況や技術的進展を前にして、機能し続けると日本の人々に保証するために、日米両政府が拡大抑止について共通の概念を、より明確に打ち出す時である。

パーコビッチ

・・・徹底的に議論する必要があるだろう。各国に対する脅威とはどのようなものか?様々な脅威の可能性や深刻さの度合いは?と。なぜなら、いろいろな脅威があり得るが、どこかの時点で、我々が本当に心配しているのは何か、核兵器によってのみ抑止できる、あるいは打ち勝つことのできる脅威とは何か、と問うてみなければならない。

例えば、同盟国に対する大規模な通常兵器による軍事的侵攻を抑止するのに核兵器は必要か。どの国に対するどのような場合か。ポーランド? 日本? 日本に対する通常兵器の脅威とはどこにあるのか。どのようなレベルの侵攻であれば、米国の大統領に対して核兵器の使用を命令することを納得させられるのか。言い換えると、我が国には核兵器もあるし、その他のありとあらゆるものがある。しかし、ベトナムで戦争に負けてしまった。他の戦争でも核兵器の使用の威嚇を行わずに戦った。なぜなら、これらのケースでは、問題や戦争の規模が、核兵器の使用を正当化するには十分ではなかったからだ。同盟国に対する拡大抑止について語る場合、核兵器が実際に関わってくる、信憑性を持ってくると考えるのは、どの程度の脅威のレベルにおいてなのか?

[佐藤]大使は、化学あるいは生物兵器を抑止、あるいは、これに対して報復するのに核兵器が必要だと述べた。まず、化学兵器と生物兵器については分けて考えよう。なぜなら、化学兵器の脅威が、その規模において、核兵器を使うことを正当化するほどのものに、国家──あるいはその他──の存在そのものを脅かすほどのものとなると主張する人の話を聞いたことがないからだ。核兵器は50年以上──それが何年であれ──存在しながら、使われていないという歴史がある。だから、ここではこれが信憑性がある、と言えるようになるには、もっとずっと注意深い作業をいろいろ行わなければならないと思う。・・・

日本の場合には、北朝鮮について話した。北朝鮮は、核兵器を持っており、日本の上を通ってミサイルを飛ばしている。だから、核抑止が必要となり始める事態だと言う訳だ。それを否定しようと言う訳ではないが、やはり、問うてみなければならないことがある。北朝鮮を抑止するために我が国がすること、あるいは、すると威嚇すること、しなければならないことは、あの政府の存在を脅かすことだ。問題は、第一に、そのために核兵器が必要かどうか。第二に、北朝鮮と戦争をすると決定した場合、現実的に言って、核兵器を使うことになるのか。

これは、あの国の指導部がどこにいるか、また、何人の民間人が殺されてしまうことになるのかによるところが大きい。だが、北朝鮮のかわいそうな国民は、完全な独裁状態の下で暮らしており、現実について何も知らず、自由がまったくなく、自国の政府について責任がないと言っておきながら、その人々を完全に吹き飛ばしてしまうとは言えない。米国の大統領は、いつ、どこで核兵器を使うかに関し、それが持つ政治的、道徳的意味合いについて、また、それが唯一の手段か否かについて考えることになるだろう。繰り返しになるが、私は、答えが核兵器ではないと言っているのではない。それぞれのケースについて、日本と、韓国と、あるいは他の国とともに、検討しなければならない問題があると言っているのだ。

・・・・

[米国の戦争に巻き込まれることについての不安の反対側に]一方、緊張関係のもう一方の側に、見捨てられる不安がある。米国が一緒に戦ってくれない、守ってくれないという不安だ。例えば、日本では、こういう懸念があるという。米国が中国と相互脆弱性を受け入れてしまう──中国の報復能力を取り上げてしまおうとしない──ということになると、何らかの形で中国と日本を巻き込んだ戦争が起きた場合、米国は、自身が中国の報復に合うリスクを冒したくないからということで日本のために戦ってくれないかもしれない。

それで、米国は、日本を見捨てる。ディカプル(切り離す)というのがもう一つの用語だ。こういう懸念は、冷戦時代の方がさらに強かった。だから、この懸念は今日存在してるが、新しいものではない。取り組んでいかなければならないということだ。となると、運用上の問題にまた至ることになり、これがまた、ジレンマを抱えている。日本は、日本の政府関係者らは、特に今、拡大核抑止について、保証を求めている。そして目に見えるプレゼンスについて要求がある。シュレシンジャー元国防長官が、自分が関わっている報告書のすべてで言っているように、目に見える拡大抑止がなければならないという訳だ。その一方で、日本は、その領土には、核兵器を置きたくない、港にも入れたくない。見えるようにしたいが、あまり、見えすぎないようにということか。同様に、ヨーロッパでも、米国の政府関係者のところに来て、あるいは公に──今朝も私がスピーチで触れた通り──核軍縮を望むと述べておきながら、非公式には、米国に対して、「ヨーロッパに核兵器を置いておいて欲しい、だけど、これについては議論しないようにして欲しい。なぜなら、国民が国内には核兵器を置くなと言っているから。だから、議論しないようにしよう」と言う政府がある。

二つを同時に言うことはできない。信頼性(信憑性)のある抑止は、目に見えなければならない云々。その一方で、これについては話さないで欲しいとか、ここに配備しないで欲しい、来るときには教えないで欲しい、とか。これは、同じ緊張関係を反映したものだと思うが、我が国が実施する徹底的な議論の中に入れなければならない。本当に真剣ならば・・・これらが本当に安全保障の問題であるならば、最も良いのは、米国の通常戦力を自国の領土内に配備することだ。日本に安心させる方法は、大使が触れた艦隊、艦船が日本に配備されるようにすること。これらの艦船が日本で攻撃されれば、米国が戦うことはまず間違いないと言って良い。

しかし、通常戦力がそこになければ、本当に望むべきカプリング(関係づけ)は、無くなってしまうだろう。だが、核戦力は、その種のカプリングとはずっと関連性が低く、例えば、ヨーロッパに米国が配備している核爆弾は──私は、運用タイプの人間ではないしここには軍関係の人が何人もいるが──ヨーロッパに米国が配備しているあの空中投下の爆弾は、ロシアと核戦争を戦うことになった場合に、米国が使うことになるものではないように思われる。しかし、戦争となれば、ロシアの攻撃を誘わないように、ヨーロッパから撤去した方が良いだろう。だから、ない方が良いと言うことだ。実際に使うようなシステムではないからだ。だが、政治的理由のために米国はヨーロッパに核爆弾を置いたままにしている。

佐藤

・・・

曖昧性に関して一点。生物兵器あるいは化学兵器について言ったように、抑止の対象を核兵器だけに狭めるというアイデアに反対する。すべてに対して核兵器を使うべきだと言っているのではない。しかし、生物(あるいは化学)兵器に対して核兵器を使わないと宣言することと、この問題について何も言わないこと、抑止の対象を曖昧なままに保つこととの間には、一定の差がある。この文脈においても、曖昧さが必要だと思う。・・・

セイガン

一つだけ簡単に。曖昧性について語る場合、歴史を誤用し、歴史の最近の解釈について忘れてしまう傾向があると思う。例えば、サダム・フセインに対し、彼の外務大臣を通じて表明された曖昧性が、化学兵器の使用を思いとどまらせる上で決定的に重要な役割を果たしたとしばしば言われる。第一に、これは歴史的に疑わしい。第二に、米国の大統領[ブッシュ(父)]がその回想録で、あの状況では核兵器を使うつもりは全くなかったと言っている。だから、本来的な曖昧性は幾分存在するが、少なくとも、人々が後で言ったことを検討すべきだし、そのような発言によって、曖昧なステートメントでも、その信憑性が減じると言うことを理解すべきだ。


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