核情報

2004.3.31

北朝鮮の核開発とはどのようなものか

『世界』2003年3月号より 田窪雅文  

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が米朝間の合意枠組みに違反して核兵器用のウラン濃縮計画を持っていることを認めたとの発表を昨年10月16日に米国が行って以来、北朝鮮は、1994年から凍結されていた核施設の運転再開を宣言し、国際原子力機関(IAEA)監視員の国外退去を命じるなどの強硬な姿勢を貫き、ついに1月10日には、核拡散防止条約(NPT)脱退宣言を出すまでに至った。そして翌11日には、駐中国大使がミサイル実験の再開もあり得ると発表した。ただし、NPT脱退宣言でも、「核兵器を造る意思は無く、現段階でわれわれの核活動は専ら電力生産をはじめとする平和的目的に局限される」と述べ、さらに「米国がわれわれに対する敵対視圧殺政策を取りやめ、核の脅威を取り払うならば、われわれは核兵器を造らないということを朝米間の別途の検証を通して証明してみせることもできるはずだ」と付け加えているから、北朝鮮の意図は、強硬な態度を見せることによって米国に交渉を迫ることにあるととれる。しかし、このようなゲームは双方が相手の出方を読み間違えると極めて危険な事態に突入する可能性があり、予断を許さない。北朝鮮は、すでに核兵器一〜二個分のプルトニウムを分離して持っているかもしれないといわれる。このプルトニウムで核兵器を実際に作っているとの米国中央情報局(CIA)などの見方もある。また、再処理施設の運転が始まれば、保管されている使用済み燃料からさらに5〜6個分のプルトニウムが数ヶ月で取り出される可能性があるともされている。

 ここでは、このような数字の意味と背景を整理しておきたい。まず合意枠組みと今回の問題の関連を概観した後、北朝鮮のどのような核施設、核兵器開発能力が問題になっているのかを見ていく。最後に、合意枠組みに至る過程を振り返る。核施設については米国の「科学・国際安全保障研究所(ISIS)」発行の『北朝鮮の核パズルを解く』(デイビッド・オルブライト及びケビン・オニール編著:2000年)が主な情報源である。オルブライトらは、IAEA関係者との数々のインタビュー、関連文書、旧ソ連の衛星や商業衛星の写真などに基づき詳細な分析をしている。

94年の「枠組み合意」とは何か

 1994年10月21日に米朝間で署名された『アメリカ合衆国と朝鮮民主主義共和国の間の合意枠組み』は、基本的には、出力総量200万キロワット分の軽水炉の提供と引き替えに、北朝鮮が、黒鉛減速炉及びその関連施設の運転・計画を凍結し、最終的に解体するというものである。米国が主導して作る国際事業体が2003年に軽水炉の建設を終え、その時点で黒鉛減速炉及び関連施設の解体も同時に完了するというのが当初の目標だった。そして、軽水炉一号機が完成するまで、代替エネルギー源として、この国際事業体が、重油を年間50万トンの割合で提供する。これまでの黒鉛減速炉の運転ですでに生じている使用済み燃料は、北朝鮮で再処理を行わない形で安全に処理できるよう米朝両国で協力する。これらが第一項に書かれている。第二項は、両国が政治的・経済的関係の正常化に向けて行動することを定めている。第三項は、米国が北朝鮮を核で脅したり核攻撃をかけたりしないことを約束する代わりに、「北朝鮮は、『朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言』の履行に向けた取り組みを一貫して行う」としている。(91年12月31日に南北朝鮮が署名したこの共同宣言の第三項に「南と北は核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない」とあるから、北朝鮮は、たとえ平和利用目的のものであってもウラン濃縮施設を持ってはならない。)第四項は、北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)加盟国としてとどまり、同条約の保障措置協定の履行を妨害しないことを定めている。

 この合意枠組みに基づいて1995年に日米韓の三国で設立されたのが、「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」である。現在では、三ヶ国の他、欧州連合(EU)と九ヶ国が加盟している。約46億ドルの事業費のうち、日本は、10億ドルを提供することになっている。韓国は32億2000万ドルを提供する。EUは少額を提供し、米国が残りを補う。重油の費用は米国が負担する。原子炉の費用は、完成後、北朝鮮が20年間かけて無利子で返済する計画である。(燃料は最初の装荷分はKEDOが提供し、後は北朝鮮が商業的に購入する。)韓国電力公社(KEPCO)が工事の主契約社である。北朝鮮の東海岸の新浦(シンホ)市の近く、琴湖(クムホ)で基礎工事が始まったのが97年8月、原子炉自体の着工が昨年8月だから、計画は大幅に遅れており、すべてがうまくいっても、二基の原子炉の完成は2010年以降と見られている。合意枠組みには、軽水炉計画の相当部分が完了したところで、IAEAとの保障措置協定を完全な履行状態にするとある。履行状態が完全になるまで、中核的な核関連機器が提供されない。そして、履行状態を完全にする作業として、1992年5月の北朝鮮の冒頭報告が正確かつ安全であることを確認するために、「IAEAが必要と考えるすべての措置を講じること」ができるとある。これは、実質的には後述の特別査察を意味し、IAEAは、全体の作業を終えるには3〜4年かかるとしている。一基めの軽水炉工事の相当部分が完了しそうな2005年頃まで待ってからこの作業を始めると、2008年〜9年まで工事は中断したままとなってしまい、計画はさらに遅れる可能性がある。計画をスムースに進めるには、北朝鮮が早く全面的な査察を受け入れるしかない。

北朝鮮の核開発の概要

 今回再稼働が問題になっているのは、平壌(ピョンヤン)から北に約90キロメートルの地点の寧辺(ヨンビョン)にある電気出力5000キロワット(実質的熱出力2万キロワット)の黒鉛減速ガス冷却実験用原子炉と「放射化学実験室」(再処理施設)である。1985年に臨界に達し、86年から運転されている実験用原子炉は、北朝鮮が、英国で56年に運転開始となったコールダーホール型という原子炉(電気出力5万キロワット)をモデルに独自に建設したものである。この型の原子炉は、英国が二重目的炉(軍事用プルトニウム生産と発電)として開発したもので、核兵器用のプルトニウムの生産に適している。コールダーホール型炉の設計情報は当時から公開されていた。燃料は天然ウラン(金属)を使う。つまり濃縮技術がなくとも運転ができる。黒鉛とウラン鉱を持つ北朝鮮としてはありがたい炉である。

 この原子炉を設備利用率85%で一年間運転すると、約6キログラムほどの兵器級のプルトニウムが炉内にたまる。(燃料を燃やしつづけると核兵器の設計に都合の悪いプルトニウム240の比率が増えていく。この比率が7%以下のものを兵器級プルトニウムという。)普通最初の核兵器一個を作るのに必要なプルトニウムの量として8キログラムという数字が使われるが、製造過程でのロスを計算に入れたもので、実際に必要なのは約5キログラムとされる。(米国エネルギー省は、1994年1月、小型原爆の製造に必要なプルトニウムの量の推定値を、8キログラムから4キログラムに下げている。)つまり、この原子炉では、年間核兵器一個分程度のプルトニウムが生み出せる。

 またこの原子炉からは1994年に燃料がすべて取り出されているが、その中に含まれるプルトニウムの量をオルブライトは約25〜30キログラムと推定する。(これらの燃料棒は、再処理されておらず、IAEAの監視下にあったが、北朝鮮は封印を解いて監視カメラに覆いをして監視不能にしてしまった。)これは、核兵器5〜6個分に当たる。

 この使用済み燃料内のプルトニウム量の推定の根拠はつぎのようなものである。原子炉には、チャンネルという燃料棒を差し込む管が812本垂直に並んでいる。その一つひとつに燃料棒が10本重ねて入れられる構造となっている。つまり、約8000本の燃料棒が入る。燃料棒は、重さ6・24キログラム(長さ50センチメートル、直径3センチメートル)。炉内燃料の総量は約50トンとなる。燃料の中にたまるプルトニウムは、燃焼度(燃料から発生したエネルギー:メガワット日/トン=MW・d/t)から計算される。北朝鮮は、この原子炉に1992年春の時点で約17キログラムのプルトニウムがたまっていると報告している。燃焼度に直すと約400MW・d/tである。炉の運転歴・構造などからこれを妥当と判断し、この後出力2万キロワットで94年春まで運転したとすると、燃焼度は600〜700MW・d/tになる。これから計算したのが上の数字である。

 ではすでに抽出されているプルトニウムはどのくらいあるかというと、こちらは少々複雑になる。寧辺には、プルトニウムの抽出に使われた可能性のある原子炉が二基ある。一つは上述の実験用原子炉。もう一つは、旧ソ連が、1965年に提供した研究用原子炉(IRT−2000)である。オルブライトは、これら二基から抽出された可能性のあるプルトニウムの量をそれぞれ、最大、6・3〜8・5キログラム、2〜4キログラムと推定する。このうち、研究用原子炉の数字が確度の低いものであることを考慮して、統計的手法を用いて合計量を計算すると、6・9〜10・7キログラムになるとしている。

 このプルトニウムを使って作れる核兵器の数は、大きい方の数字と、前述の一個5キログラムという数字を使い、さらに、一個目の製造で生じたロス部分を回収して二個目に使えたとして、最大二個となる。ここでいう最大とは、あり得ると想定される最悪のケースの意味である。実際の量は北朝鮮にしか分からないとオルブライトは強調し、特に北朝鮮がすでに核兵器を持っているとの見方については注意を要すると述べる。「最悪のケースについて分析・評価するのは、正当かつ必要ではあるが、これらの評価が、しばしば事実として描かれ、北朝鮮に対するタカ派的な行動に対する支持を作り出すために使われる」と彼は言う。

 計算の根拠を簡単に見ておこう。実験用原子炉は、1989年に約70日間炉を停止した際に、大量の燃料が取り出され、その後再処理されたのではないかと疑われている。(93年12月7日、レス・アスピン国防長官(当時)が、テレビで「北朝鮮は、89年に炉を100日間停止した」と述べているが、94年、米国当局者が、70日の方が正確と述べている。)この停止の際に、炉の半分(25トン)あるいは全部(50トン)が取り出されたと想定し、その時点での燃焼度を運転歴から200MW・d/tとして、最悪のケースを計算したのが上の数字である。90年に1ヶ月と91年50日運転が停止されたとの報道があり、このときにも燃料が取り出されたとすると、抽出量の推定はさらに大きくなる。米国当局者は、この2回の停止の際に北朝鮮が意味のある量の燃料を取り出した可能性を否定している。

 研究用原子炉(IRT2000)は、軽水冷却のプール型で、濃縮ウランを使う。最初は熱出力2000キロワット(燃料は10%または36%濃縮ウラン)だったが、その後北朝鮮が独自にその出力を上げ、74年に4000キロワット(36%または80%濃縮ウラン)、80年代末に8000キロワットにしている。現在のIAEAのデータベースでは、36%濃縮ウラン使用となっている。濃縮ウランの燃料(ドライバー)だけで、プルトニウムを作るのは効率が極めて悪い。だが、天然ウランで作ったターゲット燃料を装入してプルトニウムを作るとなると別である。北朝鮮は、実際、このような方式で作った少量のプルトニウムを75年に同位元素生産加工研究所(アイソトープ生産施設)抽出したとしている。

 もう一つの問題の施設「放射化学実験室」(再処理施設)は、長さ190メートル前後、幅27メートル、6階建てのビルほどの高さの本格的再処理工場である。上下二層の構造となっている。1980年代半ばに建設開始。92年5月11〜16日に北朝鮮を訪れたIAEAブリックス事務局長(当時)は、16日に北京で開かれた記者会見で、建物の建設は80%完了しているが、内部の機器は、40%ほどしか入っていないと述べている。北朝鮮は、処理能力を燃料の量にして25トン/年と説明している。8時間/日x200日の運転という想定である。設計値の燃焼度760〜800MW・d/tの使用済み燃料で、プルトニウム18キログラム/年の抽出となる。(核兵器用には燃焼度がもう少し低い方がいい。)1日24時間、年間10ヶ月の運転とすると、年間110トンの処理能力となる。これだとプルトニウムが80キログラム抽出できる計算である。(単純計算すると94年に取り出した燃料約50トンを5ヶ月ほどで処理できると言うことになる。)92年以後も建設は進められ、94年には、第二系統がほとんど完成していることをIAEAが確認している。二系統合わせると、年間220〜250トンの処理能力となる。プルトニウムの抽出能力にすると、160〜180キログラムとなる。実際の能力は動かして見ないと分からない。

 北朝鮮には、前述の研究用原子炉と実験用原子炉の他に、後数年で完成というところで1994年に建設が凍結された原子炉が二基ある。どちらも黒鉛減速・炭酸ガス冷却(天然ウラン燃料)原子炉だが、これらは、フランスのG2という型の原子炉をモデルにしたもので、実験用原子炉と若干設計が異なる。一基は寧辺に建設中だったもので電気出力5万キロワット(熱出力20万キロワット)。もう一基は泰川(テチョン)に建設中だったもので電気出力20万キロワット(熱出力80万キロワット)。設備利用率85%として、それぞれ、兵器級プルトニウムを年間56キログラム、220キログラム生産する能力を持つ。3基の黒鉛減速炉がそろって運転される状態になると、年間280キログラムとなる。大きい方の二基の原子炉の設備利用率を60%とすると、三基で年間210キログラムとなる。核兵器一個5キログラムで単純に計算すると、この量は、年間40〜55個分となる。

核兵器はあるのか

 北朝鮮は、すでに核兵器を持っているのだろうか。米中央情報局(CIA)は、2001年12月の報告書で、「北朝鮮が、一個、ひょっとしたら二個、核兵器を製造したとの判断を1990年代半ばに下した」と述べているが、1994年のCIA係官の次の発言がことの本質を表しているのではないだろうか。「CIAは北朝鮮が核兵器を持っていると51%信じている。」

 今回米国が指摘したウラン濃縮計画については、明確な情報はないが、ウラン濃縮計画が進行中としてもまだ初歩の段階というのが一般的な見解のようだ。たとえば、米政府が日本政府に伝えてきた内容の概要(複数の日本政府筋)を読売新聞(2002年10月23日付)は、つぎのように報じている。「〈1〉北朝鮮は、核兵器に使用する濃縮ウラン製造に必要な遠心分離器の部品を1997年ごろから数回にわたり、パキスタンから購入した〈2〉一部の部品がそろっていないため、ウラン濃縮施設は依然稼働していない。」

 ところで、1994年に実験用原子炉から取り出した燃料は、いずれ再処理しなければならない。マグノックス炉の燃料は、長期保存には向いていない。英国では、120〜130日ほどプールで冷却したあと再処理してきている。北朝鮮は、94年にIAEAに挑戦するかのように、短期間で燃料を取り出しプールに入れてしまった。前述の通り、合意枠組みは、この燃料を北朝鮮で再処理しないとしている。水につけたままにしているとマグネシウム合金でできた燃料被覆の腐食が進む。そこで米国側の技術者らが現地に行き、ステンレススチールの容器に入れて缶詰状態にして、プールで保管している。カンの中には、アルゴンガスと少量の酸素を注入してある。
 缶詰作業は99年半ばでほぼ完了、翌年にはクリントン大統領が完了宣言を出している。これで4〜7年保つ予定である。KEDOと北朝鮮の間で結ばれた軽水炉供給協定アネックス3の第9項には、「最初の軽水炉発電所の主要な核関連部品の納入が始まるとともに、実験用原子炉の使用済み燃料の北朝鮮からの移送が始まり、最初の軽水炉発電所が完成した時点で完了するものとする」とある。主要な核関連部品の納入は、前述の査察作業が終わるまで始まらない。今回の問題がなくとも缶詰の期限切れは近づいている。合意枠組みに変更を加えて運び出す必要がでてくるかもしれない。

デジャブの「NPT脱退」騒ぎ

 核兵器用プルトニウムの生産には黒鉛減速炉の方が適しているとはいえ、軽水炉も軍事目的に転用できることを知りつつ、これ前で見てきたような北朝鮮の核開発能力の即時凍結・最終的解体と引き換えに軽水炉を提供することにしたのが合意枠組みである。合意枠組みは、これまで見てきたような北朝鮮の核開発能力の即時凍結・最終的解体と引き替えに軽水炉を提供するものである。ここで、合意枠組みに至る過程を振り返っておこう。
 1980年代初めに米国が寧辺での原子炉建設に気づいたのが、ことの発端といえる。西側諸国の懸念に応える形で、旧ソ連が北朝鮮に働きかけた結果、85年12月12日、北朝鮮は、NPTに署名した。当時、北朝鮮は旧ソ連から軽水炉を輸入しようとしており、その前提条件として、NPT加盟を旧ソ連が要求したと報じられた。この輸入計画は結局実現しなかったが、現在KEDOが建設中の原子炉のサイトは、そもそも、旧ソ連が86年から92年まで立地調査を行った所である。

 NPT第三条は、NPTに加盟した非核保有国は、加盟から18ヶ月以内に、IAEAとの間で保障措置協定を結び発効させなければならないとしている。原子力施設を軍事目的に利用していないことをIAEAが査察によって確認するためのものである。ところが北朝鮮がこの協定を結ぼうとしないので、核開発の疑惑が高まっていった。問題の実験用原子炉の方は、86年から運転を始めた。北朝鮮は、91年12月31日にやっと保障措置協定に署名し、翌92年4月10日にこれを発効させた。

 IAEAと保障措置協定を結んだ国は、核物質の在庫状況についてIAEAに報告しなければならない。この報告を冒頭報告という。(この他施設の設計情報については別途提出する。)IAEAが冒頭報告の内容を確認する査察が特定査察と呼ばれる。特定査察は何回も繰り返して行うことができるが、それでも情報が任務遂行に不十分だとIAEAが判断した場合に、冒頭報告で申告されていない施設も調べさせろと要求して行うのが特別査察である。問題がなければ、その後は、定期的に通常査察を行って核物質の軍事転用がないかどうかを調べる。

 北朝鮮は、1992年5月4日、その冒頭報告をIAEAに提出した。この時点までにIAEAが公式に把握していた施設は、前述の

 北朝鮮は、また、62グラムのプルトニウムをIAEAに提示した。放射化学実験室(再処理施設)で1990年3〜5月に86本の使用済み燃料と172本の新しい燃料を混ぜて「ホット・テスト」を行った際に取り出したもので、プルトニウムの抽出はこれだけだとの説明だった。

 以前のIAEAなら簡単な分析で北朝鮮の説明を受け入れていたかもしれない。だが、湾岸戦争後、イラクの核開発がIAEAの気づかないうちに進行していたことが明らかになり、IAEAはその査察方法の強化を迫られていたところだった。IAEAは、放射化学実験室内部の様々な場所を濾紙で拭いたものや、各工程で生じた廃液からとったサンプルなどを詳細に分析して、北朝鮮の提示したプルトニウムの分析結果と比べた結果、北朝鮮の説明には矛盾があり、数回に渡って、異なる使用済み燃料が再処理されてプルトニウムが取り出された可能性があると判断した。北朝鮮は、1975年に研究炉(IRT2000)の「ターゲット」を同位元素生産加工研究所(アイソトープ生産施設)で処理して300ミリグラムのプルトニウムを取り出したのでそれが混ざっていることが分析結果に影響を及ぼしていると反論した。また、実験用原子炉は、多くの制御棒を途中まで入れた形で運転しなければならない特性を持っているため、IAEAの想定とは異なる組成のプルトニウムがでてくるのだと説明した。だがほとんどの矛盾点の解消には至らなかった。

 これもまた湾岸戦争後の現象といえるが、IAEAは、米国が提供した衛星写真を証拠として受け入れた。これらの写真は、寧辺(ヨンビョン)にある廃棄物貯蔵施設らしい二つの建造物が査察の直前にカモフラージュされたことを示していた。1つは埋められて、そこに至る道路が植木で隠された。再処理施設から300メートルの所にある二層構造の建造物(25メートルX70メートル)の方は、下層部分を隠すように土が盛られていた。(このことは、ISISが入手した旧ソ連の衛星写真と商業衛星の写真を比較すると見て取ることができる。)査察団は後にこの建物の上層部分に案内されたが、そこには軍用機器がおかれていた。サンプルの収集や写真撮影は許可されなかった。米国はさらに、1991年から92年にかけて再処理施設とこの二層構造の建造物を結ぶ形で溝が掘られ、また、埋め戻されるのを確認したという。その一方で、北朝鮮は、77年に作ったという廃棄物貯蔵所を創出し、92年11月に査察官らを案内した。92年5〜6月時点での米国の衛星写真ではこの施設は存在していなかったという。ISISが入手した89年の旧ソ連の衛星写真でもこの施設は写っていない。

 これらのことからIAEAは、北朝鮮が、未申告のプルトニウム抽出作業で生じた廃液を、疑惑貯蔵施設に隠している可能性があると判断し、これら未申告施設の査察を要請した。北朝鮮がこれを拒否したため、1993年2月25日、IAEA理事会が公式に北朝鮮に対し「特別査察」を要求し、三ヶ月の期限を突きつけた。北朝鮮は3月12日にNPT脱退を宣言することで応じた。5月13日には、国連安全保障理事会が北朝鮮に対し保障措置協定下での義務を果たすよう要請する決定を行い緊張が高まっていった。米朝の交渉の結果、6月11日、米国が「武力による威嚇及びその使用をしないとの確約」をするのと引き替えに、北朝鮮は保障措置を受け入れるとの合意が成立したと両国は共同で発表した。NPT条約は、脱退宣言は三ヶ月間後に有効なるとしている。この合意はその期限の一日前のことだった。共同声明文には、北朝鮮は、NPTからの「脱退の有効化を、必要とみなす期間、一方的に一時停止する」とある。今回、1月10日に北朝鮮がNPT脱退を「再宣言」した際、それが一日後に有効となるとしたのは、このためである。また、IAEAはNPT「脱退効力の発生を臨時停止させたわれわれの特殊地位を無視し、われわれを「罪人」扱い」していると抗議しているのも、この文脈においてである。

 この1993年6月の合意にも関わらず、北朝鮮はIAEAの査察に抵抗を続けた。そして、94年5月から6月にかけ、実験用原子炉の燃料をIAEAの意向を無視して、急速な作業で取り出してしまった。これで炉の運転歴を正確に知ることは不可能となり、緊張は一気に高まった。6月15日にカーター前大統領が平壌(ピョンヤン)で金日成主席に会って事態の収拾に成功したときには、米国は攻撃態勢に向けた決定の寸前まで行っていたと言われる。この後、交渉を経て米朝間で取り決められたのが10月21日の合意枠組みである。

 こうして見るとまさにデジャブの感が強い。関係各国が前回の経験に学び、賢明な解決策を見いだすことを願うのみである。(ISISへのリンクや他の参考資料・データについては、原水禁のホームページを参照されたい。)


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