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Gensuikinヒバク

2006年03月02日

ビキニデー全国集会

多くの犠牲者を出したビキニ環礁の水爆実験「ブラボー」から52周年の3月1日、静岡市で被災52周年ビキニデー全国集会を開催しました。

ビキニデー集会
静岡市あざれあで
500人近くが参加
ビキニデー集会
講演する
広瀬隆さん
ビキニデー集会
第5福竜丸展示館長の
川崎昭一郎さん
ビキニデー集会
浜岡原発プルサーマルの危険を
訴える塚本千代子さん


被災52周年ビキニデー アピール

 1954年3月1日、アメリカは太平洋中西部のマーシャル諸島・ビキニ環礁で、広島原爆の約1000倍に当たる15メガトンの水爆実験(ブラボー実験)を行い、大量の死の灰をまき散らしました。第五福竜丸をはじめ多くの漁船が被災し、第五福竜丸無線長・久保山愛吉さんが放射能症で亡くなりました。さらに死の灰が降り注がれたマーシャルの島々でも多くのヒバクシャを生み出し、52年経った現在も、多くの人々が放射能の被害で苦しみつづけています。ビキニの悲劇は現在も終わることなく続いているのです。

 私たちはビキニ事件を契機に、改めて広島・長崎の被害をみつめ直し、新たなヒバクシャをつくりださず、原水爆の禁止を訴えて運動を進めてきました。しかしいま世界には約3万発もの核兵器が存在し、核兵器の使用と核拡散の危険も増大しています。とくに超核大国・アメリカのブッシュ政権は、新型核兵器の研究・開発に取り組み、ミサイル防衛(MD)を推進するなど新たな核軍拡の流れをつくりだしつつあります。さらにブッシュ政権は、国際法を無視してイラクへ侵攻・占拠した結果、イラクを収束の見通しのない暴力と破壊の混乱のなかに投げ込んでしまいました。

 日本の小泉政権は、積極的にアメリカの戦争政策を支え、イラク派兵を強行するとともに、ミサイル防衛に参加することによって、アメリカの核戦略体制に一層強く組み込まれました。靖国参拝を強行するなかで排外主義を助長し、日米軍事同盟体制の強化をめざす米軍再編成の推進や有事体制強化、憲法9条改憲、六ヶ所再処理工場の稼働などの反動的な政策をすすめようとしています。その口実の一つに朝鮮民主主義人民共和国の核問題を利用しています。日本はいまや東アジアで緊張をつくりだす存在になりつつあるのです。

このような平和に対する脅威が進行する中で、あらためてビキニ水爆被災の意味と今後の反核・平和の運動のあり方が問われています。

 私たちは、あらためて核を頂点とする武力で平和は作れないことを確認しなければなりません。武力ではなく対話と連帯の中で平和と安全が生みだされることを確認しましょう。その上で、これまで原水爆禁止運動が取り組み、成果を上げてきた核兵器廃絶、ヒバクシャ援護、脱原発などの課題を新たな決意で前進させなければなりません。

 今年はチェルノブイリ原発事故から20年目にあたります。私たちはこれまで営々と原水禁運動を続けてきましたが、「核と人類は共存できない」ことを、反戦・反核・平和の課題とともに、内外に発信していくことがますます重要になっています。これは広島・長崎、ビキニ、JCO臨界事故でのヒバク体験を持つヒバク国市民の責務です。

 ビキニのヒバクシャをはじめ世界中のあらゆるヒバクシャや平和を求める人々と連帯し、あらゆる国の、あらゆる核実験・核兵器に反対し、そしてヒバクシャを生み出す全ての核開発を止めていきましょう。

2006年3月1日
被災52周年3・1ビキニ・デー全国集会


マーシャル諸島共和国
3.1.核の記憶メモリアル・デーに際し

 マーシャル諸島共和国議会では、1940〜1950年代にビキニ環礁ならびに少ないながらもエニウェトク環礁で行なわれた米国による水爆「ブラボー」爆発とその他66の核実験による被害者および生存者への敬意を込めて、3月1日を「核の記憶メモリアル・デー」とする公法1995-134が採決・通過しました。3月1日は、人々が核実験による被害者と生存者を記憶し祈祷を捧げ、またいかなる地域においても人類の破滅となる核兵器の使用を否定し非難する、マーシャル諸島共和国中の厳粛な国の祭日です。

 1954年3月1日に米国は(TNT爆薬にして)15メガトンにあたる威力の初の水爆実験を行い、マーシャル諸島のこの小さな環礁や他の地域の多くの人々の生活を永久に変容させました。またこの事故は国際的な非難を受けました。

 第5福竜丸の事故は、核に付随する無制限かつ極度に破壊的な力による、もうひとつの厳しい記憶としてよく知られています。日本の漁船である第5福竜丸は水爆が爆発した時、実験地域の付近で漁業をしていました。約1時間半後、放射性降下物が第5福竜丸と23人の乗組員に何の警告もなしに降り落ちました。母港に戻った時組員は重病であり、彼らの話は日本の主要新聞紙と国際タブロイド紙のトップ記事となりました。

 1946年に米国は「オペレーション・クロスロード」を開始し、ビキニ環礁と、のちにエニウェトク環礁で連続的な核実験を開始しました。「オペレーション・クロスロード」のすぐ後には、原爆および水爆の両方を含めた連続的な核実験を行なう「オペレーション・キャッスル」が行なわれました。現在公式記録では67回の核実験爆発が1940〜1950年代にほとんどマーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁において行なわれたとされています。

 当時、米国による最初のもっとも強力な水爆爆発のコードネームであった「ブラボー」の実験は、1954年3月1日にビキニ環礁で行なわれました。風向きのために他の環礁も「ブラボー」実験により被害を受けました。風向きの方向にあった他の近くの環礁も何の警告もないまま、放射性降下物によって汚染されました。その結果、ロンゲラップ環礁とウトリック環礁も被害を受け、当時放射性降下物によって汚染された「4大環礁」としてビキニ環礁とエネウィック環礁とともにその名が挙げられるようになりました。最近独立研究者が行なった科学調査では「ブラボー」を含む67回の実験による汚染の程度は、これまで考えられていたよりもさらに甚大であり、マーシャル諸島の他の環礁や小島にも影響を及ぼしていることが指摘されています。

 核実験プログラムは不必要な遺産です。ビキニ環礁とロンゲラップ環礁は、一度は人々の生活や活動に満ちていましたが、今や人が住める状態ではないほど放射能で汚染されています。この島の住民はマーシャル諸島や他の別の場所に移住しました。エニウェトク環礁とウトリック環礁ではいまだ頑張って住んでいる人々がいます。こうした環礁の中で、ビキニ自体は「ブラボー」実験や他の多くの実験を生き抜いてきた部類にあります。ビキニの人々は実験や長年のあてどない放浪によって困難や苦難を生き抜いてきました。ビキニの人々は2006年3月7日に出郷土60周年を記念します。

 生存者によって核被害者の不幸な話は何度も何度も語り継がれ、悲しいエピソードは生き続けています。核実験の時代という亡霊が二度と起きあがってはならないことを確実にし、人々が核の使用をよりよい建設的なものへと適用させ、さらにいかなる人々および国家も核兵器の苦悩を体験し生き延びることがないようにするため、マーシャル諸島共和国は核兵器の継続使用と拡散に反対する地域および国際条約、協定、議定書を批准する国々に参加します。

2月27日
マーシャル諸島大使館からのメッセージ


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