原水禁ホームへ  
Gensuikinヒバク

2008年12月26日

韓国の被爆者交流と光州民主化闘争を学ぶ訪韓団

韓国原爆被害者協会本部で支援カンパの贈呈

flickrサイト韓国原爆被害者協会本部で支援カンパの贈呈

12月15日から19日にかけて、原水禁は、川野浩一原水禁副議長ら10名で、在韓被爆者との交流と80・5・18光州民主化闘争の歴史を当事者から学ぶことを中心に訪韓しました。被爆者援護法の改正に伴い、12月15日から施行された在外公館での被爆者健康手帳の申請の第1号として在外被爆者の鄭南壽(チョンナムスン)さんの代理申請も支援しました。その概略を報告します。

1.訪韓団の目的

  1. 韓国の被爆者の実態を知り、今後、日韓での被爆者運動の連携強化をはかる。
  2. 韓国の歴史を知り、日本との関係を考える。
  3. 韓国のNGO・市民団体との連携強化をはかる。

2.訪韓団の行動

12月15日(月)

釜山・金文成さんからの聴き取り

flickrサイト釜山・金文成さんからの聴き取り

釜山国際市場の金文成さんを訪ね、原爆被害の実態を聞きました。彼は、広島の川内町生まれで、小学1年(7才)の時、兄の自転車の後ろに乗っているところで被爆。身体の半分が時に火傷などで被害を受け、特に足が成長しなくなった。釜山に帰国後、皮膚ガンにかかり長崎医大で大腿部の肉を移植した。その後さらに甲状腺ガンにもかかり、2005年に原爆症に認定されました。

その後、韓国原爆被害者協会釜山支部を訪問し、釜山周辺の被爆者、被爆二世と交流と意見交換をおこないました。釜山支部では、現在約630人以上の会員を抱え、平均75才と高齢化しているとのこと。それに伴い生活の中で医療費の占める割合が年々増え、現在の援護法における医療費負担の上限を外して欲しいとのことでした。

12月16日(火)

陜川のチョン・ナムスンさんへの手帳申請を報告

flickrサイト陜川のチョン・ナムスンさんへの手帳申請を報告

現在、陜川(ハプチョン)高麗病院に入院し、寝たきりの鄭南壽さんの被爆者健康手帳の代理申請を支援するために、釜山の日本領事館へ。この手帳申請は、12月17日に予定されていた改正援護法の施行が前倒しになり、前日(15日)に施行され、その制度の申請の第1号となりました。また、鄭南壽さんのほかにも1人、日本領事館への申請が行われていることも判明しました。

申請後、入院中の鄭南壽さんに、手帳申請について報告とお見舞い。手帳申請に立ち会った平野伸人さん(被爆者支援ネット)から、「今日、領事館へ手帳申請をして、手帳が受け取れるから」と彼女に直接報告されました。

また、同じ病院で、鄭南壽さんの隣のベッドで下光珠(ビョン・カンジョ)さん(76才)が入院していました。彼女も広島で被爆し、現在膝下が悪く動けず、手帳取得に現在妹2人が広島に行き、代理申請を行っているところであるという。ここにも来日できない被爆者がいることがわかりました。

陜川原爆被爆者福祉会館を訪問。現在大韓赤十字社が運営の主体なって、被爆者が約80人在所。いまも入所希望者が多く、現在建物を増築中。来春完成とのこと。会館では、朴貞姫館長の案内で被爆者との交流を図りました。

12月17日(水)

旧道庁舎前の民主化闘争参加者

flickrサイト旧道庁舎前の民主化闘争参加者

この日は、1980年5月18日に起こった光州民主化闘争を闘った人々を訪問。現在、民主化闘争で最後に戒厳軍と闘った旧道庁舎(日本の県庁にあたる)が、再開発で取り壊されようとしていることに対して、当時を闘った市民が保存要求を掲げて座り込みを続けています。そのゆかりの地で、当時の様子を語っていただき、道庁舎の中を見学させていただきました。当時この道庁舎には157名が立てこもり、内高校生が10名、大学生が13名だったとのこと。主体は市民が圧倒的多かったとのことです。女性は、高校生2名、女学生(大学生?)4名がいた層です。この民衆闘争で公式には165名が亡くなったことになっていますが、現在でも行方不明のかたもおり、実態はもっと多いようです。旧道庁舎の保存を進める理由は、この建物は、「血と魂が入っている建物」、「後世に闘いの歴史と意味を残す」とのことで、一度、広島や長崎の平和公園や原爆資料館などの歴史を残す地を訪れ、歴史の保存の参考にしたいと語っていました。(09年2月28日~3月6日にかけて代表団4名、来日予定)

その後、その闘争でなくなった方々を慰霊する国立墓地で献花と黙祷を捧げました。墓地に眠る市民の当時の話を聴きました。敷地内にある記念館へ回り韓国における民主化運動の流れを学びました。さらにその後、当時の軍事裁判所や収容所が残されて、国として管理・公開している場所に行き、当時の様子を伺いました。案内していただいた方々からは、戒厳軍の拷問について話され、尋問された人は、帰りは担がれて帰ってきたと、当時の厳しい取り調べの様子が話されました。

12月18日(木)

午前中に、韓国・民主労総の統一局長のキム・ヨンジョンさんと懇談。現在の韓国内の労働組合の現状と課題が話されました。イ・ミョンバク政権による、民主労総への弾圧(現在委員長が逮捕・拘留)など、反民主的な動きを強めていることに対して闘いを進めていることが報告されました。また対北朝鮮問題については、特に核問題のについての意見を交換しました。民主労総の基本的立場は、「核に反対」、「核なき世界に向けた取り組みを強化する」ことだそうです。

午後は、韓国原爆被害者協会本部を訪問。会長の金龍吉(キム・ヨンギル)をはじめ、郭貴勲元会長など20名ほどの方々の歓迎を受けました。会長からは「核兵器廃絶まで頑張ります。原水禁と兄弟にとなって頑張っていきます」との熱いメッセージを受けました。また、韓国の被爆二世のイ・スンドクさんからは、「韓国の被爆二世は、何の利益もない。名乗りを上げる人がいなく。組織化で苦労している」と、二世の置かれている現状が話されました。

夕方、環境運動連合(KFENM)に行き、原発問題を担当しているイ・ミギョンさんから韓国の原発の現状の説明を受けました。現在韓国では、20基の原発が稼働しているが、それを2020年にはさらに13基も増やそうとしている。韓国の推進側は、日本の動きに注目し、再処理にも手を出したいとの意向も見え隠れしているという。だから韓日の連携の重要性を強調されました。

その後、ハンギョレ新聞社へ移動。ハンギョレ新聞のキム・ボングンさんから、現在の韓国社会を取り巻く状況の講演を受けました。その中で、イ・ミョンバク政権の登場は、新しいイメージを持った保守政権の登場で、国民は期待をしたが、南北関係、経済危機、BSE問題を通じて、選択は正しかったのか、国民が悩んでいるのが現状ではないかと提起されました。現政権は、南北関係でも、これまでの和解・協力の太陽政策から南が北を吸収する「吸収型」の政策に移行しつつあるのではないか。共に豊に生きていこうとういう姿勢がないと指摘されました。BSE問題をきっかけに盛り上がったキャンドルデモでは、韓国の市民運動は、新しい地平を切り開いたと云われ、インターネットの活用や全く新しい市民層(例えば料理グループや整形した女性グループなど)の登場など。これまでの「悲壮感、厳粛」といったパターンから「楽しい祭りの文化」になったとのこと。その結果全国で約100万人もの参加が実現しました。しかし9月から10月にかけて運動の疲労感もありだんだん力が弱くなっていったが、一時期、大統領の支持率も7%にまでに落ち込ませたとのこと。また、経済政策も、過去に戻ろうとしており、金持ちに対する減税政策や労働市場の規制強化をはかり非正規職の増加を生みだしていると、現政権を批判しました。

12月19日(金)

午前、DMZ(非武装地帯)を見学。統一展望台から、朝鮮民主主義人民共和国を眺める。

午後、ソウルの日本大使館を訪問し、改正された被爆者援護法の運用の実態を聴取。その中で、在外公館での被爆者手帳取得のための問い合わせがすでに数本入っていることが報告されました。日本に来日できない被爆者がまだまだいることが伺われる報告でした。あらためて、高齢化する被爆者の援護が早急に求められていることがわかりました。