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2009年02月19日

台湾で初の被爆者健康手帳在外申請

王文其さん

flickrサイト王文其さん

2月10日、在外被爆者支援連絡会の平野伸人さんとともに、台湾で初めて日本に被爆者健康手帳の在外申請をされた嘉義市在住の王文其(おうぶんき)さん(90歳)を訪ねました。王さんは、当時、長崎大学医学部に留学し、爆心地から0.7キロの大学病院の産婦人科新患室で被爆されました。

その際右脇腹と手首、右唇に傷を受け、4ヶ月も生死の境をさまよったといいます。受けた傷の治りも遅く、全身、原爆症で苦しめられました。手首の傷が元で、台湾に帰国後、本来の専門の産婦人科の仕事ができず、内科と小児科で開業することになりました。王さんは、18歳から28歳の間、日本に留学し帰国しましたが、帰国後、これまで日本政府から一切の被爆者援護を受けたことがなく、04年12月に日本政府から「被爆確認証」を受け、昨年12月に改正された被爆者援護法の中で、来日しなくても在外公館から被爆者健康手帳の申請が可能になったことを受け、今回の申請となりました。台湾には、現在判っているだけでも、十数人の被爆者の存在が確認されています。しかし、現在いきているかどうかも判っておらず、日本政府もその実態把握に務めようとしていないのが現状です。

台湾と日本の間には現在正式な国交がなく、在外公館が設置されていませんが、代わりに台湾の財団法人交流協会が、台湾の被爆者の申請の窓口となることが改正援護法には明記されました。国交がなくても国の意向で、それに代わる機関が法律で指定されるということは、現在放置されている朝鮮民主主義人民共和国の被爆者に対する援護の可能性を示唆するものです。国交がなくても国の被爆者対策の姿勢如何にかかっているといえます。 

さらに、王さんのように高齢で来日できない被爆者が、「原爆症認定」を受けるのには未だ来日用件が残っていることや手当そのものの上限の問題など、国内と国外で被爆者援護に差別が生じていることは、今後、解決が求められる問題です。「被爆者はどこにいても被爆者」です。国内外で差別なき被爆者援護の実現がいま求められています。