今年2 月、1960 年代にフランスが核実験を行なったアルジェリアで、初めての核実験被害者の国際会議が開かれました。会議に参加された振津さん、真下さんのお二人をお招きし、現地で撮影したビデオを観ながら、会議の模様やアルジェリアの現状などを報告して頂きます。
詳しい内容はこのチラシ(pdf, 21KB)を参照ください。

爆症認定集団訴訟は、2006年に大阪地裁、広島地裁では完全勝利判決を勝ち取り、今年1月30日の名古屋地裁でも国の認定制度がまたもや裁かれました。国側は不当にもそれぞれ控訴し、高齢化し病苦を抱える被爆者を苦しめています。今月20日に仙台地裁、22日には東京地裁での判決を控えて、一連の原爆症認定集団訴訟を支え、運動を広げるコンサートが上野水上音楽堂で開かれました。
当日、天候には恵まれましたが、北風が肌寒く感じられるなかで、この企画に賛同してくれた李政美、寿、横井久美子、岡史明、チャンプラーズ、片岡七恵、歌う9条の会の6組のミュージシャンが参加し、熱唱しました。途中、集団訴訟原告や東京大空襲訴訟原告、ワールド・ピース・ナウなどから証言や訴えがありました。参加者は少なかったけれども、コンサートは、最後に「We Shall over come」と「ねがい」を全員で合唱し、集団訴訟勝利にむけて、心をひとつにしました。
2007年3月22日
日本労働組総連合会
原水爆禁止日本国民会議
核兵器禁止平和建設国民会議原爆症認定訴訟、東京・仙台地裁判決についての3団体アピール
本22日、東京地方裁判所は、原爆症認定訴訟において、原告30人のうち、大半の21人の請求を認め、原爆症不認定処分を取り消す判決を言い渡しました。これは、20日の仙台地方裁判所における原告全員(2人)勝訴に続くものです。
仙台・東京地裁の両判決は、昨年5月の大阪地裁、8月の広島地裁、本年1月の名古屋地裁に次ぐもので、いずれも認定基準を機械的に適用する現行認定制度の過ちを認めたものです。
私たち連合・原水禁・核禁会議の3団体は、国・厚生労働省が原爆症認定を認めた両地裁判決を厳粛に受け止め、被爆者との協議を行い、現行の認定制度を抜本的に改め、本訴訟原告をはじめ原爆症認定申請者に対して、原爆症認定を早急に行うことを求めます。
あわせて、国・厚生労働省は大阪・広島・名古屋各地裁判決に対する控訴を取り下げるとともに、仙台・東京両地裁判決に対しても控訴しないことをここにあらためて要請します。
私たち3団体は、原告、関係者のご努力に敬意を表し、被爆者援護施策の強化とともに世界の核兵器廃絶と恒久平和の実現をめざし、力を合わせて取り組むことをあらためて決意し、アピールとします。
以上

3月17日、六ヶ所再処理工場を動かさないアピール連盟者有志主催による「STOP!六ヶ所再処理工場-子どもたちの未来のために」の集会が、東京・渋谷の千駄ヶ谷区民会館で開かれました。
このアピールは、昨年12月に「私たちは、六ヶ所再処理工場の運転をただちに止めることこそ、将来の平和を保証し、子どもたちを守ることなのです。」と、ルポライターの鎌田慧さんや音楽家の坂本龍一さん、経済学者の宇沢弘文さんら124名が連名したアピールで、今回、その中の鎌田慧さんらの賛同者の有志が呼びかけて行った集会でした。(今回までで、143名に拡大)
集会では、主催者を代表して原子力資料情報室共同代表の西尾漠さんからあいさつの後、鎌田慧さんから六ヶ所村の歴史と核燃料サイクル施設の誘致から再処理工場の建設までの経過などが話されました。その後に、米国から日本に帰ってきていた音楽家の坂本龍一さんも賛同人の一人として急遽かけつけ、ストップ六ヶ所再処理工場に対するメッセージを語りました。彼は、特に「知る、知らない」が生死を分けるような状況が現代には沢山あり、その中の一つに六ヶ所再処理工場の問題もあるとし、「まず知ることが必要」として、現在、Webサイトなでで広げているが、それだけではなかなか拡がらないところもあるが、「できることから少しずつやっています」、と話しました。
また、TVでもおなじみのブロード・キャスターのピーター・バラカンさんは、「ここに立つことによって(再処理に)反対する姿勢をみせている」と力強く述べていました。その他にも、作家の広瀬隆さん、記録映画作家の土本典昭さんなど賛同者7人が発言しました。原水禁副議長の市川定夫さんは、集会の閉会の挨拶をおこないました。
電力業界の相次ぐデータ改ざん・事故隠しなど不祥事が多発するなか、六ヶ所再処理工場も無縁ではありません。このような安全軽視の実にいい加減な業界に私たちの未来を託せないことがあらためて明らかになった集会でした。
北陸電力の志賀原発で、1999年6月18日、「想定外に制御棒3本が引き抜け」原子炉自動停止信号が出たが制御棒が入らず緊急停止できなかった。事故のあった志賀原発1号機は定期検査中で、原子炉格納容器、圧力容器とも上蓋を外していた。(下の図参照)
(写真─いずれも北陸電力のサイトより)

制御棒を入れられず、ブレーキのない原子炉を止めようとしていた15分の間、中央制御室にいた人物の心中は?思わず、チャイナ・シンドロームでのジャック・レモンの演技を思い出しました。
制御棒脱落は、スリーマイルなどの冷却材喪失と同じく、原子炉暴走、メルトダウンが想定される大事故。東京電力など各社でデータ改ざん、隠ぺいが相次ぎ、過去の不正などを調査する段階で見つかったものの、これまで原因調査も行わず、隠蔽してきたなど言語道断だ。
抗議声明
北陸電力の志賀原発で、1999年6月18日臨界事故が起こり、8年間もその事実を隠していたことが昨日明らかになった。「想定外に制御棒3本が引き抜け」原子炉自動停止信号が出たが制御棒が入らず緊急停止できなかったという。事故のあった志賀原発1号機は定期検査中で、原子炉格納容器、圧力容器とも上蓋を外していた。
制御棒脱落は、スリーマイルなどの冷却材喪失と同じく、原子炉暴走、メルトダウンが想定される大事故である。制御棒の緊急挿入装置が働かず、自動停止にも失敗。安全のための多重防護が外された、いわば落下防止ネットなしの綱渡り状態で原子炉が動いていた15分の間、放射能放出事故に至らなかったのは、幸運だったとしか言いようがない。8年間もの事故隠しは、たまたま1人の社員 の告白があったため判明した。その間に、北陸電力はこの事故を隠し、2ヶ月 後には2号機増設の了承を地元から得た。
東京電力では、2002年に一連のデータ改ざんが発覚し、全ての原子炉を停 止して総点検を行ったはずだが、昨年末、法定検査のデータに不正な改ざんが行 われたことが発覚し、現在でも次々とデータのごまかしや不正な操作が発見され続け、法定検査に関係するデータ改ざんは、延べ200回にものぼる。数々 のデータ不正操作や国、自治体からそれらの事実を隠蔽してきた体質に対して、柏崎刈羽原発を抱える新潟県の泉田知事は、「大変悪質なものであり、東 京電力の過去の企業体質に呆れ返るばかりです」と述べ、「このような状況で 原子力発電所が運転されていたことには、空恐ろしさも感じます。」と地元の 不安を語ると同時に、国の検査体制や原発における安全管理などの欠陥も指摘している。
東北電力では、女川原発で98年に原子炉が異常停止したことの隠蔽が判明、点検のために出力を下げている最中、異常に高い中性子量が検出され、原子炉が緊急停止したという。従業員が、「通常の停止と変わらない」と独自で判断。法令に基づく国への報告義務を怠り、10年近くも闇に葬られていた。
電力各社の情報隠し体質と嘘をつきながらの原子力推進のあり方が明白になった。これら電力各社の責任はもちろん、監督すべき経済産業省、原子力安全・保安院の責任も重大である。信頼性の全くなくなった検査体制や安全管理に抜本的な改革を行い、新たな体制ができるまで、原子力発電の推進は許されない。
このような状態で、より危険なプルトニウム利用、プルサーマルを始めようと するなど言語道断だ。「原子力ルネッサンス」「原子力立国」と言った机上の空論ではなく、地に足の着いた現実的安全政策が徹底されなければならない。
原水禁は、電力各社の事故隠し体質の徹底的な調査と同時に、国の原子力政策の抜本的な見直しを求めていく。
2007年3月16日
原水爆禁止日本国民会議
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3月1日、ビキニ・デー全国集会が今年も静岡で開かれました。1954年に多くの犠牲者を出した水爆実験から53年が経った訳です。静岡県勤労者総合会館の大ホールには全国から300人ほどが集まり、集会アピールを採択しました。
6時からの集会では、15分の記録映画「ヒロシマ・ナガサキ1945年8月」につづき、主催者を代表して岩松 繁俊・原水禁国民会議議長があいさつ。広島平和研究所所長の浅井基文さんから講演と提起「北朝鮮の核開発と日本の平和」、
アルジェリアでのフランスの核被害者国際会議に参加されたばかりの真下俊樹さんからは、核実験場現地を訪問した時のビデオを含めてその報告がありました。
「浜岡原発の現状報告」「六ヶ所再処理工場の稼働阻止にむけて」などの報告の後、集会アピールの採択を最後に、2時間の中に多くの内容を含んだ集会を終了しました。
関連して開かれた、平和フォーラムの活動者会議の内容は、こちらを参照ください。
被災53周年ビキニ・デー アピール
1954年3月1日、アメリカは太平洋中西部のマーシャル諸島・ビキニ環礁で、広島型原爆の約1000倍に当たる15メガトンの水爆実験(ブラボー実験)を行い、大量の死の灰をまき散らし、第五福竜丸をはじめ多くの漁船が被災し、第五福竜丸の久保山愛吉さんが放射能症で亡くなりました。さらにマーシャルの島々でも多くのヒバクシャを生み出しました。53年経ったビキニも、原爆投下から62年たったヒロシマ・ナガサキでも、いまなお多くの人々が放射能の被害で苦しみつづけ、悲劇は現在も終わることなく続いていることを忘れてはなりません。
いまも世界には約3万発もの核兵器が存在し、核兵器の使用と核拡散の危険も増大しています。とくに核大国・アメリカのブッシュ政権は、先制攻撃戦略という好戦的な戦略の上に大量破壊兵器の拡散阻止という虚構の上にイラクへ侵攻・占拠した結果、出口の見えない暴力と破壊をもたらしています。さらに新型核兵器の研究・開発やNPT(核不拡散条約)を骨抜きにする米印原子力協定の推進するなど新たな核軍拡・核拡散の流れをつくりだしつつあります。
東北アジアでも昨年10月の朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と略)による核実験は、大きな脅威を与え、緊張を高めました。さらにイランの核開発は、核拡散の脅威を与えています。
日本の安倍政権は、積極的にアメリカの戦争政策を支え続け、アメリカの核・軍事の戦略体制にいっそう強く組み込まれ続けています。さらに北朝鮮の核実験により排外主義が助長され、閣僚の多くは核保有発言を繰り返し、教育基本法の改悪や防衛庁の「省」への昇格を行い、その上さらに米軍再編成の推進や有事体制強化、憲法9条改憲、プルトニウム利用政策の推進などの反動的な政策をすすめようとしています。日本はいまや東アジアで緊張をつくりだす存在になりつつあるのです。
このような平和に対する脅威が進行する中で、あらためてビキニ水爆被災の意味と今後の反核・平和を求める私たちの運動のあり方が問われています。
私たちは、あらためて核を頂点とする武力で平和は作れないことを確認しなければなりません。対話と連帯のなかで平和と安全が生みだされることを確認しましょう。その上で、これまで原水爆禁止運動がとりくみ、成果を上げてきた核兵器廃絶、ヒバクシャ援護、脱原発などの課題を新たな決意で前進させなければなりません。
ヒロシマ・ナガサキから連綿と続いた核被害から「核と人類は共存できない」ことを学びました。そのことをいま、反戦・反核・平和の課題とともに内外に発信していくことがますます重要になっています。これは広島・長崎、ビキニ、JCO臨界事故でのヒバク体験を持つヒバク国の市民の責務です。
ビキニのヒバクシャをはじめ世界中のあらゆるヒバクシャや平和を求める人々と連帯し、あらゆる国の、あらゆる核実験・核兵器に反対し、そしてヒバクシャを生み出すすべての核開発を止めていきましよう。
2007年3月1日
被災53周年3・1ビキニ・デー全国集会