2007年11月28日

米印原子力協力に各地12月議会から意見書を

核拡散防止条約(NPT)体制を根本からゆるがす米印原子力協力協定の実施へさらにステップが進みました。インドと国際原子力機関(IAEA)は、11月21日、米印原子力協力協定の実施に必要な保障措置(査察)協定について交渉を開始することで合意しました。この交渉で一気に米印協定実施への道が開ける可能性があります。各地の12月議会では、このような動きを阻止するための意見書を提出する最後のチャンスになるかもしれません。

詳しくは…

Posted by kano at 11:06

2007年11月15日

イランで核兵器反対を訴える

Letter from Nagasaki

テヘラン市長に長崎市長からの
親書を手渡す

原水禁の川野浩一副議長は、5日からイランを訪問、エブテカール前副大統領が代表のNGOが主催するセミナーで講演、反戦・反核を訴えました。テヘラン市内の高校で話しをしたり、テヘラン市長に長崎市長からの親書を手渡すなどの交流を通じて、核開発計画で揺れるイランで核兵器反対をアピールしました。(報告)

「戦争及び武力紛争の環境にもたらす結果セミナー」は国連総会決議(56/4)で定められた11月6日の「戦争と武力紛争における環境破壊防止のための国際デー」を期して開催されたもので、昨年に続き2回目。環境庁長官でもあるエブテカールさんは、UNEPの地球大賞を受賞しています(2006)。

川野さんは5歳の時に爆心地から約3.1キロの地点で被爆した体験や、放射線ヒバクによる後遺症の実態を説明。セミナー会場での写真展、エブテカールさんや近く開館予定の平和ミュージアムへの資料寄贈の際や、テレビ局のインタビューでもヒバクシャへの関心が高く、写真に注目が集まりました。



イラン訪問の報告
原水禁国民会議 副議長 川野 浩一

2007年11月14日(水)記者会見

11月5日(ドバイ経由でテヘランに少し遅れて午前9時50分着)

「戦争及び武力紛争の環境にもたらす結果第2回セミナー」

主催…平和と環境のためのセンター(代表・エブテカール前副大統領兼環境庁長官)に出席、スピーチ及びレセプション、会場でミニ写真展。他国の出席者(イラン、シリア、スーダン、ベトナム、クロアチア、イラク、オーストラリア、オーストリア、パレスチナ、クエート他)。

  1. 内容…各国から現況及び考え方が提起され、意見交換がなされた。日本からは、川野が被爆体験及び長崎原爆の概要と被害の状況について説明した。ただ、当初の時間(発言)設定が30分の予定(通訳込み)であったが、変更になっていたのか? 20分で司会から時間オーバーを告げられ、イランの核兵器製造反対について十分に訴えることができなかったことは残念であった。
  2. 写真展…テヘラン到着後直ちに、写真展の準備をするため、日本大使館に連絡を取ったが、NGOとの連絡がとれず、また、その後の会場での準備体制も不十分で、当初の計画通りには運ばなかった。しかし、マスコミ対策としては十分な効果はあった。
  3. マスコミ…会場での取材の他、現地のアフターブ報道通信のインタビューは事前に別途小会議室が準備されており、1時間程度に及んだ。

11月6日

日本大使館への表敬訪問、城田安紀夫特命全権大使及び八幡登美雄公使参事官と1時間ほど意見交換。

11月7日

  1. ソブハーン高等学校(私立、生徒数約150人程度)を訪問。プストチー教頭先生(元兵士、イラン・イラク戦争での化学兵器の犠牲者)と意見交換の後、校長先生、15人ほどの生徒を交え懇談。
    最初に川野より被爆体験、長崎原爆の概要及び被害状況を説明。校長先生や生徒からの質問あり。「アフガニスタン、イラクへの攻撃が終了するとアメリカは必ずイランを攻撃してくることは間違いない。そのためには対抗上核兵器の開発は必要だと思うが?」等。
  2. 特別疾病センター(イランの大富豪篤志家の娘さんが運営、他に建設中及び予定の病院が3ヵ所あり、エブテカールさんの支持者)で講演。対象は病院の職員であったが、マスコミの取材多数あり。(入れ替わりもあったが常時30~40人の医療従事者)。後、質問あり。
  3. テヘラン市長表敬訪問(ムハンマド・バクル・カリバフ、有力な次期大統領候補)
     田上市長の親書を手渡し、意見交換。「原子力発電所はつくるが核兵器の製造はしない」との田上市長の発言に対し、私は「市長を信頼しています」と答えた。
  4. 昼食会…市長の出席はなかったが、代理として環境対策の責任者の方が主催され、昼食会が行われた。我々が多人数と思われていたみたいで、このような広い場所で申し訳ないと言われたが、大人数の料理を用意されていたようである。
  5. 平和の記念碑…市庁舎の裏にあるテヘラン市でもっとも古い公園を案内していただいた。当地区の区長さんに次ぐ方が同道された。公園の中央のところに記念碑があったが、日本語のメッセージもあった。そこで若い親子連れにあった。母親はイラン・イラク戦争時の化学兵器の犠牲者で、目に障害があると区の人が話された。わが国で言えば被爆者だ。
  6. 市立平和ミュージアム…公園の裏手に建設中で2~3ヵ月後に完成予定とのこと。館長も両大腿部を切断された車いすの戦争犠牲者である。ここで原爆資料の展示をお願いしたら気持ちよく賛同いただいた。早速、NGOに連絡し、持ち込みの資料の半分を館に提供することの了解をもらった。思わぬところに原爆展示場ができた。退館しようとしたときテーブルの上の写真が目にとまった。母親とおぼしき女性と幼き姉妹3人の写真である。この写真の妹が先ほど記念碑のところであった女性で、母親と姉はまもなく亡くなったという。化学兵器の犠牲者の写真であった。被爆者の悲劇と重なり合う。

11月8日

イラン国営テレビジョンの取材…在イラン日本大使館の金田氏の仲介で私たちのホテルで行われた。国営テレビの話によると国営テレビの役割は2つある。1つは国民に情報を配信すること、もう1つは大統領及び側近に直接政策提言を含め情報を配信することだそうです。「川野さんはIAEAの査察と濃縮ウランの製造について話をされているが(そんな話はした記憶はないが)改めて詳しく伺いたい」から始まり、最後は「大統領、及び側近に提言を」となり、1時間に及ぶ取材を受ける。

IAEA査察…「イランが核兵器はつくらない、平和利用に徹するというなら査察を拒むべきではない。洗いざらい情報を提供し、世界各国の信頼を得るべきである。」

濃縮ウラン…「この問題に関しては必ずしも各国の理解を得られているとは思わない。今どうして濃縮ウランが必要なのか? 将来の問題だとするなら、今急ぐ必要はない。」

国連決議…「確かに国連がアメリカ寄りであることは否定しないが、アメリカと闘うとするなら、日本を含め国際世論を勝ち取らなければ闘えない。制裁を課せられないよう誠意を持って対応すべきだ。」

21時20分テヘラン発ドバイ経由で関西空港へ

振り返って

ビザの発給が遅れ最後までドタバタしましたが、出発したものの、テヘランに着くまでホテルが決まっておらず、また、写真展の準備も同様、セミナーで話し始めると、途中で時間を切られる。初日はどうなることかと思いましたが、大使館の金田さんの「ここはイランです…」で焦らないことにしました。写真(ポスター)は特にマスコミには効果的でした。各国みんな写真の前でインタビューしていました。マスコミの皆さんは日本の被爆者に関心が強く、到るところにテレビカメラが来ていました。テヘラン市長は次期大統領候補と目される人です。彼と談笑できたことに大使館の金田さんは驚いていました。市長の対応は後の昼食会の準備を見ても、いかに我々の訪問を重視していたかがわかります。国営テレビの取材が極めつけでした。大統領に政策の進言とは驚きました。ウラン濃縮とか国連決議などそんなことには、どこでも触れていないつもりでしたが…。情報が一人歩きしたようです。NGO代表のエブテカールさんは前副大統領です。日本からわざわざ来たこともあり、ずいぶん気を遣われ、ご配慮いただきました。

在イラン日本大使館、特に金田さんには本当にお世話になりました。今回のイラン訪問が成功に終わったのは大使館をはじめ、エブテカールさんなど大勢の方々によるご協力の賜物と感謝致します。

Posted by kano at 16:22