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2002.11

フォスターズ・デイリー・デモクラット紙 (ニューハンプシャー州で二番目に発行部数の多い新聞)  2002年11月2日
翻訳: 吉田美香 (吉田さんは、池田さんたちの講演ツアー全強行スケジュールを、同行通訳として奮闘されました)

歴史は繰り返す

空間を越え、時間を越えて、平和運動家達がそれぞれのメッセージを伝える
(ニューハンプシャー州立大学にて)

 記者 ブラッド・モーリン
ダーハム市

 池田精子氏、クリスティーナ・オルセン氏がそれぞれ経験した悲劇の間には56年の歳月が流れているが、両氏は昨日、ニューハンプシャー州立大学にて学生に共通の平和のメッセージを送った。

池田氏は1945年に広島に落とされた原爆の悲劇を生き抜いた被爆者であり、核廃絶唱道者である。オルセン氏は、昨年9.11の同時多発テロにて姉を失い、現在は反戦グループ「“平和のための明日” 9.11犠牲者家族の会」の会員である。

ニューハンプシャー州立大学 ”平和と正義のためのリーグ” とユナイテッド・アジア連合がスポンサーとなって開催されたこの講演イベントには約40名の生徒が参加した。

「恒久平和への鍵は、人の痛みをわかるようになること」と池田氏は通訳を通して語った。

当時12歳であった池田氏は、1945年8月6日、屋外で被爆。爆弾が投下される直前にB29爆撃機を目撃した。

爆風により吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。意識を回復した時には、辺りには死体がごろごろしており、友人の皮膚は「熔けた蝋」のようになっていたが、その時には自分もおそらく同様な姿であったであろうことには気付かなかったと語る。

その後、全壊した家屋の下敷きになった人々の助けを求める声が聞こえる中、避難を続けるが、それらの人々は大火の中、生きたまま焼き尽くされてしまった。

「ほんの子供だった私には自分の身を守る為に先に進むことしか出来ず、助けを求める人々の声を聞かないようにして逃げ続けた」と語る。

その後病院に辿り着き、両親の元に戻るのだが、それからが新たな苦しみの始まりであった。数ヵ月後、ようやく歩けるようになるが、外に遊びに出ると、近所の子供達に「赤鬼」と呼ばれた。左側の顔にケロイドと呼ばれる火傷の傷が残り、15回も整形手術をした。

池田氏は、「核兵器は絶対に持つべきではない。戦争は絶対にするべきではない。戦争には勝者も敗者もないのだ。」と強く語った。

姉、ローリー・ネイラを昨年の同時多発テロで亡くしたオルセン氏が感じることも池田氏と全く同様である。

姉ネイラはロサンゼルスに住んでいたが、その時、母親の引越しを手伝うためにマサチューセッツ州に来ていた。当日は、アメリカン・エアの飛行便11に乗り合わせ、帰宅途中であったのだが、その飛行機はハイジャックされ世界貿易センターに突っ込んでしまったのだ。

姉の死、また他の何千人という犠牲者の死に苦しみながらも、オルセン氏はその解決方法として戦争をして欲しくはないと言う。

「もし、もっと多くの人々が苦しむ結果になれば、また、もっと多くの人々が家族を失うのであれば、姉の死が無駄になってしまう」と語った。

オルセン氏は「“平和のための明日” 9.11犠牲者家族の会」に入会し、ワシントンでの平和集会デモにも参加した。6月には、アフガニスタンに出向き、米国のアフガン爆撃で家族を亡くした人々と面会した。

オルセン氏は勿論、同時多発テロの犯人達が国際法の元で正しく罰せられることを望んでいるが、数々の講演活動を通し、自作の歌を歌いながら、反戦へのメッセージを伝え続けている。

「現在の世界情勢は問題が大有りのように目に写るけれども、平和はここにあるのだ。平和の心はここにあるのだ。たった今ここに…。」と語った。