原発
2008.4.12

52万筆の署名を無視し、志賀原発の運転再開するもトラブルですぐに停止、さらに設計ミスも放置

保安院との交渉

保安院との交渉

およそ信じ難い臨界事故隠しを続けていた北陸電力・志賀原発に対して、北陸電力には原発運転の資格なし!全国署名運動では52万筆弱の署名を集めました。

要請書を手渡す

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先月25日には52万人分の心配と怒りをもって、夜明け前に金沢を出発したバスで上京した代表団が、国との交渉を行ったばかりですが、翌26日2号機再稼働を強行しました。臨界事故隠しをした時と同様、安全よりも運転スケジュール優先の姿勢がはっきり出ています。

再稼働後の4月1日、水素濃度基準を測定器の計測限界を振り切って超え、警報が作動するも運転続行。翌日原因が分からず手動停止させました。さらに、10日には、志賀原発を含む、10原発17基で日立製作所が28年間も配管の耐震強度計算を間違え続け、地震の影響を過小評価していたことが判明しています。

肝心の耐震評価は

「新たな耐震設計審査指針」は2006年9月19日に改訂されたもので、能登半島地震や中越沖地震後の知見が反影されたものではありません。

北陸電力が3月14日発表した、新指針に基づくバックチェック(安全性評価)の中間報告では、最大マグニチュード7.6の地震による600ガルと従来の490ガルを上回る揺れを想定。それでも設計や建設時の「余裕」を根拠に耐震安全性は確保されていると主張。これまでおおくの断層過小評価や、事故隠し、設計ミス隠しを繰り返してきた北陸電力の想定が妥当かどうか、原子力安全・保安院は、耐震評価と志賀原発の再稼働は別問題として「これから確認する」と繰り返すのみで、安全性を自ら明らかにすることをしませんでした。

2006年3月に運転開始した2号機は、すぐにタービンの損傷が判明して同年7月から停止し、2007年3月25日の能登半島地震発生時には、さいわいに2機とも停止していたわけです。将来の住民の安全を幸運に頼るだけでいいのか、責任逃れをしているだけにしか見えない保安院や、北陸電力の言うがままの志賀町、県当局の姿勢のつけがたまっています。52万の署名を集めた「北陸電力には原発運転の資格なし」の言葉の重みを活かす政治判断が今ほど求められている時はありません。

参考


関連年表

1987・1月 
1号機、原子炉設置許可申請
1988・12月 
1号機着工
1988・8月 
1号機、原子炉設置許可
1993・7月 
1号機運転開始
1997・5月 
2号機、原子炉設置変更許可申請
1999・4月 
2号機、原子炉設置変更許可
1999・6・18
1号機で臨界事故が発生
1999・8・27
2号機着工
2005・8・16
宮城県沖地震(M7.2)女川原発で、指針が示す値を上回る加速度が観測される
2006・3・15
2号機運転開始
2006・3・24
金沢地裁「2号機の耐震設計に問題がある」と全国初の原発運転差し止め判決
2006・7・5
タービン羽根損傷事故の検査で、2号機の運転停止
2006・9・19
原子力安全委員会が耐震基準となる「耐震指針」改訂を決定。
2006・11・16
北陸電力が「2号機の耐震設計は妥当」とする控訴理由書提出
2007・3・15
北陸電力が1号機で1999年に臨界事故を起こしていたと発表
2007・3・25
能登半島地震(M6.9)が発生
2007・3・30
臨界事故調査の報告書を国に提出
2007・4・6
臨界事故再発防止対策を発表
2007・4・19
北陸電力が志賀原発耐震設計の想定値を2倍近く上回る揺れがあったと発表
2007・5・7
国が保安規定の変更命じる行政処分
2007・5・25
再発防止対策検証委員会を設置
2007・7・16
新潟県中越沖地震(M6.8)が発生、柏崎刈羽原発で火災発生、放射性物質の放出
2007・9・3
検証委が再発防止対策を「十分有効」と中間報告
2007・3・3
検証委が再発防止対策進捗率を100%完璧と発表
2008・3・14
北陸電は「耐震性は確保」とし、新しい耐震指針で揺れ1.2倍とする中間報告書を原子力安全・保安院に提出
2008・3・14
2号機の運転再開を県と町に申し入れ。志賀町長、石川県知事も1週間以内に再稼働了承
2008・3・26
2号機の再稼働
2008・4・1
2号機発電を開始、排ガス中の水素濃度が基準を超え、警報が作動するも運転続行。測定器の計測限界を超える濃度
2008・4・2
2号機トラブルの原因を特定できず、手動停止
2008・4・10
日立製作所が10原発17基で28年間も配管の耐震強度計算を間違え続け、地震の影響を過小評価していたことが判明。北陸電は2号機「安全上問題はない」と発表