核兵器イラン
2003.10.17

ロシア原子力省当局者がタス通信に対し、10月13日に、イランのブシェール原発の運転開始は予定の2004年から05年に延期されることを明らかにしたと報じられています。05年説は前からあるのですが、米国に対する配慮ではとの観測が流れています。また使用済み燃料のロシアへの引き渡しを決めた協定は近く調印と同当局者は述べたと言います。ペルシャ湾北岸に建設中のこの原発は、ドイツの会社が1974年に建設を開始、その後、イラン革命、イラン・イラク戦争などの影響で中断されていた工事をロシアが再開したという変わり者です。イランの原子力開発の初期には米国も協力しています。ブシェール原発の歴史を簡単に整理した年表を載せました。
(イランの核(原子力)施設への他国の協力については、「IAEAの保障措置の下に置かれているイランの核施設は?」を参照。)

ブシェール原発建設の経緯

前史

1958年
IAEAに加盟
1967年
米国から研究用小型原子炉(熱出力5MW、燃料濃縮度93%)購入
米国は同時に、少量(グラム単位)のプルトニウムの分離実験のできるホットセルを提供。
*米国は後に、石油・ガス資源の豊富なイランが原子力技術に関心があるのは、核兵器開発のためとしか考えられないと主張するようになる (・石油確認埋蔵量:930億バレル[シェア8.7%](01年) 世界第5位、 ・ガス確認埋蔵量 23兆立法メートル[シェア14.8%](01年) 世界第2位、日本の外務省サイトのページより
・1999年アザデガン油田発見(280億バレルと推定))
1970年2月
NPT批准

建設

1974年
クラフトヴエルク・ユニオン(現ジーメンス発電事業部)、120−130万キロワットの加圧水型原子炉2基の建設をブシェールで開始。
1979年
イラン革命
当時の建設状況 1号機 90%完成。機器の60%設置済み。 2号機 50%完成。
アヤトラ・ホメイニ師は、原子力を「反イスラム的」と呼ぶ。
1980−88年
イラン・イラク戦争
1984年3月24日
イラク戦闘機によるブシェール原発に対する最初の爆撃
 その後の爆撃
1985年 2回
1986年 1回
1987年 2回
1988年 1回
1980年代半ば〜
1号機の建設再開を数社と交渉するが、米国の圧力の下で、締結にいたらず。
1990年3月
ソ連とブシェール原発建設再開について暫定協定
建設中の2基の完成と、VVER440 2基の建設に関するもの。実施にはいたらず。
1995年1月
ロシアと、建設中断中の原子炉のうち、1基を完成させる契約(約8億ドル)締結。
クラフトヴエルク・ユニオン社製の原子炉の代わりにロシア製の原子炉VVER1000(95万−107万キロワット)を使うというもの。建屋は元のものを利用。ただし、タービンの寸法が違うため、建屋の一部を改修する計画。 同時に研究炉、ウラン鉱山開発、遠心分離ウラン濃縮プラントなどに関する秘密協定締結。
1995年5月10日
ロシア、濃縮プラントは提供しないと発表。
1996年1月12日
ロシア・イランの契約発効
1997年10月3日
原子力庁長官、電力需要の20%を原子力で賄う計画を発表。
1998年3月6日
ウクライナ、オルブライト国務長官の同国訪問中に、イランに原発用のタービンを売却しないと発表。
2003年6月
ロシア原子力省大臣が完成は2005年と語ったとの報道。
2003年8月14日
国営イラン通信、核エネルギー最高評議会が2号機の建設に向けた契約に着手するよう命じたと伝える
2003年8月26日
ロシア原子力省が、使用済み燃料をロシアに返還することを定めた政府間協定が9月に調印される見通しと明らかにしたと報じられる
2003年10月13日
ロシア当局者が、1号機運転開始は2005年、使用済み燃料返還協定は近く調印と語ったと報じられる